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回天(人間魚雷)記念館

山口県周南市大津島の回天記念館に行ってきました。

徳山港
徳山港〜馬島港間をフェリー「鼓海Ⅱ」で渡ります
大津島に到着しました
戦艦陸奥の艦材を使って作られた鐘
回天の碑

私はこの回天記念館を調べるまで、人間魚雷について深くは知りませんでした。
太平洋戦争の末期、戦局を逆転させる為にこの恐ろしい兵器は誕生しました。

回天のレプリカ

昭和19年9月に大津島基地は開隊し、回天の搭乗員が集められます。

海軍兵学校の14名、海軍機関学校の6名、水雷学校魚雷艇出身の14名。
殆どが、海軍省が転勤命令の形で選び、学生からは志願者もいました。

搭乗員募集に関する公文書

搭乗員募集の公文書には、兵器とだけ記載され、その具体的な利用法等は書いてなかったようです。

志願者には、口頭で作戦内容が伝えられ、五分以内に返事を出すように求められています。

回天の機内(レプリカ)
内部の様子

回天の上部に出入口があり、1人がやっと入れる大きさです。
内部には、簡素な椅子と操縦席(ハンドル)がありました。

回天記念館の外にある訓練基地跡
トンネルの中央に軌道があった様子
クレーンで吊り、ここから発射します
発射基地
坑道内に飾られたパネル
出発の日の様子

出撃搭乗員の手には、連合艦隊司令長官から送られた、短刀と拳銃、海図があった。

生きては帰れない事を覚悟して、笑いながら「家族を守る為」「国を守る為」天皇陛下万歳!と出撃して行った。

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