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『湯呑は何によって温められたいのか』

20240303


 体調を崩してしまった時は、特に考えることがない。

もちろん周囲に迷惑をかけてしまっているから申し訳ない気持ちはあるのだけれど、体は通常時には考えられないくらいしんどくて、ただただ温かいお茶をすすることしかできない。


 家で温かいお茶を用意する方法は二つある。

 ひとつは、急須に茶葉を入れて、お湯を注ぎ、それを蒸らして湯吞に注ぐという方法。手間がかかるが、温かくて美味しいお茶を飲むことができる。

 もう一つの方法は、湯呑に冷蔵庫の中から取り出したお茶を注ぎ、電子レンジでチンして温めるというやり方だ。手間はかからないが、お茶の味に深みがあるかと言われれば、素直にうなずくことはできない。冷たかったお茶を強引に温めたお茶という感じだ。



 体調不良の時は、とにかくぬくもりのあるお茶を摂取することだけが目的のため、電子レンジでチンしたお茶をよく飲んでいた。しかし、体調不良もいくところまでいってしまっていたのか、一つの疑問にたどり着く。


 湯呑自身は何によって温められたいのかということだ。


どういうことかと言うと、湯呑という器は、温かいお茶を飲むために使われることが前提とされているため、湯呑自体はきっと温かい温度が好きで、熱に強い構造になっているはずである。


 ただ、文明が発展した現代において、電子レンジを使って科学的に外部から熱を加えられるというのは、湯呑自身はとても嫌がっているのではないかと考えてしまったのだ。

 なぜ、この考えに至ったかと言うと、電子レンジでチンしたお茶を飲み終わり、軽くゆすいで洗い終わった時、湯呑にはまだやんわりと熱が感じられたのだ。その時、この温度は、「ぬくもり」と呼んでいいのか、それともただの「熱」なのか、どちらなんだろうと考えるに至った。

 体調不良でも考えることはあった。

 湯呑だってきっと、急須にいれたお茶が自分に注がれて、内側からやさしく温められてぬくもりを保ちたいはずだ。電子レンジは、完全に外側から熱を加えているようだし、科学的な力によって強制的にお茶が温められてしまっている。そのことは、湯呑自身にとってもあまり気分の良いことではないように思えて仕方なくなってしまった。


 ただ、最近は「食洗器対応」とか「電子レンジ対応」と表記された湯呑も増えているから、湯呑がどこからどのように温められるかについて考えることなど、不毛なのかもしれない。



 信頼のできる友人にこの話をしたら、「ああ、確かになあ」と思ったより真剣に向き合ってくれた。

「湯呑も電子レンジに温められるのは不本意かもなあ。もしかしたらさ、湯呑も電子レンジに入れられる瞬間とか怖いんじゃない。ええ、なに、この暗いところ、ここどこ、みたいにさ」

と、体調不良でもないのに、僕でも理解し難いことを言っていた。

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