天才、頭の良さとはなにか

天才、とか、頭がいいってなんなのか。

気軽に天才、とか、頭がいいだとか言うヒトに過度に批判的な人もいる。
俺も、そうであったが
そんなことは今回どうでもいい

結論から言うと、頭の良さは
「処理能力の速さ」と「取捨選択能力」のベクトルの和をとった時の大きさベクトルだと思ってる。
−「」を使うとなんか、気取ってるみたいに思われそう(俺がそう思うだけかもしれないが)
なので、強調したい、かつ、本来とは違う意味
のときにのみ使う予定だ
あと一回「」表記したら、2回目は付けないと思う-

まぁ、なんとなく偏ってても頭がいい状態とは言えないと思うが、、、

--とか()を多用しすぎてて、それがメインの文章かが分かりずらいので「①」とかでわかりやすくさせる努力をしている。わかりづらくてすみません。

取り敢えず取捨選択能力について


突然高度なことを思いつくのが頭がいい人と思われがちだが①

人間の考えは、地球上に生物が生まれたプロセス
-急にプランクトン→恐竜と進化したわけではないと言うこと-
と同様に急に思いつくものではないと思う。

①せいぜい、少し首の長いキリンが生まれる程度の変化しかしないということだ。
-その微妙な変化を起こせる人を天才と呼ぶのなら、これ以上読む人用はないかもしれない-

つまり、人の思いつき自体には差がほぼないと思っている②

-俺が今書いてるnoteも他の人のコピペに過ぎないのかもしれない-

-天才とは、大袈裟な比喩で言うとプランクトンを恐竜にできる人だと自分では定義しているから、その定義とは違う用法で天才と使っている人を見ると、少しストレスが溜まる

(このようなことで、ストレスが溜まるのは口だけの人間だけだと思っていたが、気軽に天才とか言ってる人に対して嫌味を言っている灘高校出身のYouTuberもいた。俺がそう間違えて解釈しただけかもしれないが)-

②ので、情報の取捨選択能力によって頭の良さが左右されると思っている。

しかし、圧倒的な情報処理能力があれば
全てを取ると言う選択をすることも可能であるので、取捨選択能力は必要ない。
-人類には不可能だと思うが-

と言うわけで、頭の良さとは「処理能力の速さ」と「取捨選択能力」「情報の許容量」のベクトルの和をとった時の大きさベクトルだと思ってる。

-「キャパシティ」(努力できる能力)があれば全部取選択れきるかもしれないが、書き忘れてしまった+余計に長くなってしまうので省略した-

ちなみに、筆者はこの全てが不足している。

以下、自分語りなので、飛ばしていただいても構わない。

自分は、頭の良い人間ではないと言い聞かせて、大物になると言う夢
(長くなるので敢えて抽象的に言った)
を諦める理由を作ろうとしているだけなのかもしれない。

余談だが、東大受験もその中に入る。
努力ができないからこそ、もし俺が努力すれば東大に行けるんじゃ無いかと思い諦め切れずに
しかも、今後も努力もできずに
このままダラダラ浪人し続ける(時間を浪費し続ける)ことを回避するために、、、

-努力も出来ないのに、諦めることの出来ないのに、妙な思想だけ持ってる本当にどうしようもない人間だ、、、-

努力できないからこそ、諦められない④
-全力を出して無理だったから自分には無理と分かる-
④のかもしれないが。

長くなりすぎるので、勉強ができない理由については、また他のページに書きます。

因みに、自分は、ベネッセの模試で早慶理系の科目で偏差値50割ってるような人間です😅

最後まで読んでくれてありがとうございました。またよろしくお願いいたします。
-最後までスクロールして飛ばして読んだ人を除く-
↑ちなみに私はよくやる。

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