思い出せない

最近、漢字が思い出せない。
難しいやつではなく、ごく普通の漢字が。
ん、どういう字だっけ、と止まり、スマホなどで変換して確認する。

脳の老化もあるのだろうけれど、やはり手書きの機会が減っているのが原因かなと思う。
今や、文字は書くものではなく、打つものだ。今の生活で私が手書きするのは、手帳への走り書きと、毎日の日記と、日経歌壇への投稿葉書くらい。

漢字が書けなくなって、それで何か困るかというと、別に支障はない。
でも、書けなくなることは、過去の自分への裏切りのように思えるのだ。

子どものころ、漢字の書き取りに大変な苦労をした。
鏡文字のような、奇怪な字を書いてしまうのだ。
完全な鏡文字なら、それはそれで一つの特技だろうけれど、私のはなんとも中途半端で、例えば「寒」の点々が逆向きになる、といったレベルのもの。
母が気にして、「やっぱり、左で書いてるからかね…」と言っていた。
たぶん、そうなんだろう。日本語に限らず、大抵の言語は、左で書くのに向いていないのだ。

私は必死に漢字を覚えようとした。毎日、練習帳のひとますひとますに、見本を見ながら、何度も同じ漢字を書いていった。漢字でいっぱいになった練習帳は、呪術の道具のようだった。

そんな練習をあざ笑うかのように、本番のテストでは、点々が逆になる。
私は泣いた。しかし、泣いている暇などない。書いて書いて書き続け、体に染み込ませるのだ。それ以外に、左で書き続ける道はない。

今の私は、点々を逆に書くことはない。
でも、電子生活の中で、あれほど体に染み込ませたはずの漢字の形が、薄れてきている。

それで、noteの下書きを、手書きすることにした。
アナログすぎて無意味だ。
でも、昔の自分を、裏切りたくないから。



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