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人の時間や労力を奪うことを、当たり前と思わないで

世の中には、気持ちがあっても時間守れなかったりとか、
今動き出すことができなかったりする人もいるって知ってる。
知っているし、共存していきたいって思うけども、これだけは言いたい。
開き直らないでほしい。当然だって思わないでほしい。

4種類の人間がいる。

やる気があるからやるタイプ、
やる気がなくてやらないタイプ、
やるしかないなら頑張ってやるタイプ、
やる気があるけど今は気分じゃないとか苦手とかでやらないタイプ。

もちろん、状況や場面等でどのタイプになるかは変わってくる。
シンプルなのは最初の2つの場合だろう。
やる気があるならやれば事は進むし、
やる気がないならやらなければいいだけの話なので。
後の2つの場合が複雑で。


例えば「やる気があるけどやらないタイプ」が
旅行行きたいって言いだして。
でも、その人が「忙しい~」とか「私直前になるまで動けないタイプなの~」とか言って準備何もしなかったら、
一緒に行く他の誰かが準備しないといけないよね。

その準備する人が「やる気があるからやるタイプ」ならいいけれど、「やるしかないなら頑張ってやるタイプ」が多少無理した場合、
モヤモヤはすると思う。言い出しっぺのくせに何にもしないじゃんって。
そんな中悪びれもなく「何にもできないタイプだから~」とか言い出したら、帰宅時に家の鍵が見つからなくなる呪いでもかけたくなっちゃう。


相手が忙しいのか、余裕があるのか、労力を割けるのか。
相手の置かれた状況によって異なるからこそ、
わたしは常に相手に対して「時間と労力を奪っている意識」を持ちたいし、
会って話すときや頼み事をしたりするとき等には、
絶対に遅刻しないし絶対に無駄な時間にしたくない。

もちろん、そうじゃない人もいるって知ってる。

なるべく無理ないように過ごしたいから折り合いつけさせてとか、
直前にならないと動き出せないとか、
優先順位の低い人に対しては多少要求してもいいとか。

それは価値観や性質だし認めていくけれど、
せめて「誰かの時間と労力を奪っているという意識」は持っててほしいし、やってもらって当然なんて考えないでほしいと思う。時間も労力も無限じゃないんだよ。

うーん、でもとある仮説があって。

「心理的に近い人には何してもいいし、何されても許せる」

これどうですか。

親しい友達なら遅れても大丈夫、
家族なら遠回りな買い物を頼んでも大丈夫、
恋人ならずっと泣きついても大丈夫、などなど。

多分、親しい人ほど「奪っている意識」が湧きにくいんだと思う。
ある意味、共同体みたいなものだからね。

そう思えずに親しい友達や家族にも「時間と労力を奪っている意識を」と
言わなくてもモヤってしまうわたしの心が狭いのか、
はたまた自身と他人の境界線をハッキリ引きすぎなのか、
誰にも心を許せてないから、誰にも「何してもいいし、何されても許せる」と思えないのか。