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やりたかったこと2 バンドを組む

なんとなくバンド活動というものに憧れてた。
あの雑な仲間感、に漠然とした憧れがあった。


私は音楽が好きだった。歌うことが得意だったし好きだった。

幼少期


ラジオから流れてくる松田聖子とかキロロと一緒に歌ってた。
保育園に入ってモーニング娘。にはまりお父さんにコンサートに連れて行ってもらい、小学生のころには浜崎あゆみのファンになり、TSUTAYAでCDを借りては今や懐かしいMDにせっせと落としていた。
ちなみに浜崎あゆみもお父さんにコンサート連れて行ってもらっていた。お父さんはあまり音楽に興味がない。サンキュー父。
恥ずかしかったので担任の先生にはトリマーになりたいと言っていたけど、当たり前に将来の夢は歌手だった。

中高時代


初めてできた彼氏の影響でV系にドはまり、中二病真っ最中なのも相まって5年くらいバンギャ生活を送った。
ツアーラストのライブに行きたくて、高2の文化祭をすっぽかしてさいたまスーパーアリーナに一人で飛んだ。この時期にお金があったら相当散財したと思う。なくて良かった。

バンギャとはいえ、いわゆるロキノンもかじっていたのでこの辺で音楽活動にも興味が出てきた。

中学ではギターマンドリン部があったけど、のほほんカントリーはちょっと違ったので入らなかった。
高校は軽音楽に入りたかったけどなかった。個人的にバンドを組んで活動している子たちもいたが、行動力皆無の私は特に行動を起こすことなく、バンギャとして過ごした。

大学時代


軽音サークルがあった。ここでやらねば一生やらないな、と思い新歓に参加。
うちの大学では新歓でいきなり初対面でバンドを組まされるのだが、コミュ力の低さも発揮し中々メンバーを拾えずにいた。なかなかギターの子が捕まえられずにいたけど、最終的には見つけて、晴れて夢だったバンドを組んだ。
うちは女子大だったので、余りものガールズバンドの誕生である。

音楽性もバラバラ、趣味もほとんど被ってなさそうな5人だったけど結論、最高に良かった。
みんなこだわりがなかったので引退まで長く続いた。

肝心のバンド活動は、あまり精力的には行わなかった。

私はバンドを組みたいのであって、バンド活動をしたいわけではなかった。

メンバーも特に人前で演奏することにこだわっていなかった(ように見えた)。

サークル全員参加のライブをこなすだけだったけど、嬉しいことに私たちがやる曲を好きだと言ってくれる人も数少ないがいた。
フジファブリックは特に評判が良かった。

ライブや練習はそこそこに、青春18きっぷで遠出してみたり、ハロウィンにジャックオランタンを彫ってみたり釣りに行ってみたり、貧乏海外旅行に行ってみたり、憧れだった雑な仲間感も存分に味わえた。

バンドの組み方がアレなので解散するバンドが多く出てくる。
私たちは古参のバンドになり、古参というだけで引退の文化祭では2日目のトリになった。
軽音の活動自体に未練はなかったが、バンドが終わるのは悲しかった。

最後の学祭

いまでも当時コピーしてた曲は色々と思い出す。


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