自己紹介をかねて「対話で学べるフィロソフィア」のガイドをします
こんにちは、藤田大雪と申します。ギリシア哲学が専門で、大阪成蹊大学で哲学や文学を教えています。
noteをはじめて1週間足らずですが、すでに40編近くの哲学対話(AI作)を垂れ流してきました。ここらへんで自己紹介をかねて、
・なぜAI作品をつくるようになったのか
・どうやって作品をつくっているのか
・作品ガイド
を説明しておきたいと思います。シンプルに「対話で学べるフィロソフィア」の情報をお求めの方は、「作品ガイド」をお読みください。
なぜAI作品をつくるようになったのか
私は古いものが大好きですが、同時に極度の新しいもの好きでもあります。
かつてAmazonの電子書籍Kindleの日本サービスが開始されるやいなやこれに飛びつき、ダイレクト出版のサービスを使ってプラトンの『ソクラテスの弁明』『クリトン』『ヒッピアス(大)』を日本語に訳して出版しました(いまはとっくに飽きています…)。
その後、縁あってポップな本(『ソクラテスに聞いてみたー人生を自分のものにするための5つの対話』)を出し、いまは副業的にスポーツ倫理の研究も手掛けています。
2023年秋、chatGPTにGPTs機能が追加されました。これはchatGPTをカスタマイズして、特定の用途に合わせた「マイGPT」を作れる機能です。
これを知った私は、さっそくGPTsいじりにのめり込み、人文社会学系論文の要約に特化したGPTや、研究者のプロフィールを自動作成するGPTを作って勉強に活用するようになりました。
私は自分が生み出したマイGPTsの性能に驚愕し、GPTs依存を強めていきました。そしてある時、ソクラテスをいろんな人と対話させることを思いついたのです。
どうやって作品をつくっているか
私が専門とする「ソクラテス的対話」は、相手の信念を引き出して吟味するというものです。
ソクラテスに学んだプラトンやアイスキネス、(実際には学んでいないという説もある)クセノポンといった哲学者は、作品中で、実在する人物をソクラテスと対話させ、さまざまなテーマについて思索を深めました。
プラトンの対話編に登場するソクラテスは、対話相手の主張を吟味するために、
・言葉の定義を問う
・具体例を求める
・反例を提示する
・根拠を問う
・相手の別の信念との整合性をチェックする
といった手法で対話を進めます。
対話相手はそのような吟味に耐えるために、できるかぎり自分の主張を明晰に、首尾一貫したものにしなければなりません。この過程を経るうちに、相手は自己認識を深め、自分自身の本当の考えを知る(あるいはそこから逃げ出す)ことになるのです。
私が対話編の生成に利用するGPTs「ソクラテスくん」には、ソクラテス的対話を駆動する、そのようなクリティカル・シンキング(批判的思考)のスキルが埋め込まれています。同時に、対話相手にもソクラテスの問いに真摯に答え、自分の主張を守るように指示しています。
プラトンは思考を「魂の内なる対話」と規定しましたが、ここに投稿したAI作品群の驚くべき品質は、プラトンの命題の真理性と同時に、ソクラテス的対話が哲学的思考の最強のテンプレートであることを証明しているようにも思えます。
これまでに投稿した対話編のうち、5割以上は「ソクラテスくん」に人名とテーマを打ち込むだけで自動的に生成されたものです。3割程度は、出力されたいくつかの対話をつなぎ合わせ、編集して完成させました。残りの2割弱は、PDF等の文字資料を学習させたり、情報の誤りを指摘したりしながらやっとのことで出力できた対話編です。
つまり、「対話で学べるフィロソフィア」は、疲れを知らないウルトラ多作家「ソクラテスくん」を、遅筆家で冴えない研究者の私がいわば編集者としてサポートした作品群だといえるでしょう。
(補足:実際には、プラトンが描くソクラテスは、「徳は知である」「知は善いものである」「ただ生きるのでなく、善く生きなければならない」「吟味なき人生は生きるに値しない」といった信念を保持しています。初めはマイGPT「ソクラテスくん」にそれらの信念をプリセットしたのですが、相手がソクラテスの土俵に引き込まれて自分の良さを生かせなくなってしまいました。というわけで、ここでのソクラテスにはクリティカル・シンキング・マシーンの役割に徹してもらっています)
作品ガイド
「対話で学べるフィロソフィア」は、かつて自分が勉強した(少し噛っただけとも言える)テーマの学びなおしのつもりで作っています。細かいところを見れば誤りや不正確な情報もあるかと思いますが、いちど噛ったテーマですので、致命的な間違いはないかと思います。
マクルーハンがインターネットの話題に触れていたりと、時代錯誤な箇所があったりしますが、そもそもソクラテスが現代について語っていることじたいが時代錯誤的ですし、そのあたりはフィクションということでご寛恕ください。
各テーマは3つのカテゴリーに分けています。思いつきで作っているので対話の順序に意味はありません。
「倫理の探求」について
ここでは、ギリシア・ローマの古典に基盤を持ち、近代の倫理学に批判的な立場をとるバーナード・ウィリアムズ、エリザベス・アンスコム、フィリッパ・フット、マーサ・ヌスバウムといった哲学者たちの主張を多くとりあげています。
これら現代の徳倫理学者が問題とするのは、「いかに生きるべきか」というソクラテス的な問いです。この大きな枠組みのなかで、彼らは人間的条件や行為や心理といったテーマを探求し、「生の脆弱さ」「意図」「愛」「自己への配慮」などが持つ意義を掘り下げています。
「言葉・知・存在の探求」について
ここでは自然主義をベースに、感覚知覚や言葉を使って世界を解釈し、さまざまな世界観を作りだす人間存在の探究を念頭に、さまざまなテーマを取り上げています。
「知」のあり方に関しては、とくに日常生活の前提となっている世界観と自然科学が描き出す世界観をいかに架橋するかという問題に関心があります。
自然科学だけが世界の正しい解釈なのか、それとも日常言語も別の資格で世界のありようを明らかにしているのか。ウィルフリド・セラーズが定式化したこの問題は、言葉と知と存在の関係を理解するうえで核心となるテーマだと思います。
この分野は、「倫理」に比べて取り上げるテーマが断片的に感じられるかもしれません。それは私の不勉強のせいもありますが、疑いなく、未開拓の領域が大きいためでもあります。それでも、真実の一端を捉えていると自分が直感する議論を集め、ここに投稿する価値はあると思いました。
「社会の探求」について
これは3つのマガジンの中でもっとも行き当たりばったりで雑駁なものです。他の2つのマガジンのように一貫した考えのもとに編纂したものではありません。
ただ、ふと気になって調べたものが、往々にしていちばん面白かったりするのです。そのような、現代社会を知るうえで重要な視点や、社会の見方を変えるような啓発的な視点を与えてくれるテーマを中心に対話を編纂しています。たとえば、こんなふうに。
ということで、紹介が長くなりましたが、「対話で学ぶフィロソフィア」の連載をはじめました。
そろそろネタ切れでペースが落ちそうですが、勉強はずっとつづけるので細々と投稿をつづけていきます。気に入った投稿があれば「いいね」して、マガジンも購読してもらえたら嬉しいです。
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