「結局、推しじゃなくて自分のことしか考えてないじゃん」

と、友達が、自分に対してぼやいていた。


友達の推しが、結婚したらしい。
結婚したことに対して、素直に「おめでとう」と思う気持ちもあるけど、
やはりモヤモヤしてしまう気持ちも同時に強いみたいで。
モヤモヤを隠し切れない自分に対しても、
「結局、推しじゃなくて自分のことしか考えてないじゃん」と
さらに悲しくなってしまうそうで。

「推しが結婚する喪失感」とはすなわち、
「推しは自分に大きな影響を与えているのに、
自分は推しに全く影響を与えていないという事実に直面するから」
と指摘していたXの書き込みがあったけれど、
それくらい推しは偉大で、手の届かない存在ということを
痛感させられてしまう出来事なんだなと思った。

「相手が期待している自分を演じる」を、
たくさん強いられるのが推されるお仕事。
「所詮自分の存在は、誰かに利用される価値」と思うわたしが、
もし推されるお仕事をしていたら、
「ファンの期待に背くことになる」って罪悪感を感じて、
絶対結婚なんてしないように無理しただろうな。
でもそれって、「推しに幸せでいてほしい」というファンの願いを、
踏みにじる行為でもあるわけで。難しいね。

解散、結婚、脱退… たくさんの方に「ロス」を引き起こしてしまう、
そんな責任を背負って、それでも決断した覚悟というのは、
どんなものなんだろうか。
場合によっては批判もたった1人で背負わなきゃいけない、
きっと辛いことだけれど、
それでも守りたいものが存在することは美しいことだろう。

そして推しを「ロス」する立場でも、これまでずっと
推しに助けられて救われてきたということだから、
心の支えがあったことも、素晴らしいことだと思う。
信じられる何かに守られてきた事実が。


推しが結婚した友人よ、きっとそなたの推しは、
そなたが罪悪感に苛まれて落ち込む顔など見たくないだろう。
なら大人しく自分のモヤモヤ感情も受け入れながら、
またそなたの推しに笑顔をもらうのが良いかと思うぞ。