非団結の再演について。日記。

 最近AIで描かれるイラストの話題を追いかけてみている。AIを用いたイラストの生産について、その方式が非倫理的であるとか法的な待遇についても納得がいかないとかの憤りを隠せない境遇らしい。

 けれども個々人がペースを合わせずに法的問題や道徳観念を取り扱う事は、圧倒的に不利な体勢である事は労使関係の歴史を参照すると分かりやすいように思う。

 私的に興味深い事は、イラストレーター界隈はその独特な生業を選ぶ気質に依ってかは定かではないが、非常時には小さくとも団結し主張を取りまとめておこうという文化がかなり希薄なようだ。社会の広範な問題に携わる上では個々人の意見の機微が均されてしまうのが歴史的な通例であるが、今回の状況では少なくともAIを用いないでやってきたイラストレーターの人々は生業全体に於ける主張を展開するならかえってこの特徴は利点として働きやすいかとも愚考した。

 法治国家にあっては文化に基づく道徳や倫理が重要視されるのではなく、あくまで最終的な調整は法律に委ねられやすい。だからといって法律を追い付かせるという発想をすると、今度は反作用的に通例や融通の効かなさが粒立ってくる上に、法律を無駄に増やしてしまう結果を招く可能性がある事はこれまた歴史的に辿ってきた道であろう。

 この場合は寧ろ法的な調整がアンタッチな内に当人達の和解によって終結させておかなければ、強い力の管轄下におかれて今までグレーで済んでいた部分も巻き添えを食らい、AI使用者も非使用者も骨折り損だろう。その為にも小さくて構わないから意見を集約しておく必要性は見ていて感じている。

 更に憶測を重ねるのなら、恐らく費用のかかるイラストよりも無限に擦っておとがめ無しの絵を企業なんかは欲しがる方が利潤最大化を前提とするなら合理的ではある。仮にAIの生産した絵に著作権が発生しないのなら、法律によって潰されるのを防ぎたいのはなにも当事者達だけとは言えない。某イラスト屋さんのイラストで小規模な表現がどれだけ安価に落ち着けているかを考えれば、わざわざ不景気の最中に付加価値を認めて購入を決意する人間の数を多く見積もると火傷は免れないかもしれない。

 付加価値については、観測している範囲内に限ると既に認められているようなので消費者が皆無になる事は無いだろう。けれど大衆の文化がブランド化するとどうなるかは予測が難しい。矢張りそこまで行くとどうしても消費者の地位がどこまで盤石かに依存するように思える。

 今後も学問的に興味深いので動向を見守りたいと思う。

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