【感想編】大迷宮バハムート後半戦

こっちが前半戦です。

最後、アリゼーがずっと険しい顔をしていたのがようやくつきものが落ちた感じがしてよかった。

ということで大迷宮バハムートをクリアした。お手伝いしてくださったフォロワーさん、皆さん本当にありがとうございました。

もうすでに実装されてから10年。実装当初は1層目ですら数十秒で全滅するパーティが続出だったらしいとか、「侵攻編のネール戦は難易度高かったんだよ」なんて話を聞いて震えあがった。
なんだよフィールドのふちをスプリントでランニングするって。違うゲーム始まってんじゃんリングフィットアドベンチャーか?
こういう古のエオルゼア小話はエンドレスで聞いていたいな、と思った。


全体感想:旧FF14お葬式

ということで総合的な感想は「旧FF14のお葬式だったな」という感じ。
そもそも追いかける内容自体が旧FF14の内容なので、新生本編が「これでどうでしょう」と言うお伺いならば「これで旧FF14はおしまいです」と言う印象だった。

このイベントのために旧FF14にネールと言うキャラクターを出演させたり、すでにテンパードっぽい発言をさせていたりするんだからすごい。
サ終を決めたころには大迷宮バハムートというイベントがすでに計画されていて、そこに登場するキャラクターとしてネールがデザインされていたんだな~と思うと、同時並行で旧と新生が開発されていた事実がより強烈に感じられる。
当時の開発室大変だっただろうなぁ…と思うけれど、このような構成を思いつき、GOサインを出して製作した開発室の人たちや、当時から引っ張っている吉田をはじめとする指揮陣がみんなすごい。
旧からやっていた人たちにとっては、思い入れの特に深いイベントになっただろうなぁと当時に思いをはせている。

またここできちんとバハムートを攻略すれば、新生の最後にチョコボキャリッジを派遣してくれたり、蒼天の終盤での様々なアリゼーの反応にかなり納得感が深まるし、アルフィノのイメージも変わる。
それだけでなく「召喚士はフェニックスとバハムートを召喚できるんだよ~」と言うお話を先輩から聞いて、なるほどこれをやってるとどうして召喚できるのかちょっと納得できるかも?とも思ったり。

それはそれとして、ルイゾワの遺志を確認するイベントは10周年の新生祭でも行われたし、ルイゾワやバハムートとそれを取り巻いた過去の物語を知らずしてFF14の物語を理解することはたぶんできないんだな。

ネールはあり得たかもしれないアリゼーの未来

前半でも書いたが、ネールはアリゼーのこうあったかもしれない未来の姿だ。

ネールは「何の力もない無力な少女だった」とエーテルに戻る直前、過去の自分を振り返っている。
アリゼー自身現在進行形で「何の力もない無力な少女」であり、ネールからすれば過去の自分を眺めているような気分になっただろう。
だから「お前の目で見てみればいい」と発言する。恐らくネールは自分の目で見たことをきっかけに、今の道に踏み込んだからだ。この時のネールのセリフは、アリゼーを自分と同じ道に落ちるように誘っているように聞こえる。

敵キャラとしてもっと見ていたかったな~という魅力がこの短時間に詰まっているのがすごい。一体「何の力もない無力な少女」だったネールを、ここまで掻き立てた自分の目で見たものとはなんだったのだろう?
そして一体、どうしてネールはダラガブをエオルゼアに落とそうとしたのだろう?なぜ落とさねばならなかったのだろう?

その辺を何にも語らずに「ただお前の目で見て来い」とだけ言うネールは、ミステリアスでもう昔語りを聞くしかできない旧FF14の象徴にも感じられる。

クリア後は色々な印象が変わる

割と前半で疑問かもと思っていたことは解決されたのでよかった。
これをクリアしてから蒼天編の最後の方を進めると、恐らくパパリモが考えていたことがカルテノーに向かう前のルイゾワが考えていたことだろうと思える。

「誰かが死ぬときに、強烈な願いを残すこと」が、FF14の世界ではすごく大きな力を残すんだな~と思う。でも願いが神ではなく、その後を生きる人々に向けられることが大きな違いなんだろう。
そういう風に残された強烈な願いを、生きた人たちが叶えていくのがFF14なのかな。

今このタイミングで考えてみると、蒼天には全く顔を出してこなかったアリゼーの一番大きな変化のターニングポイントがバハムートだった。

ここを見てからだと、蒼天後半のガ・ブのエピソードも印象が変わる。
ガ・ブもまた、アリゼーやアルフィノが成りうる未来の一つだったのかもしれない。
人々が蛮神を降ろすのは結局「強い願いがあるからこそ」であるということが、やっぱりバハムートをやった後の方がより理解できるし、だからこそどうすべきなのか、一体どうしたらいいのかの泥沼感が深まるよな~
お父さんとお母さんに会いたいという純粋で強い願いを見ていると、辛くなってくる。

また「ドラゴン族の願いによってバハムートが維持されている」という話から種族を問わず強い願いがあれば、蛮神を降ろすことに繋がることも分かる。
姿かたちも全く異なる存在でも、皆同じように願いごとがある。当然のことなのに、そう言うことって忘れがちなんだよな。

いろいろ残った謎はあるよね

1.蛮神とエオルゼア12神は何が違うのか?

ルイゾワはアリゼーたちに最後、こんな言葉をかける。

これからは、わしに願ってはならない。
それぞれの力で、かけがえのないものを見つけ、
守っていきなさい。
……できるかね?

「大迷宮バハムート」ルイゾワのセリフ

ルイゾワがわざわざ二人にこんな話をしたのは「ちゃんと自分の願いを見つけるんだよ」という未来への期待だけでなく「願うことこそが蛮神を作り出す」ということを知っているからくることのはずだ。

ではそもそも蛮神と十二神は一体何が違うのだろう?
今のところ明確な違いを提示されていないため、この神々は混同されているというか、同一であるとされている。
多分ガイウスがあのながーい演説のとき「エオルゼア十二神だって蛮神だろ」と話をしているのも、「ルイゾワすら神にすがった」という言い方も彼自身がその違いを知らないからだ。

もっと言うと、多分暁のメンバーもこの違いについて理解できていないのではないだろうか…と思ってしまう。とにかく何か明確な違いがあるはずなので、これは今後解明されていくことになるだろうな。してくれ。

現状の仮説としては
・ハイデリンと直接契約をした12人の人間が原型である(あるいはもともとは光の戦士たちとか)
・ハイデリンの子供たちである
このあたりかな、と考えている。
いずれにしても人々の願いから誕生する(無から有となる)のが蛮神、そもそも神としての原型が存在するのが十二神という違いがあるのかな~確定要素が少なすぎてなーんにも考えられない。

2.テンパード化は解除できるっぽい

ネールもルイゾワも、彼らが死ぬ(エーテル界に完全に還る)直前に正気を取り戻していた。また二人とも自分がテンパードになったことを、テンパード化が解除されたあとにちゃんと理解した様子がある。
ルイゾワに至っては、テンパードになったあとも意識の中でアリゼーとアルフィノの声が聞こえていたと言っているし、もともとの意識は残っているのだろう。

つまりこれって、現状では治療方法のないテンパード化も何とかなるということでは…?
新生ではテンパードになったらもう戻しようがないから殺すしかないという話だった。だがもしもテンパード化をどうにかできるなら、蛮神問題の半分くらいは何とかなるんじゃないか…なんて思ってしまう。
そのきっかけがどういったものかは明瞭ではないが、蒼天最終版に出会うガ・ブの例を見ると一旦降ろされた蛮神を倒すことで何とかなる?可能性があるのかなぁと思った。

個人的にはここの2点がかなり気になる。

ということで今後どうなるんやろな

改めてこのタイミングで「バハムート」のストーリーをすべて見ることができて良かったなと思う。

この記事を最後に書いている現在、紅蓮が既にスタートしている。
紅蓮ではアリゼーとリセと一緒に旅をすることになったので、アリゼーがどういうことを考えているのか、これまでどんな経験をしたのかちゃんと理解できたことで、愛着もすごく湧いた。

蒼天の最後にはバハムートによく似た神龍も登場しているし、イシュガルドを出た後もドラゴンと関係が続くのか~という顔になっている。
そういえばドラゴン族はハイデリンの外からやってきたという話もあるし、そのうち星の外に向かっていくことになるのかなぁ?
まずは紅蓮を進めるところから頑張るぞ。


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