両親に感謝する日々

母が亡くなり四十九日の法要も終わり
少しずつ日常に戻るなかで、よく両親のことを考えます。

私の両親は第一子(姉)を亡くしています。
私が生まれた二日後に川に入って死にました。

両親が姉のことを話すことはほとんど無く、その当時のことは周りの方から聞いたことばかりです。

亡くなった当時、父は飲んでは「娘が帰ってこない」と自転車で探しに出かけて帰ってこず、舅(母親の父親)が遠くまで自転車で探しに出かけていたそうです。
帰っていないことが分かったということは、父のことは祖父が面倒をみていたのかもしれません。

母は私を生むために病院に入院していました。
誰も見舞いに来ず、退院予定日を過ぎても退院させてもらえず、途中から別の病棟に移されて、何かあったと感じていたところ退院と同時に父の実家に連れて行かれたそうです。

私の祖母はお灸の先生で自宅で仕事をしており、私は独身の叔母に面倒をみていただいきました。
このことは誰も教えてくれなかったので知りませんでしたが、三年前急に叔母が家に尋ねて来てその当時のことを話してくれました。
多分祖母が母のメンタルフォローをしていたのだと思います。

そう考えてみると、私は3歳までの写真がほとんどありません。
どこかで撮られた赤ちゃんの写真が3枚だけ。
でも若い頃の叔母に抱っこされている写真なので、誰の写真なのか分からなかったのです。

子供の写真を撮る心の余裕なぞ、子供を亡くした若い夫婦には無かったのだと思います。
妹が生まれ、いちからやり直そうとしたのでしょう。
妹が生まれた後はちゃんと写真が残っています。

姉は目が悪く、一人では歩けませんでした。

死因に関して両親は口にしませんでした。
口にすると感情のコントロールが出来なかったのかもしれません。
川で死んでしまったことは当時新聞にも載ったため
宗教関係の方が何度も何度も入信の誘いに来たそうです。
なので両親は宗教関係が大嫌いでした。

両親は夫婦仲が悪く、父はいつも飲み歩いてばかりでした。
お金が無くても飲み歩くのでいつも借金ばかりです。
母は父が帰ってくれば飲んでいることを罵倒し、私と妹にいつも父親の悪口を言っていました。
そんな風に育てられたため、自分が子供を育てる歳になるまで本当に父が駄目な人間だと思っていました。
でも、あんなにヒステリーな奥さんと懐かない子供の家には誰だって帰りたくない、と今になれば分かります。

どちらも生き方が下手だったのでしょう。
両親なりに家族でいる努力をしてくれていたのだと思います。

みようとしないことは何もみえません。
誰が悪いということではなく、どうしようも無いことが世の中には沢山あります。
子供を亡くした親の心は誰にも分りませんし「気持ちわかります」なんて言えるはずもありません。

本当のことだからと言葉に出すことが善ではなく、黙っていることや曖昧にしておくことが皆の幸せになることは大人にならないと分かりません。

生きていて辛いことが多かった二人だと思います。


大人になり、私と妹どちらも子供が小さい頃に離婚をして実家に戻りました。

父は66歳の歳で亡くなりましたが、孫をとても可愛がってくれました。
一番の感謝は4人を平等に扱ってくれたことです。

母も仕事を辞めて男の子の孫4人の面倒をみてくれました。
私にはできないことです。

孫たちに沢山の愛情を注いでくれたことに感謝しかありません。

亡くなって悲しい気持ちはありますが、やっと会えたお姉さんと幸せに過ごしていることを願います。

生んでいただきありがとうございました。
寂しさは勿論ありますが、幸せに暮らして心配をかけないようにしますね。



読んでいただきありがとうございます。



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