![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144720350/rectangle_large_type_2_eeae163137bf6b150f2db2a3f42e6929.png?width=1200)
人生災厄のウサギ
どうも!うっつーです。30代半ばのおっさんです。うさぎがとても好きでよく動画みてます。
軽い自己紹介
警備歴10年、羽田空港や東大病院など
危険物取扱者乙四類
自衛消防技術認定
防災センター要員
上級救命
好きなこと
動画鑑賞 バグ大とお金関連の本要約
最近はインデックス投資の本を何冊か読んでます
ゲーセンやら外食にも行くことがある
僕は20代から警備職として契約者様の生命と財産、安全と安心なサービスを提供した職種です。基本的に1号警備となる施設警備の経験が長く、誘導も1年程度でした。
自分はこれから警備や今後の手に職をつけるために自己投資に力を入れて、工業高校も出てもない0スタートからの独学でなんとか3回目の受験で合格致しました。当時空港警備勤めでゲート責任者の上司の罵声をよく食らってた時期もありました。あまりにも仕事ができてなかったのです。時には…「施設警備の資格取れないくせに危険物取扱者なんて取れるわけねえだろ!」や「お坊ちゃま」とか嫌味な言われ方をされたのが今でも思いだします。ホントにあんなこと言われて、本来は落ち込むのですが、逆に僕はそれを逆鱗に触れたのです。当時ゲート責任者の人は字が汚かったのです。警備職にいるとホントに定年のジジイばかりで覇気がない人の吐き溜めでもあります。
それでも優しいおじいちゃんも勤務しており、経験もかなり豊富でした。四季報の見方や、人生経験も聞くことも出来ました。それこそが僕が得た知識であり財産でもあると感じてます。
一方で健康に気を使わずに、勤務中に苦しそうなおじいちゃんもいました。その人達の後ろ姿を見ると…「いずれ自分もこうなるんだろうな」って感じました。確かに警備職は給料も安く今まではボーナスすら貰えませんでした。時には給料払い過ぎたとか言われて「手取り8万円」資格手当たったの数千円です…。そんな安い給料で就職氷河期で生きてたものです年収も200万行かなかったでしょう。でも自然と…
「お金への節約が自然と身についてた」いくら使えばお金が残るのか肌感覚で鋭敏になったのです。今ではマネーフォワードなどの家計簿アプリを使って無駄な支出を抑えたりするのですが、新卒入社して2010年の不況だったため当時家計簿や投資にも無関心でしたからね。こんな景気悪いのによく入れたなーって今でも感じてます。僕が入った警備会社は神奈川の最大手と言われる会社です警備のランキング的には40位か60位くらいの警備会社です。
それなのに「手取8万円」にされたのが悲しい思い出でした。それでも正社員と信じて働きましたが、初ボーナスは…
ボーナス1万円
でした。正社員なのにマジでやる気失せましたね。その時の僕は負のスパイラルを渦巻いてたのは知らぬ間に精神がおかしくなってたのかもしれないです。
あれこれ3〜4年ほど勤務してると、知らないうちに人のいない勤務地のロッカー室で奇声を上げてたくらいです。なにせ24時間勤務してからそのまま日勤に入る。36時間労働が当たり前にシフト組まされましたからね。その分稼げましたけど、身も心も壊れかけてました。若かった僕からしたらそれがなかなか気が付かなかったのかもしれません。そして施設内の壁にも蹴りを入れて穴を空けたこともあります。その神奈川最大手の警備会社の社長に「お前は懲戒免職だ」と通告されました。それで支社長達が待ったをかけてくれました。当然頭坊主にして菓子折り持って謝りましたよ。耐え難いパワハラや一方的に自分が悪いという負のスパイラルをみなさんは耐えられるだろうか? 多分ドスやナイフ持って〇してると思いますね
人が叱ってるのに笑ってたり、物忘れや遅刻も多かったため、一般的なことが出来なかったのだから一生懸命やってるつもりが上手くいかないことが多かったのです。能力の問題と感じてたため、自分の非を認め謙虚な姿勢で見つめ直すことになってました。「何をしても自分が悪い」こうなっていた訳です。当時は自信が無かったし学生時代の虐められたフラバもありますから、結構周りから避けられることが多かったですね。人を信用したり託したりしても時には裏切りがあります。本当にそうだと思いました。当時、現役の頭文字dのプレイヤーだった僕ですが、お金の貸し借りにしても自己責任
で終わってしまうのです。だからこそ信じれるのは磨き続けた己自身だと感じたのがこの瞬間です。例え、誰かに相談したり、現場に助けを求めても結局の所、軽く落ち着かせる程度で、根本的な溝を埋めない限りは解決になんてならないのです。僕は心からそう思いました。それがなんなのか分からないまま30代まで働いて老後まで年金収めて過ごすという目標にしました。その時27歳には危険物取扱者乙四類も取得してなんとか手に職付けられたのが良い思い出でしたね
やはり現実は甘いものじゃないです
「老後2000万問題」が起きました。そして更に言ってしまえば今年の2024年に入ってから4000万円問題にもなっており全国民の日常生活に大ダメージが追撃となったわけです。
僕は何度か8回ほどの転職しましたが、その中で設備に入社して、そこで自衛消防技術認定を取得しました。ビルメンは楽だと聞いて入りましたが、中小企業のビルメンのため、委託業務に頼まずに自分たちで水漏れの配管を修理していたのです。本当に予想外でした。本来点検して原因を管理のオーナーにお伝えして、絶縁テープなどで補強するのかと思ってたら自分たちで治すのです。
もはや修理屋やん!!
ってなりました。なぜビルメンでTOTOみたいなことやらなあかんのか理解不能でしたので半年後に退職しました。
危険物取扱者取ったのも資格を取ることで手に職つくしビルメンの条件でもある発電機等の給油もできるので、安定的な収入が入ると思ってビルメン目指したのに見事打ち砕かれました。ほかの転職先を探しても、何処も経験者を募集してるところが多くて、ビルメンの配線図の見方や電気回路なども難しくて覚えられませんでした。その時の僕はメモに気を取られてしまい肝心な現物も見れないことにもなりました。それが自分のマルチタスクの低さなんだと自覚しました。そして設備を退職して結局警備業として働く道となるわけです。
その後僕は現場を4件ほど掛け持ちで働くこともありました。その時にはメンタルがとうに限界を超えてました。急に固まったように思考が停止することもありました。普段のことが出来なくなってしまっていたということです。そこで警備現場に話をして、精神科病院へいきました
スマホで原因となるワードで検索したら精神科が出たのです。当直の明けから帰って秋葉原の精神科で普段の仕事が出来なくなったこと、そして仕事での過去の出来事を打ち明けました。そしたら…
「貴方それ鬱病だね」
これがアンサーでした。しかも初診日に即答でいわれました引きこもる体質でもないのに鬱病なんですか? と問いました。病院から診断書を書いてもらいすぐに現場に向かい責任者にお伝えしました。隠蔽されるリスクも考えられるので、診断書を事前にコピー取り提出しましたそしたら、休職となりました。
あれこれ仕事から2年ほど離れてますが、傷病手当金、失業保険、障害年金を節約していった結果、資産100万円になりました。余剰金がなかったので口座だけ作って2年ほど出来ませんでしたが、今現在は運用してます
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144722583/picture_pc_487b9c4b93b0e3e08a3f888329b2746c.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144722584/picture_pc_91425670f41c91faa0aafb590022414e.png?width=1200)
現在は1ヶ月目ですが、140万にはなってます。このまま億り人になれれば生活も安泰だと感じてます 人生で1番若い日です。
次回はオススメ投資本や国の制度などを詳しくお伝えしようと思いますのでよろしくお願いいたします。
ではまた!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?