写真は愛で変わるのか

 被写体への愛とか想いのような感情が写真に現れる、という話がイマイチ理解できない。それは単に自分がそれを理解できるだけのものを持ち合わせていないだけなのだろうが。

 そもそも同じ場所同じ時間同じ機材同じ設定で撮った写真は原理的に同じものにならなければおかしいので、そこに撮影者の感情が入り込む余地はないだろうと思っている。そして設定や構図は撮影条件や知識などによって決まるだろうし、機材を決めるのは経済力だ。愛ではない。

 などと言うと、より良い構図や設定を模索するのは被写体への愛があればこそれはないかと思われるかもしれない。しかし、より良い写真を撮りたいという感情は、被写体への感情とは関係なく存在していると思う。撮影者のエゴと言ってもいいだろう。

 そしてわたしは写真を見ても撮影者が被写体へどのような感情を抱いているかを察する事は恐らくできないし、それが出来るという人も、事前に得た撮影者に関する情報を元に推測しているだけではないのかと疑ってしまう。

 というような話に説得力を持たせられるだけの写真を撮れるようになりたい。

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