Cul-de-sacの住人 クリスと彼女1

私はCul-de-sacに住んでいる。行き止まりに住んでいるということだ。
タウンハウスという長屋の作りなので我が家には両隣の生活音がうっすらと聞こえてくる。ドライウォールとコンクリの壁でそれぞれ隔てられているので基本的には気になることはないのだが。

最近、気になる。お隣が気になる。30代と思われるカップルが住んでいるのだが、時折、彼女と思われる女性の声が聞こえてくる。うっすらと。
最初に聞いたのは、『ヘルプ』だった様にも思えた。
その声は長くは続かないし、うっすらしか聞こえないため、最初は気のせいだと思った。その後、ふたりの楽しげに笑う声もうっすらと聞こえてきたため、『やっぱり気のせいだったんだな』と思い始めていた。

しかし、最近、また聞こえてくるようになった。
旦那さんに『お隣から何とも言えない悲痛な叫びが聞こえる』と言ってみると、『テレビの声じゃないの?どんな声?』と質問され、『Let meなんとか~!!って泣き叫ぶような声』と答えた。

英語で "Let me~" と言うフレーズと、彼女のトーンからすると、、、
私の乏しい妄想の世界から導いた彼女の叫びは『let me out! 』となり、きっと、彼女は監禁、もしくは軟禁されていると結論付けた。

いやいや、そうなると大変だ。見て見ぬふりは出来ないじゃないか。何かが起こってからじゃ遅い!

だけど、何しろ、うっすらしか聞こえないし、常に聞こえるわけじゃない。私は自分の生活音を最小限にして隣の音に耳を澄ませることにした。

我が家はひっそりと近所づきあいをすることもなく、この行き止まりに住んでいるので、お隣がどんな職業なのか知らないし、はっきり言って何も知らない。偶然会えばハロー!とクリスに挨拶するだけだ。

なぜ、私が彼の名前を知っているのかというと、以前、彼らの住む家は借家だった。私たちが住んでから2,3世帯が入居しては去っていった。そして、最後に若いカップルが住み始め、ある年のクリスマスの日、我が家の冴えない玄関前にラッピングされた大きな箱が置かれていた。宛先もなく、誰かが間違えて置いていったものだと思ったが、恐る恐る開けてみた。段ボールの中に、ワイヤーで奇麗に宙づりにされたアマゾンギフト券($200)とクリスマスカードが入っていた。ワイヤーアートにも驚いたが、カードには『新しいお隣です。賃貸で住んでいたのですが気に入ったので購入しました。よろしく。何かあったら連絡してね。クリスとサラ』と電話番号とともに書かれていた。

私は今までこんな形の驚きを経験したことがなかった。アメリカでアジア人としてい目立たないように生活していたが、そんな私たちを認めてくれて、隣に住むことを決めてくれたことが心底嬉しかった。今でもうれしく思っている。
それから、クリスの車は古めのワーゲン、ゴルフからホンダ、アコードへと変わり、サラは目にも鮮やかな黄色いdodgeのcharger を持つようになった。隣の家のこととはいえ、見ればウキウキする黄色いdodgeが停まっていると心が躍った。が、そのサラは去ってしまった。私は焦った。最初に引っ越しのトラックが隣の荷物を運び出した時、二人が引っ越しをしてしまったのだと思った。生活音がしないお隣を感じると不安と寂しさが押し寄せた。
挨拶しかしない仲なのに、自分にこんな感情が湧くことに驚いた。一週間くらい経過したころだろうか、私はこわごわクリスにテキストを送った。『引っ越しをされたようで寂しいです。お返し(アマゾンギフトの)も出来ないままだったので、添付します(アマゾンギフト)。ありがとう。』と、通じるかどうか分からない出鱈目な英語で、それも、いただいたのがアマゾンギフトなのに、こちらもアマゾンギフトを送るという、捻りがないつまらないメッセージを送った。数時間経ってから返信が返ってきた。『サラとは別れてしまったけど、僕は引き続き住みますのでよろしく』と言ったメッセージが届き、数日して、クリスは帰ってきた。
それから、しばらくして新しい女性が住み始めた。私が彼女を見かけたのは2度ほど。最後に見たのは去年の夏だったか。クリスが大型バイクのハーレーを買ったらしく、ちょうど納入されて、二人仲良くハーレー越しに記念写真を撮っていた。幸せそうだった。

ふっと聞こえてくる叫び声は、あの彼女のものなのだろうか?

先週末の夜、また声がした。彼女が何を言っているのかは分からない。しかし、今回はクリスの怒鳴り声が響いた。怒りをあらわにした声色で『Oh my God!』
そして、深夜12時近くだというのににクリスは出ていった。そして翌日の朝になっても帰っては来なかった。

一体、何が起こっているのだろう。今もクリスの車は停まっていない。クリスが居なければ彼女の叫び声も聞こえてこない。

お隣さん、幸せであれ。

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