ネットの匿名性について。雑記。

今では虫の息の意見で、ほんの極一部の人間が脳内を爛漫の花畑にして考える事の1つに「ネットの匿名性を廃止しろ」というものがあるのだが、最近元お医者先生がネットの匿名性は危険だと仰っていたので自分なりに思うところを吐露しようと思う。

その元お医者先生曰く、暴力性を惹起し易い要因の1つが匿名性だと言う。確かに記憶に新しいのは有名人の炎上からとあるTV番組の企画に殺到した批判を苦にした自殺に至るまで陰惨なものは枚挙に暇が無い。けれども脚光を浴びる人々が衆目を惹く為に汎ゆるTV番組に出るのはインターネットが登場する以前から続いた慣習で、その後スキャンダルを素っ破抜かれるなぞ珍しくない。

時に、こういった有名税的な概念に一石を投じた最近のアニメに「推しの子」があったかと記憶している。私のような愚劣な性格の人間には出てくるエピソードが記号化された安物に見えて途中から視聴を止めたので解釈にさしつかえがあったら勘弁願いたいが、有名税と人間の暴力性を混同するのは明らかにストレスから来る精神的な視野狭窄と思う。そもそも有名税が高いの何のと言う前に歴史の勉強と、所謂アイドルトークは日常会話とどれほどかけ離れているかを省みた方が良い。非日常を演出する為に相当際どい発言をしている。無論記者などによるプライベートの侵害や虚偽記載は法のレベルから完全にアウトラインだが、衆愚によって巨星が堕ちたなど所謂自己肯定感の高い人間からしか出て来ない発想だろう。

たしか主人公の母親にあたる人物が伝説的アイドルでその生い立ちにやや不幸を抱えていたという設定だったが、保護されまくったスターに感動を覚えられる卓越した精神構造を人間が本当に持っているならそこから幸運にも聖人君子の献身的な保護を受けて何の不自由も無く暮らし、アイドルへの夢を募らせてトントン拍子に伝説的アイドルに登り詰めても構わないはずだ。事実、これに称賛を送れない時点で不幸と幸福の連鎖を望んでいるのであり、上げるために落とし、落とすために上げるといった玩具への扱いをそのままヒトへ適用してしまうのは暴力性と何が違うのか。何となくではあるが、推しの子の提唱した有名税へのアンチテーゼに喝采を上げた人々はインスタントな下剋上を褒めそやしたのであって内容を理解などしていないだろう。まあフィクションに四の五の言うのも歴史を無視しているといえばそうなのだが。

勢い、この理解せずに熱狂に便乗するような人間の名誉を守ったり、権力者に直に意見を突きつける為にこそ匿名性は既に機能している側面があり、謂わば弱者向けの福祉のはずだが言うに事欠いて弱者の保護の為に匿名性を廃せよとはどう考えても勝ち抜ける人間の言い分としか思えない。仮に実名登録制にしたところで第三者からは個人情報が抜かれ、当事者同士は弱肉強食を余儀なくされる地獄絵図しか生まれない。加えて警察の介入を目論んでのことかもしれないが、現状では司法は統計的に誹謗中傷を判定するのを放棄して誰を裁くかといった上下関係に持ち込んでしまっている。極めて主観的な独断で訴訟を起こせるのは矢張り金持ちだけであり、対抗できない貧者はなされるままに左の頬でも差し出せと言うのか。

元お医者先生を含めた匿名性悪玉論の理解に苦しむ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?