精神科のお悩み相談忌避について。日記。

 一部の精鋭を除いて精神科の医者の殆どはお悩み相談をしないのが常で、しかもそれでいいのだという当事者も多々見られる。「治す」のがほぼ不可能な領域で診療時間と報酬の釣り合いを考えればインスタントな診察で十分と思うのは理解できなくもないけど、無限に相槌とおべっかが言えないという人的限界をヒトに任せ続けた結果、最近よく分からない理由でChatbotが精神的癒やしを提供するという金儲けの文句が流行しているようだ。


 体調の良し悪しのみで言えば相応しい専門家が転がっている界隈で精神を扱うのだと理論を組み上げたは良かったのだろうが、その質はなんの因果か保たれず、新興宗教の教祖や占い師への尊崇の念は未だに並々ならない。そもそも脳の先天的異常を取り回せる程に現代文明は高くない。正に脳の皺寄せという話なのかもしれない。


 恐らくこういうタイミングで応急処置を考えるなら一時期SNSを賑わした医療用大麻の存在なんかが図らずも適合するのだろう。無論これまで同議題で依存性を論じられてはいるが、この文章においては軽度の症状の悪化に拍車を掛ける要素を幾分か解消する手立てとして医療用の大麻を見る。然るにお悩み相談でガス抜きを行うか、薬物治療として薬物に思考そのものを介抱して貰うかの比較で見る。


 お悩み相談を診療報酬で語るのは答えが見え透いていて味気ない。とすれば肉体的•精神的限界を医者が許容するかという一点に至るだろう。そして答えは恐らくNO。ヒト本来の生物的側面の精神状態モデルは社会活動との摩擦が大きくてあまりにも現実離れしているし、社会そのものを無償で正すなんぞという非合理な気骨は無い。むしろ却って治療の一環として大麻を認められれば喜々として社会に巻かれる形で処方するだろう。社会への抗議のやり方なんて教科書には書いていなかっただろうから。


 もし上記の邪推と妄想で構築された仮定の殆どが現実のものになるなら、遅いか早いかの違いでしかないので、お悩み相談を受け付けない真っ当な医者として医療用の薬物承認に血道をあげればそれで万事よろしい気がする。通院の動機づけを文言での症状解説なんかで真っ当に理解できるようならなんにせよ苦労は無い。なので少しはその足しにもなるかも。


 纏めると、お悩み相談の忌避をしているつもりが無い医者の方が多数派なのだろうと思いたいが、例外の中でも治療に役に立たないとまで言い出すとなると生活感覚を失ったとしか言い様がない。軽度の症状に時間を割きたくないのなら非社会的行動で不信感を与えるより、依存性の少ない薬物でインスタントに不安を取り除いた方が文化的背景を前提にした人間関係に資するだろう。

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