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たかが映画の看板の絵描き師と言うなかれ

妻春香は元々芸術家の血を
ひいていました。
妻の祖父が映画の看板の
絵描き師だったのですね。

妻の祖父の時代といえば
多分、大正初期の生まれだと
思います。

映画がカラー化されたのは
昭和45年頃なので祖父が腕を奮ったのは多分還暦近かったのではないかと思われます。
妻も祖父の事はよく知らないので確認のしようがなく、あくまでも想像の範囲を出ません。

「えっ、看板の絵描き師?。それは絵画などのような芸術ではないんじゃない?。」
と思われるでしょうが、昔の看板師は芸術家だったのですね。


昔の映画館は、映画を公開する前に、その映画の看板を
看板の絵描き師に発注します。
依頼を受けた絵描き師は映画の封切り前という短時間で看板を仕上げなければなりません。それもペンキと筆で。
芸術家というより職人に近いのですが、祖父は一流の腕を
持っていたようです。

「誰にも真似する事の出来ない色を出すことが出来る。」

妻は、誇らしげに言います。

「やっぱりこれって芸術よね。」

現在でいうところの一流イラストレーターといったところでしょうか。

義姉も妻も、祖父にならい
芸術家に憧れました。

義姉は華道草月流の
師範をとり
妻は書道の師範三冠獲得。

祖父の芸術に一歩でも
近づきたいと
思ったようです。


話を映画の看板に戻しますが
2009年に青梅に行った時の写真が出て来ました。

青梅は昔は映画館の街でもあり当時、沢山の映画館が
ありました。

映画館はその時はすでに少なくなっていたようですが、商店街の壁に飾っていたように記憶しています。

デジカメはなかったので
ガラケーで撮影したもので
画質は悪いのですが、
当時の貴重な記録です。



これは別の日ですが
数点ありました。


その後、映画館は姿を消しましたが、いまでも記念として看板だけ商店街に残されていると聞きました。

これらの看板は
すでに印刷技術が
発達した時代なので
手描きかどうかは
わかりかねます。
しかし、印刷にしても
これ程大きなパネルに
印刷出来るものか疑問ですね。
もしかして手書き?。

少なくとも
妻の祖父の時代は
ペンキと筆による
手描きだったと
妻が言っています。


芸術だ
昔の映画の
看板は
全てペンキで
手書きのイラスト



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