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心の声を聴かないわたしは、きっと令和に向いてない

昭和を生きたことがないので、偏見でしかないけれど。

令和は、昔よりも人々の【心の声】が重んじられる時代だと感じる。

昔は、「こう生きるべき」というステータスが強固だった印象がある。
男は家族を養う大黒柱、女はこどもを産み育ててこそ立派。
地元に残り、親の跡を継いで、線路を辿ることが是とされる。

でも、それが次第に、「色んな生き方もあるよね」って認められてきて。
地元を飛び出したっていい、結婚しなくたっていい、
誰を愛しても誰を選んでもいい。
これって、「今のステータスはおかしい」
「自由が認められたっていい」「好きなようにさせて」
そんな心の叫びたちが集まって、生まれた風潮なんじゃないかと思う。

時は令和、【心の声】を重んじる時代。
自由を認めてくれ、権利を認めてくれ。
そんな声がきちんと届き、
各々が好きなように生きられるようになったのはいいことだ。
マイナーな趣味を持っていても、SNSで仲間と繋がれる。
県外に進学や就職するハードルも低くなった。
結婚しなくてもこどもを持たなくても、昔よりは怒られない。
個々の「こうしたい」が、大事にされるようになった。

いい時代になったな、と思うんだけどさ。
ちょっと横暴だな、そこまで気を遣わないといけないかな、とも思う。
【心の声】を尊重してくれるんでしょ?と、圧があるというか。

例えば「マルハラ」の話。
上司が部下にメールやLINEで返信をするとき、
「分かりました。」等、マルをつけて返したら、
高圧的な言い方に見えるからハラスメント、みたいな。
いや、待って、部下の受け取り方次第やん?
怖いからやめてほしいって思うのは部下の感情であって、
言われてすらないのに上司があなたの感情にまで
責任負わされるのはお門違いだと思うよ?
でも、「【心の声】を聴きましょう」「配慮しましょう」
これが総意なような気がするんだよね。

あと、LINEグループで人任せで何も意見出してくれない人とか、
1分返信すれば終わるような日程調整をずっと寝かせてる人とか。
「その人は忙しいかもしれない」
自分に言い聞かせて優しく対応してるけど、
なんで自分の知らないところにまで
「忙しい」「できません」という【心の声】を聴こうとして、
そこまで配慮しないといけないんだろうって思う。
せめて忙しいので無理って言ってよ。言葉にする覚悟くらい持ってよ。
そうしたら、理解するのに。
正直、わたしだって忙しいんだけどさ。

とにかく、今の時代は【心の声】に正直というか、
個人の生き方に寛容で自由になっているところもあるけれど、
その分、「認めてあげるから理解示して?」「察して?」
「辛い心に気を配って?」と、
人の【心の声】を広く認める代わりに、
自分の【心の声】も受け入れられて当然だと思っている節がある。

もちろん、あなたがどんな生き方をしようと、
わたしには関係ないし、受け入れるけれど、
あなたがこれを聞くのは嫌だとか、この言い回しは苦手とか、
常識的なところはともかく、個人の好みまでは分からない。
遠く離れた友達の今現在のご機嫌なんて、知るわけない。


かつて、先人たちが言葉にして自由を獲得してきたように、
【心の声】を聴いてほしかったら言葉にしてくれ。
言葉にする覚悟がないなら、察してくれなくても文句言わないで。
…と、令和に向いてない若者は言いたくなってしまうのでした。