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第100回「歴史総合と公共の接続を考える」

 記念すべき第100回研究会は、「歴史総合と公共の接続を考える」というテーマで、3人の先生方にご発表いただきました。今回発表していただいた3人の先生とも、兵庫県内の公立高校に勤務しておられます。
 今回は、一人一テーマとして、3人に以下の3つのテーマについてご発表いただきました。

1.         「公共」と「歴史総合」を同学年で履修する場合の接続について
2.         「公共」を履修した後に「歴史総合」を履修する場合の接続について
3.         「歴史総合」を履修した後に「公共」を履修する場合の接続について

1.「公共」と「歴史総合」を同学年で履修する場合の接続について


〇なぜ「公共」と「歴史総合」を接続するのか
 「公共」と「歴史総合」の目標、方法、内容は大きく重なっている部分があります。
 まず両科目の目標は共通して、「平和で民主的な国家・社会の形成者の育成」であり、学習方法はどちらも問いを設定し、課題を追究していく形をとっています。そして、現代的な諸課題の追及、解決が重視されている点も同じです。
 ただし、現代社会の課題を考える上での「見方・考え方」や、それぞれの科目の得意なことは異なります。例えば、「公共」では、法、政治、経済、国際など社会諸科学の学問領域を系統的に学習することが可能で、現代の諸問題を扱うことに無理なくつなげることができます。他方、「歴史総合」では、過去を事例に社会諸科学の概念を適用させるケーススタディが可能であること、複雑すぎてわかりにくい現代の諸問題を、一歩引いた目線で、単純化してとらえることが可能であるといった特徴が挙げられます。
 このように、それぞれの科目の特性があるからこそ、互いに補い合う視点をもつことで、両科目が育成を目指す「平和で民主的な国家・社会の形成者」としての資質・能力を伸ばすことができるのではないでしょうか。

〇実践から見えてきたこと
 発表者は「公共」において、「政治参加と公正な世論の形成-インターネット投票の是非を考えよう」という単元を実施しました。政治参加に関わる重要な課題の一つが「投票率の向上」であるという課題意識のもと、地元の市町村でインターネット投票を導入するべきかどうかについて多様な市民の立場から検討し、導入の是非を提案するという学習課題を設定し、学習を進めました。
 実践を進める中で発表者は、「投票率の向上」が自明の課題であるということが前提となって学習が進んでおり、「そもそも、なぜ選挙に行く必要があるのか」、「投票率が下がると何が問題なのか」、「そもそも、選挙で代表を選ぶことにはどんなリスクがあるのか」といった、選挙制度の本質にせまる理解を促す機会が抜け落ちてしまっていたことに気づきました。その結果、厚みや重みのない学習になってしまったのではないかと実践を振り返って感じました。
 この単元であと少し深めるべきであった、「国民の中から代表を選ぶことが必要となった背景」や「選挙でこれまで排除されている人々が存在していた問題点」、「選挙で代表を選ぶ議会制民主主義の限界と課題」といったテーマについては、歴史総合でこそ事例とともに学ぶことが可能です。このことから、「公共」と「歴史総合」が相互補完することにより本質的で深い理解に生徒を導くことができるという観点から、「公共」と「歴史総合」の接続は積極的に意識していくべきではないでしょうか。

2.「公共」を履修した後に「歴史総合」を履修する場合の接続について


〇「公共」の後に「歴史総合」が開講される場合、「歴史総合」との連携を視野にどのように「公共」の学習を進めるべきか?

 上記の問いに対する発表者の仮説は、以下の通りです。

時空間のスケールを調節する視点を「公共」に先行的に組み込むことは、「歴史総合」における現代社会の諸課題の多面的な追究に効果的に働くことになるのではないだろうか?

 「歴史総合」で現代的な諸課題を追究したり解決していく際に重要だと考えられる視点の一つに、「時空間スケールの調節」が挙げられます。空間的なスケール(例えば、国内の一地域・国・「東アジア」等の地域など)については、ある一つの歴史的事象の解釈や評価が空間的スケールの大きさによって変化することに着目し、多様な空間的スケールから歴史的事象について考察していくことで、多元的かつ本質的な解釈・評価が可能になると考えられます。時間軸のスケール(過去・現在・未来)については、「過去は過去、今は今」というように個別に取り上げるのではなく、「現代社会の課題はどのような過去を経て成立したのか。また、それをふまえてどのようなよりよい未来(現状の延長線上とは異なる未来)を構想しうるか」という視点で単元をデザインしていくことで、「歴史総合」で行う現代的な諸課題を追究したり解決したりする活動をより効果的に実施することができると考えられます。

〇時空間のスケールを調節する視点を生かした「公共」の実践報告-「人口減少社会をどのように考えるか」

 生徒にとって身近であり切実な「高校の統廃合」という事実を取り上げ、人口減少による社会への影響や課題について考察する単元を計画しました。
まず、様々なデータを活用し、兵庫県内の国公立中学校卒業者数は1989年から2021年にかけて半数以下にまで減っていること、それに応じて県立全日制高校の平均学級数も大きく減少していること、このような状況から、来年度(2025年度)に兵庫県内の14校が統合の対象となることを読み取ります。そして、この先30年後の未来に、兵庫県の中学校卒業者数は何人になるのだろうかと問いかけます。この先、さらに人口が減少していくことが予想される状況の中、2028年度には県立高校のさらなる統合が計画されていることを伝えます。この授業の実践校がある学区でも統合の計画があるため、この統合計画は生徒たちにとって非常に身近で切実な問題です。
 この後、人口減少社会の課題を分析し、よりより未来への洞察を深めていきます。

 人口減少社会の課題を分析する際に、時空間軸スケールを調節することで人口減少社会の諸相をみることで、多元的な解釈・評価が可能になります。例えば、地域(ローカル)の視点でみると、明石、神戸、三田の人口増加や政策の比較を通じて、地域の合計特殊出生率低下の原因を探っていくことができます。また、日本(ナショナル)に空間的スケールを広げると、人口減少・少子高齢化への対応として「高福祉・高負担」か「低福祉・低負担」かといった選択を考える必要がでてきます。さらに、東アジア(リージョナル)にまで空間的スケールを広げると、アジア全体で高齢化が進んでおり、その先頭を日本が走っていることがわかります。またそこから、日本がこの人口減少社会に対してどのような選択をしていくのかが、今後のアジア諸国にとってのロールモデルとなるという見方もできます。空間的スケールを世界(グローバル)にまで広げると、人口減少が21世紀の世界的トレンドであり、人類史における拡大成長と定常化のサイクルをふまえると、人口減少へのとらえ方を再考する必要があるということに気づくことができます。
 このように、時間と空間を自由に行き来することで、問題の見え方が違ってくることや解釈に幅ができるということを生徒に気づかせることができます。そのうえで、未来を主体的に構想していくことを目指します。

 このような「公共」における時空間軸の調整による課題解決のアプローチは、歴史総合の学習において一層、本格的に活用していくことができるのではないでしょうか。

3.「歴史総合」を履修した後に「公共」を履修する場合の接続について


〇歴史総合から公共への発展的なつながり
歴史総合は、「現代的諸課題の解決を過去の事例として構想する科目」
公共は、「現代的諸課題の解決を実現可能性を考慮して構想する科目」
以上が、発表者の歴史総合観、公共観です。

 この科目観をふまえると、歴史総合から公共への発展的なつながりは以下のように構想できるのではないでしょうか。

① 歴史総合で獲得した概念をベースに公共での学習内容の深化をはかる
領土問題の学習は、「主権国家」や「国民国家」という歴史総合で学習した概念をベースにするからこそ理解できます。

② 歴史総合で獲得した概念を問い直す
平等について理解を深める学習において、歴史総合では、制度や権利の上で平等に扱われることを目指す歴史事象を取り上げるが、公共では「制度や権利として平等であればそれでいいの?(絶対的平等と相対的平等)」「何が平等であればいいの?」「平等とは何か?」というように、歴史総合で学習した概念を問い直すことが求められる。

③ 歴史総合で学習した内容を過去の事例として、公共の教育内容の理解を深める。
 例えば公共で学習する「協働を妨げるもの(社会的ジレンマ)」の例として、核開発競争の歴史や勢力均衡によって国際秩序を維持しようとした歴史を取り扱うことができる。


【議論】

以下、研究会参加者による議論の内容です。

<議題>
歴史総合と公共を接続すべきだと思いますか?それはなぜですか?
歴史総合と公共の接続が難しい場合、その障壁は何ですか?


・接続することで、「社会を学ぶってこういうことか」というのが分かった。地理・歴史・公民は、それぞれ別個のことを学んでいるわけではない。いずれの科目も、それぞれの科目の見方・考え方を生かしながら私たちの社会を理解し、社会のよりよいあり方やその中での自分自身のあり方を考えている。真正な学びをするうえでも、歴史総合と公共の接続は非常に意義があるのではないか。

・違う科目で、同じ学習内容や概念が何回も出てくる印象がある。その学習内容を観点を変えながら学べるようにすることで、複数科目にわたって何度も同じ内容を取り扱わなくてもよくなるかもしれない(授業時数の制約上、内容を精選する必要があるため)

・必然的に、公共と歴史総合はつながる。だからこそ、接続をあまり意識しすぎずに、その科目の特性(時間軸でとらえるか、空間軸でとらえるか、など)を尊重していくべきではないか。それぞれの科目でやるべきことがあるので、無理に接続しようとするよりは、それぞれの科目でやるべきことをやっていくべき?

・接続していくうえでの課題は、科目担当者間での目標論の違い。目の前の生徒をどんなふうに育てたいのかを共有していくことで、これらの科目をいいものにしていけるのではないか。その目標論を共有するためには、歴史総合と公共の接続を意識した単元開発を複数の担当者で共同で行うプロジェクトをするといいのではないか?

・目標が教員間で共有されていることも大切だが、生徒にとっては先生によるスタンスの違いを感じるのも大事なのかなとも思った。

・これまで、「教科書に忠実になって授業をやる」というのが一般的であり。教科書に書いてあるから、それを教えないといけないという発想であった。しかし、科目の横断を考える際に大切なのは、「問いに忠実になって授業をやる」ということだとわかった。

参加者36名

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