見出し画像

これって鶴舞公園じゃね?

こんにちは南仙台の父です。
ちょっと今回は色々なネタが雑多に混じった話です。
たまたま家内がNHKの朝ドラを見ていた時に通りかかったら見たことのあ
る風景が映っていました。
「これって鶴舞公園じゃね?」
今回はその鶴舞公園についての話です。

今朝ドラとして放映されている「虎に翼」は名古屋でロケを行っているら
しく、今回話題の鶴舞公園だけでなく市政資料館などもロケ地になってい
るようで、その人気に便乗したロケ地ツアーなども行われているらしいで
す。
鶴舞公園は私にとっては庭みたいなもので、まさか仙台で鶴舞公園の様子
がテレビで観られるとは思ってもいませんでした。
今回はそんな鶴舞公園の話題です。

写真は名古屋市の公式から借りて来た写真です。
鶴舞公園から北に向いて写真を撮るとこんな感じです。
真ん中に見える構造物もロケでは使われていたらしく、この辺りでのロケ
の様子なども番宣の記事などで見ることができます。
そうです、ここで伊藤沙莉さんや岩田剛典さんとかがロケをやっていたわ
けです。
ちなみに私は岩田さんの小学校の先輩に当たります。
この方は名古屋でも超有名な某靴メーカーの社長の息子さんです。
写真の奥に見えるのが公会堂です。
大学の頃はここでロック・ジャズ系のライブが観られたので何度か入った
こともありました。
その右奥には写真では見えませんがテニスコートがあったり、更にその奥
には名古屋大学の附属病院とかもあります。
ロケで撮影された映像には綺麗にこの2つがカットされています。
そりゃそうだろ、時代背景的に夜間照明のあるテニスコートや立派に立替
えられた大学病院なんて映ったらマズいですから・・・。

鶴舞公園は明治時代の頃にでき、汎太平洋平和博覧会の際に今に近い形に
整備されたという歴史のある公園です。
都心から僅かの距離にあって春は桜の名所としても知られています。
また、広い敷地内には県立図書館やグラウンド、更には日本庭園や児童公
園など、様々な施設があってかなりの広さがあります。
公園の奥の方には古墳もあったり、最近はコスプレの聖地をしても有名に
なっているようです。
その昔はここに初代の動物園があったそうですが、今は東山に移っており
東山動物園も植物園と合わせると広大な面積があります。
ちなみにここでボートに乗るとカップルが分かれるという都市伝説もあり
、わざわざここまでボートに乗って別れに来るといったカップルもあった
と言われています。(東京の井の頭恩賜公園みたいな感じです。)
脱線しちゃったので鶴舞公園に話を戻しましょう。
鶴舞公園は元々は沼地のような場所を博覧会のために埋め立てなどを行っ
て公園にした場所でした。
博覧会に合わせて国鉄の駅(今のJR中央線)、市電も開通といった形にな
ってその後の市域拡大に貢献したとも言われています。
そんな由緒正しい公園なので、実際に行ってみるとまた良いのではないか
と思います。
季節ごとに花が咲く場所もあって散歩を楽しむ人も多いです。
グラウンドでは某予備校の運動会などもあって、それなりに楽しめます。
図書館も今はカフェとかもあるらしいです。

なぜこんなに詳しいのかと問われると、鶴舞公園の東隣りに私が通った大
学があります。
公園の東奥には竜ヶ池という池があって、その反対側に今は綺麗に建て替
わってますが、私の通った大学がありました。
ちなみに自宅は大学から徒歩10分程度なので、JR鶴舞駅・地下鉄鶴舞駅ま
でと時間はあまり変わらないくらいの所に住んでいました。
だから、自分の庭みたいな場所と言って差し支えないかと思います。
実はそれ以外にもちょっと鶴舞公園は私にとってはいわくつきの場所でも
あります。
私の通っていた大学は元々は2つの高等工業専門学校が終戦後に合併して
できた大学でした。
今の鶴舞公園横以外にも場所はあって、私が通っていた時代は学生寮にな
ってましたが、今の大学敷地がメインの高等工業専門学校のキャンパスだ
ったところでした。
私の遠縁の親戚がここに通っていたそうで、この方はその後兵役に取られ
てシベリアで抑留されて、日ソ国交回復まで日本に戻って来れなかったと
いう話でした。
元々は私は若い頃とにかく家から出たい、一人暮らしがしたい、親から離
れたい一心で進学先を探していましたが、この遠縁の方の念が籠っていた
からか、私の浅はかな考えを戒めるためか、私は結果的に自宅から徒歩10
分という場所に進学する羽目となりました。
友だちの下宿よりも私の自宅の方が近かったかもしれません。
バイトに行くにも大学に行ってから、地下鉄に乗って行くことになります
ので、大学を出てからひたすら鶴舞公園内を歩いて地下鉄まで歩くことに
なります。
ちょうどテニスコートの前では怪しげなオジサンたちが鼻の下を伸ばして
テニスに興じる女性たちを観ていました。
今なら間違いなく痴漢として扱われるでしょうが、昭和の時代はまだまだ
こんなことは当たり前だったのでした。
桜の時期は本当に最悪で、もちろん宴会の場所取りの間を通るという最悪
さもありましたが、何といっても葉桜になってからの毛虫の雨の下を通っ
ていかなければならない辛さがありました。
今でも思い出すとゾッとしますが・・・。

鶴舞公園は昭和初期からあるので、もちろん戦争も体験しているわけです
が、なぜか建物や構造物は米軍の爆撃から逃れていました。
だから、公会堂やら奉楽堂やら普選祈念壇などが今の残っています。
これらは戦争前と同じ状態で残っているところも多いので、名古屋市も積
極的にこうした点をアピールしてロケ誘致をしています。
名古屋って観光人気ないですからね・・・。
この鶴舞公園は戦時中はその広大な場所を利用して、空襲などで亡くなっ
た人などを収容する場所として使われたこともありました。
私の祖母と叔父さんが空襲で亡くなり、鶴舞公園に収容されたため祖父が
遺体の確認に行ったそうです。
もちろんかなり遺体は損傷してますから何とか身元確認できたというのが
実態のようですが、叔父さんの方は手の指がすべて吹っ飛んでなくなって
いたそうでした。
今でも鶴舞公園の中でちょっとイヤな感じがする場所が何ヶ所かあります
が、おそらくその場所が収容場所だったのかもしれませんし、祖母や叔父
さんが収容された場所なのかもしれません。
昼間はかなり人でも多い公園なのであまりそんな感じはありませんが、逆
に夜になるとかなり寂しい感じになります。
バイトから大学に戻ることも結構あって、特に研究室に在籍する最終年は
こうしたことが多かったです。
公園を歩いていると後ろから気配がしたり、前を何か横切ったような感じ
がしたり、変な光が見える・感じるといったものもあります。
影が見えるのもしょっちゅうだったと思います。
朝ドラのロケ写真とか見て見ると、夜に撮影したと思えるスチール写真も
ネットで公開されていますが、ちょっと怖くて私は見られません。
だって、本当に怖い感じがする場所なんだから・・・。

そんな様々な想いが交錯する鶴舞公園ですが、何と今年は開設から115年
だそうです。
ロケ場所を巡るもよし、バラなどの花々を観るもよし、単純に遊ぶもよし
、心霊スポットとして巡るもよし、そんな鶴舞公園です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?