「正解」を探しながら話している
皆さんは日々の会話でどのようなことを思って話しているでしょうか。
何も考えていないでしょうか。
今日はそんなお話です。
本日のご挨拶
こんばんは、雪猫なえです。
今日は少々めまぐるしい一日でした。
しっかり創作に向き合うことができている最近は非常に満足感のある日々です。ずっとこうならいいのに、と思うのはこれが「日常」になっていないからでしょうか。仕事にしたらしんどいだろうなという確信はたしかにあります。
今日も一つイラストを、ようやく完成できまして……!無事アップすることができました……!!!(祝)
良いことも悪いことも混合している最近です。良いニュースと悪いニュースが明確に混ざって舞い込んできます。それこそ、「これは良いことだ」「これは悪いことだ」と明確に意識に登ってくるほど明瞭なニュースが、です。
雪猫の受け取り方の問題だと言われてしまえば何も言えませんが。
もう少しで一人暮らしの生活に戻ります。ホッとしているような、少し不安なようなそんな心境です。
でも、会いたい人がいることも確かなので、自分一人の家に戻ることが楽しみでもあります。難しいですね、人間の感情って(笑)
それではそろそろ本題に入りましょうか。
正解は、ある
イメージは乙女ゲームです。
たしかにどの選択肢を選んでも好感度が上がる場合もありますし、その選択肢だけで分岐することはまぁ少ないです。でも、全ては積み重ねなんですよね。
答えに正解も何もないのかもしれません。HSPの人に対してはしばしば「気にするな」という言葉がかけられます。
でも、思うんです。「正解」は、確かにあると思います。鉤括弧付きではありますが、「正解」はあります。
好感度
まぁ、恋愛の話になってしまって、しかも雪猫自身の話になってしまって大変申し訳ないのですが。
好きな人がいて、好きになってもらいたくて。そういうとき、言葉選びって慎重になるじゃないですか。だって、「答え」を「間違った」らアウトな気がするんですもん。
反対に、その一言で、実った、なんてこともある気がしまして……。
これはもう「正解」があると言うしかないと感じます。まぁ、あくまで雪猫の感覚の話ですが……。
何かしたいけど何もできないので結果的に
そんな正解探しの旅をしながら話しているわけですが、何もできないときだって多々あるわけで。そういうときは、困りますね(苦笑)
誰かが何かに困っていて、でも雪猫がどうこうしたくてもどうこうできることでもなくって。どうこうしてほしいわけでもきっとなくって。
思うことは沢山あります。でもLINEの文章ではその2~3割しか打ちません。それは、きっと求められてないと雪猫が判断した言葉達だからです。
だから、結果的にそっけないというか、どうでも良いと思ってそうな文章になることがあります(苦笑)
「頑張ってね」とか「ふぁいと」とか「お疲れ様」とか「そっかー」とか、そんな何でもないような、何も思ってないような言葉しか投げられない。
それが、たまにしんどかったり、なんて思ったり。
本当は、もっといっぱい、いっぱいいっぱいいっぱい思っていることがあって、浮かんでいる言葉があって、アイデアがあって。
でも、怖いんです。それらをぶつける……というか出すことが怖くて。
鬱陶しがられることが怖いので、何も言えないことが多々あります(苦笑)
たまに思いを馳せる「お節介」
本人が望まないのに何か役に立とうとする行為をお節介と呼ぶんでしょうけど、それが功を奏す場合もなくはないと思いませんか。
なんだかんだ言っても助けて貰ったお節介の記憶が雪猫にはあります(主に母の記憶ですが笑)。
そういう強引さが正解になるとしたら、雪猫にとってはハードルが高いですね……とたまに思います。
関わらないでと、放っておいてと、何もしないでと、そう言われたら雪猫は「あ、はい」と大人しくしているしかないんです。それが正解だとも思います。
でも、もし、もしも、少しの強引さが功を奏する場合があって、それが正解なときがあったとしたら、不服だな、とちょっと思うんですよね。
終わります
ながら執筆なので、少々不安が残りますが、ここで今日は終わります、
それでは今日はこの辺で。また。
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