エレベーターの閉ボタンを、背中で聞く感覚

自分の存在など本当は邪魔だったと言われてる気分になって、
でも同時に身体から膿が吐き出されたような清々しい気分になりませんか。


何言ってるか分かんないですよね、すみません。


わたしは、エレベーター付きのマンションの、比較的低層階に住んでいる。
低層階といっても、階段で上るのが絶妙に面倒な低層階。
特に疲れて帰ってきた時なんか、階段を上る気にもならなくて。

そんな時、高層階の方とご一緒にエレベーターに乗らせてもらうことがある。
わたしは「何階ですか~?あ、10階ですね~」と歌うように、
下座のボタン前に陣取り、相手の階と自分の階のボタンを押す。

そしてエレベーターが上っていく間、
小さい子がいれば「かわいいですね」と話しかけることもあるし、
雨が降っていれば「参りましたね」と笑いかけられることもあるし、
知り合いが乗っていれば「久しぶり~」と歓声を投げ合うこともある。

ゆったりとした一瞬ののち、わたしが住む低層階についた時は、
降りるタイミングと同時に、大体の方が「お疲れ様です~」と
エレベーターの開ボタンを押してくれる。
わたしは、「お疲れ様です」と一礼し、エレベーターに背を向ける。

一拍したのち、

「カチ」

この、閉ボタンの音がたまらないのだ。
なごやかに長押ししてくれていた開ボタンの後の、閉ボタンの音が。


表面ではにこやかにしとこう、
でも正直早く帰りたいし早く低層階のお前降りろ、
やっと降りてくれたわ、早く帰ろう、閉ボタン!

って言われてる感じがして(笑)


分かってますよ。そんな深く考えてないって。
ただエレベーターが開いてるだけの時間がもったいないってだけで、
単にショートカットで閉ボタンを押してるだけだって。分かってる。
なんならわたしが高層階の立場でも閉ボタン押す。

だけど、この閉ボタンの音を聞くときはいつも、

ああ本当はわたしの存在なんて邪魔なんだなあ、
人間の本音って見つめ合ってちゃわかんないよなあ、
人間は結局自分が1番なんだよなあ、


とか考えては、勝手に世の中の縮図を知った気になって、
達観したような清々しい気分になっている(笑)
でも、そんなことはおくびにも出さず、ただ立ち去るのみ。


困った時だけ頼ってくる友達に対しても同様だよね。
きっと向こうは悪気もないし、助け合いにくらいしか思ってないけど、
わたしはひしひしと「利用だけ、されてるなあ」と感じながら、
でもそれを指摘することはせず、とことん利用されてやる。


絶対向こうにそんなつもりはないのに、勝手に悪いように解釈して、
勝手に「嗚呼是人間也」と嘆いて、
勝手に世の中の法則を知ったつもりになり、
でもそれを改めて指摘することはせず、
そんな一連の中で、わたしは何ともいえない一方的な寂しさと、
何ともいえない勝手で全知的な清々しさを得るのであった。