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noteとの向き合い方を考える

何を書いたらいいんだろ。
何なら、投稿できるんだろ。
書いては書いては、頭を抱え、下書きばかりが溜まってしまう。

短編小説とか書きたいな。
詩とか書きたいな。
日々感じたこととか書きたいな。
好きな音楽とか、行ったライブとか、
文字に起こしたいことは沢山あるのに、
いざPCを前に書き連ねていくと、
なんだか、面白くないなと思ってしまう。

昔からそうだ。
自分の話は、誰も興味なんてないと思って、
どう伝えたらいいか分からなかった。
友達の話を聞いて、ちょっと面白おかしくいじって、ふくらまして、
みんなで笑ってるくらいがちょうどよかった。
だから、いまだに、私は私の話をするのがヘタクソだ。

自分の事をさらけ出すと、相手も心を開きやすくなる。
みたいな事を聞いてから、
ある程度仲良くなってから、自分の話を上っ面だけはしているが、
だいたい私の相手は、自分の話を聞いてほしい人が多い気がする。
その方がうんと楽なのだが、たまに「そっちはどう?」的に
興味を持たれて質問攻めにされることがある。
非常に困る。
もう、20年来の友人達には自分をさらけ出して話はできるのだが、
なかなかそこまでの付き合いがない相手には、さらけ出すことができない。
当たり前とも言えるが、私にはそれが苦痛になることがあるのだ。
相手がこんなにさらけ出してくれるのに、私は自分を隠している。
それが対等ではない気がするのだ。
考えすぎなんだろうけれど、
ちゃんと相手に寄り添えてないのではないかと、
自分が偽善者のような気になることすらある。

書くと、自分と向き合えてる気になる。
少し客観的に自分を見れるからだ。
でも、日を置くとそれが自己満に過ぎない気がしてしまい、
どんどん下書きが溜まってしまう。
そして、私の事などと、考えてしまう。
そういうの終わりにしたくて始めたんじゃなかったっけ?
と、ふと思う。
心のどこかで、私を知ってほしいという気持ちがあったから、
私は、私語りをしてみようと思ったんじゃなかったっけ?
自分を客観的にみて、自分を理解して愛せるようになりたいと思って始めたんじゃなかったっけ?
生きてく上での矛盾を解消したくて、
相手を目の前にすると、どうしても尻込みしてしまうから、
私は、ここで自分語りをしようと思ったんじゃなかったっけ?
初心を思い出してみるのに、
私はどうしてもまた踏み出せずに、下書きをため込んでしまう。

でも、今回はそうしたくない。
自己満でもいいから、私は一歩を踏み出したい。
誰も興味はないかもしれない。
でも、もしかしたら、私と似たような人がいて、
私より悩んでいて、ふと私の記事を読んで、一人じゃないんだと安心する人がいるかもしれない。
と、いうのは少し思い上がりかもしれないけれど、
共感能力は高いと思っているので、私語りが、どこぞの誰かの心のよりどころになれるのなら、それもありだと思う。
だから、今回は
下書き保存を押さないで、公開を押して
小さな一歩を踏み出してみることにしようと思う。




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