都知事選をチラ見した感想。雑記。

何やら権謀術数の坩堝と化している百鬼夜行になりつつある都知事選。立候補者のポスター問題や肩書きの詐称など日毎に増える裏側の数々を今回は期間を長く観察、予想してみる。

まず候補の乱立の原因は幾つかあるようだが大きく2つ有るように見える。

1つ目は、大きな金と権力を虚勢だけで好きにできる事が露呈した事。

2つ目は、待ち望まれた純潔な民意という大義名分を誇示できる環境。

恐らくはこの2つだろうと現時点では勘ぐっている。では仮にこの2つが正しいとするとどのような未来が想像できるか。私見では条件が丁寧に嵌まる事が出来るのなら歴史上の二の舞い、つまりは最終的に暴力か軍事が台頭し始めるかもしれない。

以下私見の内訳。

まず日頃のストレスから成るくぐもった暴力性は素顔を隠したり過激なポスターや政見放送に見出だせる。恐らく無意識だろうが、世間の取り締まりの実行力•倫理観を小突いてテストしている。どこまでがアウトラインでどこまでがセーフなのかを有り余ったフラストレーションと嘗て無く満たされて行く承認欲求を原資に、激しいテストが繰り返される。

次に脱落者を脇目にしながらパフォーマンスを続け、民意を恣意的に取捨選択し、正義を身に纏う。この段階では討論番組への出演などを契機に一層陶酔は深まる。

最終段階に入ると過激なデモらしき行為が始まり、集めたデータを基に法の穴を突いた合法的かつ実質的な暴力行為が散見されるようになる。今回の都知事選では立候補者があまりに乱立しているので一度始まれば幾ら証拠を提示しても事務処理能力が疑わしい状態になっているので、万が一の事態も不思議ではないように思う。この時点で終息を迎えられるかが大きい。

その後、取り締まりが行われても、群衆が鎮静化されたやに思える時期にはもう人々の脳裏には以下に防衛•攻撃するかという考えが焼き付いていて、ここに今一度好戦的な人物が降臨すると熱狂は愈々有頂天を迎えるだろう。この時、議員経験者であれば軍事に進み、未経験なら国内での暴力の火種になると見ている。

歴史上のコロッセオがそうだったとされるように、真剣な国づくりに飽きた人々に活況と甘言とで幻想を見せるためには暴力が見世物として相応しいのは時代を問わない。政治に興味が無い人間はそもそもデモなんかに行かないから、ふざけた立候補者とその応援者はただ浮かれているだけだという楽観もできなくはないが、彼らは既に金を捨てて見栄を取ったのだから見栄の代名詞次第では何も厭わないのではないだろうか。

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