雨の佐世保、待合室にて


病院の待合室は異様な空気

病院の待合室が苦手だ。そりゃ病気している訳ですし、元気はない。そんな人々が小さな待合室に集まっている。地域の負を集めたかの様な異様な空気、苦手だ。それでいて、待ち時間が長い。とにかく長い。待ち時間で病気になれる位長い。そして暇だ。とにかく暇だ。暇過ぎて病気になれるくらい暇なのだ。もう、数千人に読まれたって程クタクタの週刊誌が、待ち時間の長さを物語っている。その週刊誌は先月号だ。せめて新刊を頂きたい。
それだけ待って、待ち受けるのはただの診察である。待ったことに対するご褒美なんて無いのだ。キャンディーくらい貰えても良いのではないだろうか。待ち受けるのは、聴診器と疲れた医者の声だけなのだ。

子供という小さく大きな存在感

そんな異様な空気漂う待合室も、子供が居たら話が変わる。彼らは、そんな異様な空気など物ともせず存在する。本棚に絵本があろうものなら、今日中に読破せんとばかりに手に取る。その絵本を持って元いた場所に戻り、パラパラ捲るとまた本棚に足を進める。絶対読んでないな、とか言うのは野暮である。マナー違反だ。でも、絶対読んでない。彼らにとって大切なのは、内容ではなく、絵本を取りに行って戻って返す行為自体なのだ。
無邪気だ。今この瞬間を全力で生きているのだ。それにしても元気だ。本当に病人か?と疑う。

彼らの存在は、待合室に少し爽やかな風を吹かせる。優しい顔で見守る人もいれば、怪訝そうにする人。感情はそれぞれだが、誰もが彼らを意識するのだ。まるで荒野に降り立つ天使のようだ。と書いたが、病院で天使は縁起が悪い気もする。召されそうだ。「パトラッシュ、なんだか疲れたよ・・・」と。

いざ、診察室へ。勝利か敗北か

そんな彼らも診察室から名前を呼ばれると表情を変える。不安と恐怖の混ざったような顔で親の足にしがみ付くのだ。診察室には白衣を着た悪魔が待っている。行ってしまえば、彼らにはなすすべがない。されるがままに聴診器を当てられ、医者の疲れた声を聞かされるのだ。嫌がる彼らを親は容赦なく戦場に抱えていく。

もうすぐだ、もうすぐ聞こえるぞ。と待っていると、案の定泣き声が響く。やはり、白衣の悪魔には勝てなかったようだ。待合室の大人達は少し穏やかな表情になる。子供が泣き叫んでいるのにだ。「うんうん。自分も、我が子もそうだった。そうやって白衣の悪魔に慣れていくんだ」と聞こえてきそうだ。小さい勇者が診察室に向かう段階で知っていたのだ、彼らが負けることを。
暫くすると、負けた少年は母親に抱かれて待合室へと戻ってくる。負けはした、でも戦ったのだ。待合室の大人たちはそれを拍手で迎え入れる。嘘だ、誰も拍手なんてしてない。無言で、暖かく迎え入れる。大人はね。

もう一人子供がいた場合。彼女にとっては他人事ではない。次は自分の番なのだ。診察室から泣き声が聞こえてきてから、彼女は絵本マラソンを止めている。表情は硬く緊張している。その目はしっかり診察室に向いて拳を握りしめている。彼女は覚悟を決めている。白衣の悪魔は私が討つ。そう決心しているのだ。今、彼女は確実に成長している。
名前を呼ばれた彼女は、母の手を握り、しっかり自分の足で診察室へと向かっていた。その背中は勇敢だ。
その後、診察室から泣き声が聞こえてきたことまで書くのは、きっと野暮だ。マナー違反だろう。だから、彼女が顔をクシャクシャにして待合室に戻ってきた事なんて書かない。きっと野暮だ。

病院の待合室。異様な空気の漂う場所。願わくば、週刊誌は新刊で。

読んでいただいたお礼と、少しの自分語り

ここまで読んで頂きありがとございます。先日、病院に行った時に感じたことを書いてみました。文章を書くって難しいですね。つい、カッコつけたことを書こうとしてしまいます。薄っぺらい内容ったらありゃしない。でも、書くって楽しいとも思ったりしています。これからも書く行為を学びながら、成長していこうと思います。
改めて、読んでいただきありがとうございます。
それでは、佐世保の隅っこからウバでした。

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