見出し画像

探しもの     

探しものは何ですか?
探すのをやめたとき、みつかる話はよくあるはなしで、踊りましょう。夢のなかで。 

と井上陽水は歌っていたが、探しでも探しても見つからなかった。鞄の中も、机の中も探したけれど。

明け方、トイレの便座に座ったまま、泣いた。
地球の裏側までいっても見つからない。そんな絶望的な哀しみが事実として迫ってきて、涙を流した。 
あれは、5月。もう、20年も前のことになる。

見つからない探しものは、父である。       大腸癌を患い闘病の末、自分の誕生日の翌日明け方に息を引き取った。64歳になったばかりの朝だった。泊まりで付き添っていた私だけが、父の最期に居た。

父は、風変わりな人だった。
10のうちの7は所謂、敵。残りの3、解ってくれる人だけがわかってくれればいい、という不器用な男だった。その為、私達家族は、いろいろと大変な出来事に巻き込まれながら過ごした。そのひとつひとつを思い出すと、決してあたたかい気持ちになることばかりではない。それでも、父という男が私に残したものは、どこか切なく私をとらえて離さない。

お父さん、なんでもっと、うまくやらないんだろう。もう少し他の人に分かってもらえるようにやればいいのに。こんなに努力してるのに、な。

父は、片田舎の公立中学国語教師だった.。野球部監督。そして、住職。いくつもの役割りを持つなかで、人知れず努力し、(家族はいつも犠牲にされ)所謂、成果をあげていた。しかし、そのやり方といえば、時代といってしまえばそれまでだが、万人に受け入れられるようなものでは決してなかった。子どもだった私にも、それは分かるほど。

父の病室にも(解ってくれる3割)の人々が訪れた。昔話に花を咲かせ、やがて帰り際になると父は、必ず自ら手を差し出し握手を求めた。ゴツゴツとした骨に皮膚だけが張り付いているような手。しずかに相手に差し出す。客人がその手を両手で包み込む。血色のよいふっくらとした手。私の眼の前でとりおこなわれるその風景を、ぼんやりといつも眺めていた。
お父さんは、なんでいつも握手をしたがるのかな。
そのこたえは、なんとなくわかるような気もしながら。 

ベットの下に揃えて置かれてあった運動靴は、ついぞ、その出番を迎えることなく、父は自宅に無言で帰ってきた。

お父さん、
差し出した手は、解ってるよ。という、温かみ。
そこに今、生きていることの、確かめ。
あるいは、さようならの儀式だったのかな。

ひとり、問うてもそこにあるのは、静寂だけ。
探しても探しても、見つからない父の姿。父が亡くなった翌朝。ひとり便座に座り、涙が溢れた。

胸の奥に途方もなく深くて暗い穴があり、そこから風が吹いて来た。涙だけが、次から次へと流れては落ちた。
父の心の中にも、誰にもわかり得ないけれど、わかってほしい暗い穴があったのかもしれない。

どれだけ探しても、父の実存はやはり探し出せない。けれど、差し出した掌に込めた想いを、少しずつ探しだせているような気がする。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?