漁師町にて

ある日父親が一冊の本を手渡してきました。喪主の男は挨拶を済ませて、そう切り出した。

あれはたしか、遠い親戚の告別式だった。足を悪くした祖母のために車を出し、ついていく形で出席した。名前を聞いても、幼い頃に積み木をくれたというエピソードを聞いても、故人にはピンと来なかった。漁が盛んな島と聞き美味しい魚にありつけるかもしれない、と軽い気持ちで着いていったとかそんなことだったと思う。しかし、極寒のフェリーに乗る頃には、脂の乗ったブリなどより一刻も早く帰りたいと、そう思っていた。港へ到着し、 迎えの車に乗り込めたかと思えば、血縁を名乗る男がしきりに話しかけてくる。場を和ませようという不自然な明るさや、悪路を走る揺れが、独特な居心地の悪さを私に植え付けた。

車酔いが悪くならないように田舎道を眺めている。男の話へ何十回目かの愛想笑いをしていると会館に着いた。都会にはない澄んだ空気を深く吸い込むと、酔いがいくらか覚めてきた。男へ礼を言い、周りを見渡してみた。参列者の平均年齢は65歳くらいといったところだった。恰幅の良い男たちが談笑していたり、受付前で数人の女性が溜まったりしているのが目に付いた。受付係へ挨拶をしようとすると、その場に溜まっていたおばさま方は蜘蛛の子散らすように、そそくさとどこかへ行ってしまった。受付へ向き直すと、「遠路はるばるようこそおいで下さいました。」と挨拶を受けた。祖母が深々と頭を下げる。頭を上げた祖母の、歳の割に伸びた背中に半身を隠して遺族へペコリと挨拶をした。会場へ入場し見様見真似で窓から故人と顔を合わせる。故人の顔は参列者の男達と同様に色黒で、特徴といえば少し猿顔なことくらいだった。遺影の中の佇まいは、優しげで穏やかだった。表情はどこかぎこちなく、目尻から大きな皺をつくる泣き顔に似た笑顔を作っていた。

告別式が始まる。喪主の男が参列者へ感謝の言葉を述べている。少しやつれており、鼻の頭が淡く赤く染まっていた。故人と喪主の男は並べばどこか面影があるが、喪主の男の方が洗練された鋭い印象があった。だが、まだ悲しみを発散できていないような、少し緊張が緩めば堰を切ったように涙を流してしまいそうな、そんな雰囲気を携えていた。読経が始まる。少しすると急激な眠気に襲われた。周りを見渡してみると皆同様に神妙な面持ちをしていたが、よく見ると私と同様にあくびを噛み殺している人もいた。焼香が終わる頃には、女の啜り泣く声も遠くに聞こえた。祖母は、じっと目を瞑って、手を合わせていた。眠っているわけではなさそうだった。

住職が読経を終え、こちらへ向き直した。穏やかなトーンで、なにやら有難いことを言っていたが、今では思い出せない。出棺の時間だ。遺影を持った女性の隣には、位牌を持った例の喪主の男がいた。男は手短に挨拶を済ませた。先ほどより、様子は穏やかで、鼻の赤みも引いていた。軽く呼吸を整え、こう切り出した。

「ある日父親が一冊の本を手渡してきました。」水面下で静かに意を決したように話し出した。思わず周りを見渡したが、参列者は皆すまし顔で、静かに話を聞いていた。「ボロボロに読み古された松下幸之助の伝記でした。」参列者の中にも異変に気付いた者がちらほら現れ出した。表情からはこれから何が起こるか読み取れない。私は喪主の男の目を見つめ、話に耳を澄ませた。

「みなさんご存知の通り、この島が直面している問題のひとつに第2次産業振興促進計画があります。いわゆる町おこしの一種で、この地区を観光地化していこうというものです。委員としてその矢面に立たされたのは人一倍お人好しな父でした。当時、父は平々凡々な漁師の1人でした。ですが、委員の仕事を進めるうち、行政と漁師仲間との板挟みの中で、自分が何者なのかを見失っていきました。少しずつご機嫌取りの癖が身に付いていくのも自分でもわかったのでしょう。そんな中でも事態は一向に好転せず、この小さな島で居場所を失っていくうち、みるみる塞いでいきました。当時、私自身、そんな父を良く思えず、島を出ました。父親から目を背けていた自分が、耐えられなかったのかもしれません。数年後に母が倒れたことで帰ってきました。幸い母の命に別状はありませんでした。しかし、忘れもしません、その時、父は疲弊しきっていました。数日後、例の伝記を手渡されました。「お前はやりたいことをやれ、俺のようにはなるな、お前は好きに生きろ。」こう言いながら手渡されました。子供の頃に買い与えられた本なのでしょう。ところどころ落書きもありました。社会のために生きねばならない、こう書かれた箇所には線が引かれていました。こんな男に「好きに生きろ」と言わしめた島を、許せません。しかし、それ以上に見て見ぬ振りをした、自分を許せません。返す言葉が見つからないまま、数週間後、父は亡くなりました。私は、私は島に残り、父の仕事を受け継ごうと思っています。長くなりましたが、ご挨拶とさせていただきます。」

会場を取り巻いていた、湿った雰囲気にはしたくないと言いたげな、偽物の呑気さはすっかり剥がれ落ちていた。音を立てた霊柩車を見送るなか、冷たい風が頬を撫で続けた。祖母の方を向き直す。頬を熱らせた顔はずっと霊柩車を見つめていた。何を考えているかは分からなかった。

現在。結婚し2児の父親となった。あの頃に比べると生え際も少しずつ後退しており、冷たい潮風を受ける面積が増えてしまった。「ここの人たちは毎朝、丘の上の市場へ新鮮な魚を買いに行くんですよ」深く皺の刻まれた色黒の漁師が淀みない言葉で案内をしてくれている。観光事業の一環で、漁に使っていた船を使って湾内をガイドするサービスを5年前に始めたそうだ。「ここにニモっているのー?」と上の子が聞く。少しオロオロしているガイドを見て、コラっと嫁が叱る。私は波に揺れる船の中、やりとりを微笑ましく聞いている。船酔いに吐いてしまわないように遠くの景色を眺めていた。

22/03/01

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