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誰かの為ではないことが、誰かの為になることがある

Instagramのストーリーは、ハードルが高い。

ストーリーとは、自分で撮った写真や動画をネット上に公開できる機能だ。友達いわく、公開後24時間で自動的に消える仕組みになっており、気軽に公開できるらしい。

わたしも、ストーリーにあげたい出来事がまったく無いわけではない。友達と美味しいご飯を食べに行ったとき、きれいな景色をみたときには、「ストーリーにあげる」というコマンドが作動する。

しかし、わたしの脳はそれを拒否する。
「お前は充実した日々をみんなに自慢したいのか?」
「お前はこんな日常を公開してどうしたいんだ?」
そんなことを勝手に考えてしまうから、別にストーリーをあげる必要はないかという結論を出すことが多い。

たしかに、自意識過剰で考えすぎなのかもしれない。でも、無意識に考えてしまうのだ。お腹が減ったらご飯が食べたくなる。夜になったら眠たくなる。それらの感覚と同じように、わたしは自分を開示することで相手がどう思うかについて考えてしまう。

わたしは、自分が傷つくことを恐れているのだ。だから、自己開示をしないことで、他人に評価されることから逃げている。傍観者になることで他人の攻撃から身を守る。そんなずるい人間なのだと思う。


では、今なぜ自分の感情を開示しているのか。自分の気持ちや行動を文章にして、ネット上に公開しているのか。

それは、自分の為である。
打たれ弱いのに強がりで、純粋に生きたいのに狡猾で、孤独が怖いのに群衆が嫌いで、他人から評価されるのが怖いのに自分に自信がある。そんな自分の中の矛盾をしっかりと認識するためである。

「わたしは矛盾に満ちている」という事実を、自分で思い知るために文章を書く。ダイエット企画などで最後にビフォーアフターの写真を比べることで、身体の違いがより明確にわかるように、今の自分の気持ちを文章に残しておくことで、過去の自分の考え方との違いに気づくことができると思う。

これが、わたしがNoteを始めた理由の1つだ。
世界一周をしている人のように、人生をコンテンツ化する気もないし、どこかの起業家のように、自己啓発をして教祖になる気もない。

ただ、ネット上に公開することで、自分の文章を読んでくれた世界の誰かが、自分にも味方がいると思うきっかけになれば、それは嬉しい。人間は社会的な生物だから、自分の味方がいると思うことができれば安心できる。

「誰かの為ではないことが、誰かの為になることがある」
あるエッセイに、こんな言葉があった。

だから、わたしは自分の感情を文章に残し、みんなに公開する。
ストーリーのように24時間で消えないので、後悔することもあるかもしれないが、それはそれでいい。

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