持つ者と持たざる者

持つ者が非難される場面をしばしば見る。それは彼らが持たざる者に対する想像力を欠いている場面などだ。

逆はあまり見ない。私は金持ちの生活が想像できないが、それによって非難されることはない。持つ者には、ノブレス・オブリージュ的なものが期待されているから非難されるのだろう。
ちなみに、ここでの「金持ち」は、大富豪を想像してもらってもいいが、小学校から私立に入っていたり、家に大量の方があるなど親に教養が備わっていたりする場合も含まれる。要は私が持っていない、私よりも世間的に高度とされる環境がすべて含まれる。

さて、持つ者が非難されるとき、非難するのは持たざる者か、持つ者(偽善者)だ。もしかしたら持つ者(善人)も入るかもしれない。まあ大多数が持たざる者だろう。

例として次のような場面を考えてみよう。AとBは大学1回生としよう。
A「留学行きたいな。」
B「え、行けばいいじゃん。私夏に短期で行く予定だよ。」
A「いや、金ないよ。」
B「親は出してくれないの?」

この会話で引っかかりを持たない人は間違いなくブルジョワジーなので是非ともノブレス・オブリージュを果たして私に金を貢いで欲しい。

Bの発言は一斉に非難されるほどのものでないが、Aからすればいい気分ではないだろう。まさかAが「その手があったか!」と返事することはないだろう。

Bは持つ者だ。金があり、留学への支援を行え、かつ行うことを了承している親を持つ。対してAは持たざる者といえる。

会話においてBは悪くはない。ただAを不快にさせる言動をしただけだ。故意はない。ただ知らないのだ。想像力がないのだ。自分の環境が通常か、やや恵まれている程度だと思っている。Aからすればその環境は喉から手が出るほど欲しいものかもしれない。
AはBのようになるくらいならそんな環境はいらないと思うかもしれないが。

個人的にはAにはBをぶちのめして金をむしり取ってほしいところだが、そんなことをしても生産性は皆無だ。
理想論としては、AにはBの想像力を育ててもらうことが望ましい。

A「皆が親の金で留学できるわけじゃないよ。」
B「あ、ごめんね。」

大体こんな感じになるだろうが、Bはどう反応しても非難されるような気がする。そう考えると、一度でも想像力が欠如した発言をすれば責められることになるので、それはそれでBに同情の余地がありそうだ。
「ざまあみろ」という思いが心の片隅にあるが、今は置いておこう。全然関係ないが、今までで一番聞いてスッキリした「ざまあみろ」は、「宇宙よりも遠い場所」というアニメで聞いたので、興味のある方は見てみてほしい。

ただ、強調したいのは理想論だ。Bがどんなに憎たらしくても、Bの方が社会的に強い立場に立つ可能性が高い以上、教育できるときにBを教育しなければならない。でなければ悲惨なことになる。これは貧乏人の義務とも言えそうだ。

ノブレス・オブリージュ的な良いネーミングがあればいいが、フランス語もラテン語も知らないので厳しい。誰か考えてくれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?