Joy-Key

自分のことを話すのはキライ。 人の話を聴くことは好き。 自己肯定感ゼロの私。 何しても…

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自分のことを話すのはキライ。 人の話を聴くことは好き。 自己肯定感ゼロの私。 何しても満たされることはない。 でも書くことで満たされるかもしれない。 話すのはキライだけど書くことは好き。 好きだからやってみようとnoteスタート。

最近の記事

良くしようとしない。

息子の幼稚園で プライベートなことを私たち保護者に確認も取らずに配信されてしまいました。 起こってしまったことは仕方なく、担任の先生に悲しかった思いを伝え、その翌日には私も昨日はあんな事言ってごめんと謝った。 でもやっぱり私と同じような思いをする保護者を出したくないから園長と理事長宛に手紙を書きました。 もう少し個人情報大事に扱ってください、と。 その手紙に対する返答は2〜3日後、別の役員の用で園に電話した時だった。用件を話し終えると 「もらった電話でごめんなさい

    • Fall in folk

      苦しいなぁー 自分のされた思いを他の人にもさせないようにと、 良くしたいと思い、 自分にはそれが出来ると勘違いしてしまった。 結果、得たものはなく 失ったものはたくさん。 こんな事なら最初から私だけ我慢すればよかった。 我慢して黙ってれば良かった。 辛いわー でもこの辛さ乗り切ることができるのは自分だけ。 落ちて 落ちて 這い上がってきた。 今までも。 でも底の見えないホールは いつまで続くのか ただただ不安。 もうしばらく私のメンタル落下中

      • カリスマの代弁。

        自己肯定感ゼロの私。 今働いている職場の人はいつも 「頑張ってるねー!」 「むりしないでね」 と優しい声をかけてくれる。 でも私には分からないのです。 これが頑張っていることなのか。 褒められ慣れていないせいで いつも「全然私なんてできていないので。」 とつい言ってしまう。 結果 「いやいや・・・」と相手の返答を困らせてしまう結果に・・・。 でも 今の職場の代表は 「『出来てるよ、もっと自信持って』と人に言われて『それが出来たらどんなに楽か・・・』っ

        • 私なんて死ねばいいと思っていたあの頃。

          小学生、中学生の頃は 母に褒めてもらいたくて勉強をすごく頑張っていた。学級委員長やったり、皆勤賞もらったり、なんか色々頑張っていたけど 高校生になるとずっと一緒だった友達はバラバラに進学して 一気に私の周りの世界は変わった。 友達はどんどん先を歩いていく感じで 私1人取り残されてしまった気持ちになった。 中学まで一緒だった友達との連絡も断ち 勉強も捗らず、小学生、中学生の頃頑張った疲労は心身ともに私に襲いかかってきて 過敏性腸症候群になったり、 夜、電車のガ

        良くしようとしない。

          仕事のむきふむき。

          今まで医療事務をずっとしてきた。 バイト経験はあったけど社会人になってからは医療事務しかしてこなかった。 医療事務はどこでも需要があるし、仕事には困らなかったけど、 個性の強いスタッフが多くてそんな人に会うたびに「なんでだろう」とか「機嫌損なわないように」とか仕事をする前に相手の顔色ばかり伺っていた。 なんとなく仕事が終わった後は家に帰っても疲れが取れなくて。 今思うとHSPの無意識に気遣いすぎてたのかな。。 「ひとのために」が医療かと思っていたが実際は「1人にサ

          仕事のむきふむき。

          兄の誕生日。

          今日は1番上の兄の誕生日。 生きていれば51歳。 もしかしたら孫がいてもおかしくないかもしれない。 24歳でこの世を去った兄。 兄には大切な人もいた。 もうすぐ結婚という話もあったみたいで。 いつもパチンコ、酒に入り浸りの父が 「俺が代わりに死ねばよかったのに」 と言っていたこと今でも覚えている。 最初で最後の父親らしい言葉だったかもな。 大人を困らせてばかりだった兄。 でも私自身幼かったけど 全然怖かった思い出はない。 あまり私に興味がなかった、と

          兄の誕生日。

          良き友。

          子どもは親を選んで産まれてくる なんていうけど 私と両親の関係を考えた時、全く当てはまらない。 親は選べないのだ。 小学4年生ごろには母親に対して常に反抗的で 「どうしてうちの母はいつも私の意見を聞いてくれないのだろう」と考えていました。 グレる道もあったけど いつも私の周りには理解してくれる友達がいた。 あんな親なのに笑ってくれる友達。 この存在なければ きっと私は今の私ではなかったと思う。 親は選べないけど 友達は選べる。 良き友達をもって 私

          良き友。

          何も出来ないも長所。

          私はなんにもできない。 出来ない頭でいつも「こうしたら相手はどう思うか?喜ぶか?」とそこに焦点がいってしまい、なかなか思うように事が進まなかったりする。 どうしていつも私はこうなんだろう。 他の人がいつもまぶしく見える。 でも、最近は 何もない。何も出来ないことが 私の長所なのでは?と思い始めている。 何も出来ません。助けてください。 と言うと、みんなが声をかけてくれる。助けてくれる。 助けてください、と言うことに「かっこいいと思った」と言ってくれた人も。

          何も出来ないも長所。

          もういいよね?

          今まで自分より他人を優先してきた。 だからそろそろ自分を優先しようと思う。 自分を大切にしてあげたいと思う。

          もういいよね?

          子どもの頃。

          私が子供だった頃の遊び場は 栗林 砂利道 スナック 父はいつも「疲れた」と約束を守ってくれなかった。 でもパチンコや呑みの席には連れてってくれた。 玉拾いさせるために。 子どもを連れてけばそれだけで話のタネができるためか。 バカな私はいつものこのこついていく。 大好きな父と出かけられることはなかなかないから嬉しくなってしまい 時間が経つに連れて私の存在がその場からなくなり 結果邪魔者扱いをされて 1人寂しく父が帰るのを待つ。 私は父親のただの飾りだっ

          子どもの頃。

          偽善

          2番目の兄に高校生の頃言われた言葉。 「お前は偽善者だな」 学級委員やったり 休んでいる子のノートを取ったり 野良猫の里親探ししたり 「誰かのため」にすることによって 私の自己肯定感は救われたが、それは結局偽善なのである。 偽善者という言葉がまた私を苦しめる。 今は子ども食堂の手伝いや、ボランティア活動を時々している。 周りの人に「偉いねー」とよく言われるが そんなものではない。 私は「自分のために」やっているだけなのだ。 所詮偽善なのです。 だから

          引きこもっても。

          2番目の兄は引きこもり。 7つ上の兄は私が小さい頃、小学校に行かずにずっと家にいた。 そんな兄が羨ましかった記憶が今もある。 兄は私をよくパシリに使っていた。 子どもの頃の兄との関係は最悪。 中学生になった兄が久しぶりに学校に行った帰り、記憶喪失で帰ってきた。 あの怖い兄が不安そうな顔をしている。 「ほんとに記憶ないの?えっ!本当に?」 心配どころか 記憶がなくなった=怖い兄がいなくなった と私は喜び踊ったあと、 記憶を無くしたと言っていた兄に殴られた。

          引きこもっても。

          兄が最期に教えてくれたこと。

          今日は9歳離れた兄の命日でした。24歳でした。 私が高校入学した日に兄は職場で大けがをしてそのまま帰らぬ人となりました。 最後に交わした言葉は 私「制服似合ってる?」 兄「うん」 これが最期の会話になるなんて思わなかった。 お葬式の日、周りが泣いてる中私は全然泣けなかった。「泣こう、泣かなきゃ。」と思えば思うほど涙は全然出てこなかった。 でもお葬式も終えて数日経ったある日の晩ごはんの時、 急に もうここで兄と食事をすることはないのか と実感した途端涙が溢れ

          兄が最期に教えてくれたこと。

          はじめに。

          今、私は毎日幸せです。 過去に戻って自分に言ってあげたい。 「大丈夫。君の人生40過ぎたら毎日幸せだよ。」「だから今をがんばれ!」と。 普通になりたいと思い悩んだり、 誰にも言えずに悩み続けたこと。 今幸せだからやっと言えるようになった過去。 書いて自分の膿を出す自己満足な書きもの。 これを読んで欲しいのはただ1人。 過去の自分。 過去の自分へのエールをこれから書いていこうと思います。

          はじめに。