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「Beggars Banquet」 ローリング・ストーンズ

1968年にリリースされたこの「Beggars Banquet」を究極の名作だと賞賛して止まないファンがいる。言うまでもないことだが私もその一人だ。まさにこのアルバムをもってローリング・ストーンズの全盛期が幕をあけ、1970年代前半まで、"傑作の森"と言えるような名作を次々に作り上げてゆく。この「Beggars Banquet」の素晴らしさを語り継ぐことは人類の義務と言っても過言ではないだろう。

1曲目の「Sympathy For The Devil」は"自己紹介させてください"、というインテリ風な青年の独白で始まる。彼は"悪魔とは人間である"という青臭い論説を弾圧や戦争の歴史を紐解きながら語るのだが、その内容は次第に"すべての警官は犯罪者だ"、などと支離滅裂になり、最後は"お前の魂を破壊してやる"、という恫喝に変わっていく。まさに狂気と人の精神の闇深さが等身大で表現されている。
楽器構成はいたってシンプルだ。パーカッションにピアノ、ベースというのが基本構成であり、これにエレキ・ギターのソロと、"フー・フー"というやる気のないコーラスがつく。アクセント程度にバス・ドラムが聞こえるが、ほぼドラムレスと言って良いだろう。今の音楽産業では考えられないほど斬新な構成だが、そのシンプルゆえにミック・ジャガーのヴォーカルやキース・リチャーズのギター・ソロが迫真を持って迫る。鬼才ニッキー・ホプキンスのピアノは荘厳に鳴り響き、その背後では部族的な打楽器が波打っている。神も悪魔も王も王女も虚構に虚構を重ねた楼閣であり、その足元で躍動する底知れぬ肉欲がこの曲の真髄だろう。果たしてこれを超える名曲を人類は他にどれほど知っているのだろうか。

"俺を駅まで連れて行って電車に乗せてくれ もう戻ってくることはないだろう"と歌われる「No Expectations」は心しみるバラッドだが、やはり胸を打つのはブライアン・ジョーンズが弾くスライド・ギターだろう。深く大きく歌うスライドはただ美しい。ブライアンという男の音楽的な貢献は残されたレコーディングからは分かりにくい。しかしその息遣いまでが聞こえてきそうなこの忘れ難い名演はいつまでも愛される彼の素晴らしい一面を見せたものなのだろう。

「Dear Doctor」は結婚式に行きたくなくて仮病を使う男のストーリーだ。小物感に溢れているが、このような生活臭い曲があるからこそ「Sympathy For The Devil」や「Street Fighting Man」の異様さが際立つ。

「Parachute Woman」はベーシックなブルース構成の曲なのだが、一聴した限りではそのようには聞こえない。当時すでにその形式が確立されていた商業的なブルースとは別の可能性を探った痕跡にも思える。

「Jigsaw Puzzle」は「Sympathy For The Devil」の続編のような雰囲気がある。おそらくニッキー・ホプキンスのピアノがそのような感覚をもたらすのだろうが、神や王族の争いがもたらした混乱の中でも、したたかに生き抜こうとする人々の姿が描かれている。

レコード時代のB面1曲目に相当するのが「Street Fighting Man」だ。反戦デモを題材としたこの曲は暴動を煽るとして、アメリカでは放送を拒否したラジオ局もあった。確かにこの曲がワルシャワのような血塗られたデモの歴史を持つ都市で演奏されるときは、その危うさに戦慄を覚える。
しかし、"路上で闘う男に居場所はない"というメッセージからは、当時のデモを無条件に支持していないことが窺える。今の日本でも政治的なデモには新興宗教などが群がるが、当時の反戦デモもやはりヒッピーたちの身勝手な馬鹿騒ぎの場と化していたのだろう。「Street Fighting Man」はどちらかというとデモによって誘発される制御不能のカオスを表現している。これは彼らが政治団体ではなくエンターテイナーであることを示しているのだろう。

「Prodigal Son」は伝承歌を元にした戦前ブルースのカバーだ。家を飛び出した息子が世間の辛さを知って戻ってくるという物語が歌われる。旧約聖書にある物語が元になっているようだが、故郷を出て自分の人生を切り開く、という今ではごく普通の生き方が、不自然で身勝手だとみなされた時代があったことを教えてくれる。そしてこの当時すでに死に絶えていたであろう、いにしえのギター奏法を蘇らせ、鮮やかに鳴り響かせているキース・リチャーズの手腕は見事だ。本作で顕著なのはキースのギターリストとしての進化だろう。それまではジャカジャカ掻き鳴らすだけの凡庸なプレイヤーだった彼が、多彩な技術とセンスで時にヴォーカルのミック・ジャガーを圧倒するほどの存在感を放っている。

エレキ・ギターが全面的に鳴り響く「Stray Cat Blues」はアコースティック主体のこのアルバムで異彩を放っている。唐突感は否めないが、後のライブ・バンドとしてのローリング・ストーンズの胎動が垣間見れるようでもある。

「Factory Girl」はコンパクトで楽しい曲なのだが、これは一体何なのだろう。ブルースでもなければカントリーでもない。アイルランド民謡というのが最も近しいようだが、さまざまな民族音楽の血脈が練り込まれており、完全に彼らのオリジナルと言って良いだろう。あまりにもアルバムの雰囲気に溶け込んでいるため、気づきにくいが、彼らがアイドル・グループという枠組みを超え、成熟した表現力を持つアーティストとなったことがまざまざと感じられる。

このアルバムの終曲である「Salt of the Earth」は労働階級への賛歌として書かれたようだ。空気中の窒素から化学肥料を作り出すことを可能にしたハーバー・ボッシュ法により食料生産力が飛躍的に向上し、10億人程度が限界だった世界人口は20世紀後半に爆発的に増加、2022年には80億人を超えた。その結果として生まれたのが私やあなたやローリング・ストーンズだ。しかし、急激な人口増加は画一化された労働階級を増やし、彼らは大きく変容する世界で翻弄され続ける人生を送った。ミック・ジャガーやキース・リチャーズもまた、ひと粒の"地の塩"としてその渦の中を生きていたのだろう。この曲ではそんな世界に戸惑いながらも折り合いをつけようとする彼らの姿が垣間見れる。ゴスペル・クワイアが盛大に盛り上げる後半は人類の発展を祝福しているようではあるが、最後にはがらんどうのようなピアノとギターだけが鳴り響いて終わる。急速に膨張した社会は、やはり急速に萎んでゆくことを暗示しているようでもある。

この「Beggars Banquet」はサイケデリックに寄りすぎた前作の「Their Satanic Majesties Request」を反省し原点回帰したアルバムだと言われている。しかし、より現実的には彼らが"第2のビートルズ"になることをやめて、"第1のローリング・ストーンズ"となることを始めた作品と言うのが正しいだろう。
同時期にデビューしたライバルがビートルズというのは、絶望以外の何ものでもないだろうが、ローリング・ストーンズは彼らの後を追いかけることによって生き延びてきた。いや、それしかできなかったというのが実情だろう。
しかし「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」の劣化コピーと酷評された前作を通じて、他人が作ったルールで闘うことの不利を悟ったのだろう、彼らは別の道を模索することになる。それは彼らのルーツであるブルースに立ち返ることだったのだが、かつてのように米国のブルースをただ輸入するのではなく、現代的な解釈で新たなブルースを作ることを目指したのだろう。
ビートルズの呪縛から解き放たれたことによって、この「Beggars Banquet」は新しい生命の脈動に満ちている。かつてのような若者受けのポップ・ソングはないが、当時の人や社会のあり様がリアルに描かれている無骨だがスケールの大きな作品になった。
"Be Yourself"とは、どのような世界においても言われる格言だ。デール・カーネギーは"道は開ける"という著書の中で、第二の誰かになろうとして不毛な人生を送ることを戒めている。ビートルズになれなかったバンド、キースになれなかったギターリスト、ダウンタウンになれなかった芸人、彼らの敗因は明らかだ。誰もが大リーガーやYouTuberになれるわけではない。「Beggars Banquet」はその芸術性の高さだけでなく、我々に生きるべき道を示してくれるという点でもかけがえのない作品なのだ。


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