転売ヤーと市場原理。日記

 人気のSNSでは殆どそうだったのだが転売ヤーを批難する時に何故か「需要と供給の曲線が交わった地点で物価が決定される」という市場原理を平然と主張し、その市場原理を破壊する存在として転売ヤーを悪の枢軸のごとく語るのを数例見かける。私自身、法律に詳しくないのでこの点は考慮に入れないがこの市場原理については「僕の考えた最強の経済学」に近いものがあるので悩ましいと考える。

 まず市場(いちば)という言葉には「安定した価格で物が取引される場」といった意味合いが含まれているらしい。語義で経済学は語れないと思うかもしれないが経済学は人間の行動を精密に測る事を極めて重視せねばならない。

 とある人間Aが市場に出品する物を選定する際に品質、品数、人件費、場合によって場所代、参加費、etcの費用がかかったとして、当然Aは儲けを出すべく商品を出すのだからこれらの経費を上回る必要が出てくる。この時点で商品の値段は最低限の上昇を余儀なくされる。
 次に経費だけではなく生産側は売れ行きを予め予想して値段を設定する。市場原理ではこれを「需要を予測する」と表現するが、生産者が周辺の人口密度や消費者の嗜好などを加味して、計算式から需要を予測するなど民間人であれば尚更殆どしない。あくまで地域の生活感覚を頼りに最低価格に上乗せして行くか、地域の平均年収を大雑把に基準にするくらいが関の山だと思われる。更に、その地域に独自の市場ルールが設けられていれば、もはや需要とは無関係な出費は避けられるものではない。
 事程左様に需要供給曲線で描かれるように供給側が0円から物・サービスを市場(しじょう)に投げ入れて行くなど空想に近い。加えて「需要」はかなり念入りに何らかの形で広告を出さなければ消費者が商品の存在を知り得ないので、発生するかさえ怪しい。

 この前提から転売ヤーが市場原理を破壊するので害悪だという理論は現実味が薄い。

 再度法律を加味していない事を注視しながら解決策を見出すのであれば受注生産をするというのが妥当な線だと愚考する。しかし任せっきりの生産ではなく、予め見積もられた費用を商品よりも前に客に何らかの形で商品の価格の一部として負担させる事が出来るなら、生産者も消費者もある程度安定的運営が見込めるかもしれない。


 余談にはなるが、本当に欲しかった人に行き届かない理論も毎日スーパーで起きている事の延長にも思える。割引シールを待つ間、定価で買えない人間は商品を選ぶ力が弱く、残り物を安値で買うしかなくなるのと似ていると愚考する。こうした経済が疲弊している場合に転売ヤーを規制しても個々人の財力は弱いままなので、解決に漕ぎ着けるとは思えない。大規模な賃金の調整なり、雇用の安定化なりその他政策が望まれる。

 では転売ヤーは悪ではないかと言えば再三再四法律面ではどうか知らないが、私的には市場原理が普遍的事実かのような言説を惹起する以上は遅効性の毒と同類に思われる。

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