親の看取りについて

母親が先週老人ホームから病院に救急搬送されました。

私は仕事のため、妹と甥に医師の説明を聞いてもらったところ、「今日・明日が峠」との話があり、娘2人と妹の長男以外の孫と伯母と甥とでその日の夜に少しだけ面会をしました。

脳幹出血があり、意識や運動機能部分の脳が全て死んだため、もう意識は戻らないとのこと。

「最後に会いたい」と遠方に居る妹の長男も先週のうちに帰省し、私の長男も再度関東から帰省して面会をし、皆でまずは生きているうちに会えたことに感謝しました。


おかげ様で峠は越え、容態が安定し、今週火曜日に医師から病理説明がありました。

選択肢は3つ。
意識は戻らないけれど、何がなんでも生きて欲しいなら胃にずっと栄養と薬を入れるか、そこまではしなくとも血管から栄養を入れるかの選択。
そうでなければ積極的な治療はせず点滴だけで体力が続くまで生きてもらう選択。

私は、積極的な治療はせず点滴だけ続けて自然に亡くなるのを待つことを病院にお願いしました。

積極的治療をしないため病院には居られず、看取り専門の病院に申し込みをし、来週申し込み先の病院の方と面接をしてから転院することになっています。


その他に、点滴も止め、今まで入所していた老人ホームに看取っていただくために戻すという選択肢もありましたが、自宅で看取らずに、行きたくないと言ってた特養に戻して看取ってもらうことには抵抗がありました。

老人ホームに入れた時と、死ぬ時まで自宅に戻さないという【親を捨てる選択を2回もしたんだ】・・・と日に日に申し訳ない気持ちになります。

でも、もっと後悔しているのは「みんな覚悟したし、すぐに亡くなってくれたら…」と一瞬考えた自分。


ずっと考えていますが、でもやはり自宅で看取る自信はありません。


「お金のことは考えないで。こんな時に頼らないでいつ頼るの?」と言ってくれる長男。
「本人もそう思っているよ」と言ってくれる妹や甥っ子。

幸せな環境に感謝しなければ。

もし先月倒れられたら、腎臓癌の手術で入院していたので葬儀の喪主も参列も出来ませんでした。

搬送される前日に手術の説明と経過を聞き、当日はひと月ぶりに仕事に復帰していました。

「待ってたんだよ」
言われてみれは本当にそうです。

こんなに子供思いの母親です。
自分のことばかり考える私の選択を「それでいいよ」と肯定してくれると思います。

看取りとはなんと切ないことでしょう。

きっと後悔はしますが、まずはこれから訪れる母親の死を受け止めていきたいと思います。


読んでいただきありがとうございます。

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