見出し画像

『ATM前の人の残り香』

20240526


 ATMでお金をおろすときに、前向きな気持ちであることはほとんどない。手持ちのお金は増えるが残高は減るという当然すぎる現実を前にして、何を考えて画面を操作すればいいのだろう。
 
 
 
 少し前、ネット銀行やキャッシュレス化によって将来はATMに行く回数も減るのだろうなと、もう世界で誰かが1000000回は口に出しているであろうことを思いながら、ATMの列に並んでいた。
 
 ひとつ空いたATMの前にたどり着き、お金をおろそうと画面に触れようとすると、明るくフルーティーで、ただどこか趣のある人懐っこい香りが僕の鼻を突いた。

なんだこのにおいと思い、ふと、銀行の出口の方を見ると僕の一つ前にそのATMを使っていたおばさんがちょうど銀行を出るところだった。
 
このにおいは、あのおばさんの残り香だった。
 
 ATMという無味無臭の機械の前で、人間の残像をにおいを通して感じるとは思っておらず、ふいに身構えた。
 
その香りが不快だったとか嫌な思いをしたとかそういうことではなく、自分の前にATMを使っていた人のにおいを感じることなど初めてであり、その状況に驚かずにはいられなかったのだ。

 
病院や歯医者、バスなどには、その場所が持つ共通したにおいが存在するような気はしていたが、ATM前の固有のにおいというのはあまり感じたことがなかった。その無機質さゆえの無臭の空間だからこそ、自分は少しにおいに敏感になっていたのかもしれない。

 
 
 においというのはどこか夢想的な空間に自分を連れて行ってくれる感覚があり、そのATMの前でもおばさんが居た空間に自分という外部から来た人間がお邪魔しているような感覚になった。


 
 
 その後、自分の空間に立ち戻って預金残高の画面を確認した時、本当に何の根拠もないのだけれど、あの香りをATM前に残していける人間は、自分なんかよりだいぶ預金にも余裕があるのだろうと思い、敗北感に苛まれた。



この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?