萩キリシタン殉教地
明治元年から三年にかけて行われた政府の
キリスト教弾圧政策をうけ、長崎の浦上村
全信徒3800名を全国へ流刑した。
その内、約300名が萩に流された。
明治24年、岩国屋敷跡に幽閉されていた
信徒が受けた拷問に使用された石を使い
石碑としているらしい。
毛利輝元の重臣、熊谷元直は黒田考高の影響を受けキリシタンとなり、メルキオルという洗礼名を名のる。
指月城建設の際の「五郎太石事件」を熊谷の責任として、毛利は熊谷一族を処刑するように決める…
この事件は、毛利が元直の殉教を伏せていた為 2007年まで表に出ることはなかったと言われている。
現在この公園の近くは、住宅地になっていて いきなり現れるキリシタン殉教地が
異彩を放っていた…
豊前国生まれの熊谷が、萩に流された運命が黒田藩と毛利藩との確執により、翻弄された悲しい出来事のように感じる…
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