プチ不幸の連鎖

プチ不幸。
もはや”不幸”というまでもないほどの小さな災難。
そんな程度のプチ不幸でも重なるとさすがに気が滅入るものである。

2月1日水曜日
年一で受ける健康診断の待合中、私はその異変に気づいた。
左眼に違和感がある。
「コンタクトがずれたのかな」と思ったが、待合中に抜けて並び直しになるのも面倒なので、受け終わるまではこのままやり過ごすことにした。
健康診断が終わり、仕事に戻る前にトイレに寄ってコンタクトを入れ直したが違和感はなくならない。仕方なく左眼のコンタクトを外して様子を見る。
その後仕事に戻ったが、左眼の違和感は消えるどころか痛みに変わり、徐々にPCの画面を見ることも苦痛になってきた。
どうしようもないので、少し早めに仕事を切り上げて眼科に行くことにした。

診断によると、角膜の一部が剥がれていたらしい。コンタクトを使い始めて10年以上になるし、怠惰な自分の性格を考慮して1Dayしか使わないと決めている。もちろん毎日取り替えてもいる。突然こんなことになるなんて思いもしなかった。

2月6日月曜日
この日は用事があり、渋谷に出かけた。
用事も無事に終わり、月曜日ながら騒がしい街を横目に見ながら帰途につく。人の多い駅の階段は、絶対に踏み外したくないので足元を見ながら慎重に降りることにしている。
この日も注意して階段を降りていた。ところが足元を見ていたにも関わらず階段を踏み外し、(体感スローモーションで)膝から崩れ落ちるような形で着地。
人の目が痛い。膝の痛みもさることながら、こういうときは人の目が気になるという気持ちの方が先に来る。
何も起きていないような顔をして立ち上がり、その場を去ったが心拍数は150を超えていたように思う。

そしてさらにその日の帰り道の続き。
住宅街を歩いていると、突然目に細い枝が飛び込んできた。
ここで言う「目に飛び込んできた」というのは「見えた」という意味ではない。物理的に飛び込んできたのだ。
振り返って見ると、歩道沿いの生け垣からちょうど私の目の高さに枝が伸びていた。
まだ完治していない左眼にまたダメージを負うことになった。

このように、短い期間でプチ不幸が重なって起きたとき、「悪いことのあとには良いことがある」と前向きに考えられる人がいる一方で、「この災難はいつまで続くのだろうか」と悲観的に考える人もいる。
私は圧倒的に後者だ。
次に来る災難は何だろうか、と待ち構える。
そして良からぬ妄想をしては暗い気持ちになる。
それでも慎重に行動するに越したことはないので、いつも以上に気をつけて日常生活を送るようになるという利点も少しだけある、と思っている。

2月10日金曜日
東京で雪が降った。
積もった雪は地面の熱ですぐに溶けてシャリシャリのシャーベット状になるが、実はそういう状態が一番滑りやすくて危ないということを私は知っている。
こんな日は家から出ないに限る、ところだが生憎予定があり、外出することになってしまった。

度重なるプチ不幸、今度は”プチ”では済まないのではないかという不安。
滑って転んで打ちどころが悪くて死ぬか、転んだタイミングで車に轢かれて死ぬか。そこまで考えても妄想と言われてしまえばそれまでだ。
手持ちの中で一番滑りにくい靴を履いて、家を出る。
地面を慎重に踏みしめながら歩いていると、徐々に氷水が靴の中に侵入してくる。
このくらいは仕方ない、引き続き生きるためだと言い聞かせながら焦らず慎重に歩みを進め、目的地まで何とかたどり着く頃には、足先の感覚はなくなっていた。

帰り道も同様に、いやむしろ暗い分、より慎重に歩いた。
足先の感覚がないどころか、膝下までキンキンに冷えて鉄の棒になったかのように動かしづらい。
それでもこんな日に出かけて、一度も転ばずに帰ることができるだけで万々歳。アパートに着いたときの達成感はひとしおだった。

自分の部屋の前に立ち、番号を打ち込む。
私の部屋の鍵は、物理的な鍵のないタイプのオートロック式で、自分が設定した自分しか知らない番号を入力することで鍵が開く、はずだった。

開かない。正しい番号を何度打ち直しても開かない。
鍵の部分が何やら喋っているが、雨音がうるさくて何と言っているのか聞き取れない。
「〇〇を〇〇〇〇ください」
頼むからもう少し大きな声でお願いします。
君は私にどうして欲しいのだ。どうすれば暖かい部屋の中に入れてくれるのだ。声をあげなきゃ分からんだろう。寒いよ、開けておくれよ。
妻へのモラハラや配慮不足で家を追い出されたダメな夫の心境が、今なら分かる。

何度試しても埒が明かないので、かじかんだ指で管理会社に電話をする。
「只今、電話が混み合っております。恐れ入りますがこのままお待ちください。」という温かみすらない声を12分聞いたところで、やっと電話がつながった。
急に人の体温を感じる声が聞けて泣きそうになるのを堪え、無駄に平静を装って現在陥っている状況を伝えた。管理会社が鍵の業者を手配してくれるらしい。助かった、と思ったのもつかの間
「鍵を開ける際に、本人確認が出来る顔写真付きの身分証が必要になりますが、こちらはお持ちですよね?」
ある、と思いたいが、そういえば今日一日財布を見た記憶がない。
必要な決済は全てスマホで済ませてしまうという便利な生活が仇となった。
「家の中に置いてきてしまったようで、玄関前で提示できるものがないのですが、その場合どうすれば良いですか」
さすがに馬鹿すぎる、恥ずかしいという思いもあるが、背に腹は変えられぬ。
「その場合は、警察に立ち会ってもらっての解錠作業になりますので、最寄りの警察署にご連絡ください。」

情報を整理すると、私が今日部屋に入るためには鍵業者と警察を呼ばないといけない、ということだ。
警察に電話をして状況を伝え、もう一度管理会社に電話をして鍵業者の到着時間を聞き、その後再度警察に電話をする。
とにかく、大変、しかも色んな人に迷惑をかけるということだけは理解した。

折れかけた心を立て直し、少しでも暖をとるためひとまず近くのファミレスに一時避難することにした。
とはいえ何か食べたいと思える気力も残っておらず、お店に申し訳ないとは思いつつもドリンクバーを頼んで、温かいお茶を2杯飲みながら小声で必要箇所に電話をかけた。
次第に身体が温まると、判断力も復活し冷静さを取り戻す。
鍵業者の到着時間の情報を得て、それを警察に伝える。そこまでを仕事のように淡々とこなして店を出た。

アパートに戻り、建物の入り口で鍵業者の到着を待って3分ほどで、鍵業者の方が「あ、どうも」と右手をあげて近づいてきた。
こんな寒い日に呼び出しやがって、という腹立たしさを一切感じさせない非常にカジュアルな挨拶に、私は心底ほっとした。
その方によると、開かなくなった原因はどうやら鍵部分の電池切れらしい。9ボルト電池(四角い電池)を通電部分に押し当てて番号を打ち込むことで一時的に給電でき、ドアが開くということだが、警察の立会いのもと開けなければいけないという決まりがあるので、2人で警察を待つ。
申し訳ないやら恥ずかしいやらで、待ち時間中ひたすら謝っていたら
「さすがに身分証は持ち歩いた方が良いですね」と笑いながら言ってくれた。すみません、本当にその通りです。

それから10分程で警察の方が到着し、状況を話した後に、例の方法で鍵は簡単に開いた。部屋から身分証を持ち出して提示し、本人確認がとれたところですべてが終わった。
帰っていく2人の後ろ姿が見えなくなるまで頭を下げ続けた後、私はやっと部屋に入ることができた。

窮地を救ってくださった、管理会社、鍵業者、警察、ファミレス、混乱のあまり連絡してしまった友だちに深く感謝するとともに、身分証だけはどんなに近場に出かけるときにも携帯することを心に誓った。

そして、予想の斜め上を行くプチ不幸の連鎖が今度こそ終わるように、週末には神社に行こう。プチ不幸が、本当の不幸、すなわちうっかり死などにならないように、引き続き慎重に行動しよう。
まだまだ一日でも長く生きているためにできるだけのことをしようという決意を、この駄文に込める。






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