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古代ギリシアの原子論(デモクリトス)

ソクラテス:今日は、古代ギリシアの知恵者デモクリトスさんと話す機会を得ました。彼は私の同時代人で、万物が「原子」という見えない小さな粒子から構成されていると考え、その組み合わせや運動によって世界が成り立つと説いた人物です。デモクリトスさん、まずその着想の背景を教えていただけますか? どうしてこの「原子」という考えに至ったのでしょうか?

デモクリトス:ソクラテスさん、お招きありがとうございます。実は、私の発想の背後には、パルメニデスの哲学があります。彼は「変化するものは存在しない」と唱えました。パルメニデスによれば、「あるものはあるのみ」であって、「有」が「無」になることはありえません。真に存在するものは不変であり、生成や消滅、分割もあり得ない。変化や多様性は私たちの知覚に現れる幻だというのです。

ソクラテス:なるほど、それは大胆な主張ですね。変化は単なる幻にすぎず、真実には存在しないと。ですが、私たちは日々、ものが生まれたり、成長したり、朽ちていくのを目にします。それがすべて幻だというのは、なかなか納得しがたいことです。デモクリトスさん、あなたはその思想をどのように受け止めたのですか?

デモクリトス:私も、彼の考えには敬意を抱きつつ、腑に落ちない部分がありました。確かに、すべての物事がある日突然に生じ、消えていくのではなく、何か不変の基盤があると考えるのは自然で魅力的です。しかし、それでも「変化するものは存在しない」という結論には賛同できませんでした。私たちが日々体験する生と死、成長と腐敗、これらの現象を説明できなければ、哲学の役割を果たせないのではないかと感じたのです。

ソクラテス:ふむ、そこから原子論に発展していったのですね。どのようにして「原子」という不変の存在を想定するに至ったのでしょう?

デモクリトス:パルメニデスさんの存在論が強調する「不変性」を受け入れつつも、私はそれを異なる形で解釈しました。つまり、万物が「見えないほど小さく、これ以上分割できない硬い粒子(原子)」から成り立っていると仮定したのです。こうすれば、世界の変化と多様性を説明しつつ、真に不変の要素である「原子」の存在も維持できます。つまり、変化とは原子の組み合わせや運動に基づくものであり、物質の性質はその結びつきによって決まると考えたのです。

ソクラテス:なるほど、原子を不変の粒子とすることで、パルメニデスの「不変性」の要素を保ちながらも、私たちが経験する変化を説明できるとお考えになったのですね。では、この原子は具体的にどのような特徴を持っているのでしょうか?

デモクリトス:原子は非常に小さく、それ以上分割することができない硬い粒子です。そして、原子には様々な形状や大きさがあり、空虚な空間(ケノン)の中を無数に動き回っています。この動きと結びつきによって、物質や現象が生じるのです。変化とは、原子が組み合わさったり離れたりする結果に過ぎない、というわけです。

ソクラテス:では、その動きや結びつきはどのように決定されるのですか? まるで意志を持っているかのように動いているようにも思えますが、どのように理解されるべきでしょうか?

デモクリトス:原子に意志はありません。ただし、それぞれの原子は固有の動きや結びつきの特性を持っています。異なる形状の原子が互いに引き寄せられたり、反発し合ったりすることで、物質が形成されるのです。例えば、滑らかな形状の原子が絡み合って甘みを生じさせたり、鋭い形状の原子が苦味を生じさせたりするといった具合に。自然の法則というべき秩序に従い、原子は結びつき、分解し、世界の多様性を生み出します。

ソクラテス:その視点から見れば、物質や自然現象が明快に説明されるようです。ところで、デモクリトスさん、それならば私たちの意識や思考もまた、原子の組み合わせの一部に過ぎないということになるのでしょうか? 魂や意識のような非物質的なものも原子によって説明できると?

デモクリトス:はい、そう考えています。人間の思考や意識も、脳内で特定の原子が特定の配置と動きを取ることで生じるものです。魂や意識も物理的な存在にほかなりません。特に軽く速やかに動く形状の原子がこれに関与していると考えています。こうした原子の組み合わせが解体されるとき、魂も消散し、死後の世界や不滅の魂は存在しない、というのが私の見解です。

ソクラテス:すべてが原子の運動の結果だとするならば、人間の自由意志や選択もまた、原子の動きによって決定されることになりますね。私たちの行為や生き方に自由や意志があるという考えは、やはり幻想に過ぎないのでしょうか?

デモクリトス:はい、自由意志も原子の運動の一環に過ぎないと考えています。人間の意志や行為も脳内の原子の配置や動きの結果として生じ、私たちの選択や決定もある種の必然性に沿っているのです。偶然的な原子の動きも一部にはありますが、全体としては自然の法則に従っています。

ソクラテス:そうだとすれば、私たちの行為や選択に道徳的な意義を見出すのは難しくなりませんか? デモクリトスさんは、私たちの選択が単なる原子の運動の産物に過ぎないとしても、美徳や正義といったものに価値があると思われますか?

デモクリトス:その点については考えましたが、美徳や正義はやはり価値あるものだと考えています。なぜなら、私たちが感じる幸福感や安定感もまた原子の運動によるものですし、原子が無駄な争いや摩擦を避け、調和する生き方こそが平穏をもたらすからです。美徳とは、原子がうまく調和することを指し、それが人間にとって望ましい生き方を導くのです。

ソクラテス:つまり、調和ある生き方が幸福をもたらすからこそ、美徳や正義が追求されるべきだと。だとしても、すべてが機械的な運動で決まっているとすれば、私たちが美徳を選ぶか否かも原子の運動によって定まっているのではないでしょうか? 人間の尊厳や道徳的な価値の根拠が薄れてしまうように思えますが…。

デモクリトス:確かに悩ましい点です。しかし、私たちが感じる幸せや平穏も現実の一部であり、それを求めること自体が自然な欲求です。たとえ選択が機械的に決まっていたとしても、調和ある生き方を求めることは人間として自然な姿勢です。

ソクラテス:意識が機械的であるとしても、調和が幸福を導くという考えには、確かに説得力がありますね。あなたの原子論はパルメニデスの哲学に対する鮮やかな応答になっています。しかし、デモクリトスさん、私にはやはり引っかかるものがあります。あなたの原子論が自然の現象を驚くほど明快に説明することには敬意を表しますが、人の生き方や道徳もただの物理的運動として捉えることには、どこか本質を見逃している気がしてなりません。私たちが何を善いとし、何を目指すべきかを問い続けること、そこに人間としての真の意義があると私は考えています。人間がどう生きるべきかという問いに対して、私たち自身の考えや意志を忘れることなく、さらなる探求を重ねるべきではないでしょうか。

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