二人称を使い分けるとき、自分の心持ちが現れてくる。
君、お前、あんた、貴様、先輩、[役職]、[名前]。
気安さ、愛しさ、慈しみ、嬉しさ、敬意。

お前と呼べていたのが、呼べなくなる。
君と呼ぶことがなくなる。
名前で呼ぶのが気恥ずかしい。

相手によってニュアンスも微妙に変わってくる。同じ「お前」でも、嫌悪感がこもることもあれば、愛しさがこもることもある。


君のことを、どう呼んでいただろう。お前と呼んでいた気もする。名字で呼んでいた気もする。でも今は、君と呼ぶのがしっくりくる。自分の中でだけだ。外に出すとやっぱり違和感がある。
もっと気安くていいんだ。「君」と呼んだら、気持ち悪いと笑われそうだ。それでいい。
でも、心のなかでくらいは「君」と呼ぼう。敬意を込めて、尊敬を込めて、感謝を込めて、願いを込めて。それくらいはいいだろう?内心の自由とかいうものがあるらしいんだ。
とは言うものの、いざ会ったらなんて呼ぶんだろう。やっぱり「お前」だろうか。それとも二人称は使わないのだろうか。二人だと使わないで済んでしまう。使いそうになったら、どの二人称を使うのか結局迷いそうだ。変な間に突っ込まれてしまうかもしれない。


二人称は難しい。[  ]もそう思わないか?

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