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【雑記】エメトセルクについて考える

紅蓮の最後で、ガレマール帝国に関する重大な秘密が明かされる。それこそが「初代皇帝ソルは、アシエンであった」と言うことだ。

みんな大好きエメおじ

正直にいうとなんかこう、私の思っているソルと言う人物像と、エメトセルクのキャラクター像がどうにも噛み合わないなぁ、などと思っていた。
だがティターニア戦後や、キタンナ神影洞後のカットシーンでのエメトセルクを見てみると、ソル帝とのイメージがかなり合致してきた。面白いキャラクターだなあ

ハイパー苦労人?神経質?エメおじ考

ということで、まずは最初にヒカセンと接触したときのエメおじカットシーンを見ながら、ぼんやりこの「エメトセルク (以下エメおじ)」という男がどんな奴なのかを考えてみる。

エメおじは一挙手一投足が芝居がかっていて、何一つとして本当のことを言っている感じがしない。いや、実際はすべてが真実なのかもしれないが、その場合1ミリとして真実味がないコミュニケーションへたくそおじさんになっている。

そんなコミュニケーションへたくそおじさんの片りんを見せる彼の発言で、唯一本音っぽいなと思ったのがここ。

中間管理職の悲哀

大罪喰いをヒカセンに討伐されてしまったから、計画が後ろ倒しになった!と訴えるシーンだ。
ここだけは本音っぽいな~…と思った。というよりも、こういう𠮟り方になれているなという印象があった。たぶんめちゃくちゃなことをする部下(オリジナルではないアシエンも多いし)に対して、こういう叱り方してたのかな?と勝手に邪推している。

つまり、あのカットシーンで感じた彼に対する感触としては「叱り方が板についていて、部下や知り合い?に苦労させられてそうだし、ここが彼の根幹の性格っぽい」ということだ。

彼がやたらと芝居がかった様子なのは、実際彼が芝居をしているからなんだろう。それは彼が本来持っている神経質さや、綿密に計画を練る性格を隠すためなんじゃなかろうか。
たぶんこういう性格のせいで、結構苦労してきたんじゃないかなぁ…と思えるから不思議だ。多分計画立案を一手に担って、でも計画通りに進まなくて頭を抱えていたタイプだ。

あらゆるものを整え、人の手を入れて自在に仕上げたい…すべてをコントロールしたい…ガレマール帝国はそういう人が作った国なのではないかと思えてならない。

【感想】紅蓮のファンファーレが辛い話

個人的にガレマール帝国に対する感想はこうだった。誰かがデザインしてそこにはまるように作ったように感じる。
大なり小なり、エメトセルクはソルとしてガレマール帝国の構築にかかわっているはずだ。ノータッチで軍の構成や国のミドルネームの制定が行われたとは考えにくい。

そもそもエメトセルクをはじめとするアシエンが、どういう経緯でアシエンとなったのかは分からない。生まれついてのアシエンはいないだろうと思っているので、何らかのきっかけがあって初めて「アシエン・エメトセルク」という存在が誕生したように思う。

つまり、彼の神経質さをはじめとする根幹の性格は彼が普通の人間であった頃の名残ではないか?と想像できる。

ということを、ティターニア討滅戦当たりでは考えていた。

やっぱりハイパー苦労人っぽいエメおじ考

さてティターニア討滅戦のあと、今度はヤ・シュトラに会いにラケティカ大森林へ。そこで彼女に罪喰いと勘違いされたり、すでにヒカセン自身が罪喰いになりかかっていることが判明する。

またID「キタンナ神影洞」をクリアしたあとのカットシーンでは、エメおじが自分の出自やハイデリン、ゾディアークが一体何なのかを語ってくれる。
彼自身は「ハイデリンから見たら違う意見なんだろうけど」ということは前置きしつつも、これが真実だとも言っている。
というかこの話をするうえで、エメおじが嘘をつく利点が特にない。またウリエンジェはエリディブスによって星の真実を知らされているので、たぶん知っていたはずの情報でもある。
だから、ここで語られた話の大筋は正しい情報であると言えるはずだ。

エメトセルクの語った真実メモ

星でなにか大規模イベントが発生し、ゾディアークが召喚された。
ゾディアークの力のおかげで何とかなったが、あまりにも強すぎる力を脅威だと感じた人々によって対抗馬としてハイデリンが召喚された。ゾディアークとハイデリンは凄まじい戦いを繰り広げ、結果ハイデリンが勝利。ゾディアークは封印されることになった。この時に世界は13に分たれてしまった。

アシエンの目的は、この13に分たれた世界を一つに統合し直して、ゾディアークを解放することにある。
そうすれば、アシエンたちの故郷を元通りにすることができる……彼らはそう信じている。

何を持って「その人」は「その人」であるか。

この話をするエメおじの表情や身振り手振りを見ると、やはりこの後のウザすぎる彼らしい振る舞いこそが演技であるとより強く思う。彼も結局は人であり、エメトセルクという人格を意識的に作り出さねば自らを維持することが困難なのだ。
だからアシエンの仮面をかぶって、エメおじ本来の人格を覆い隠している。そうしなければ、ボロが出る。

彼は彼は周囲に求められるわけではなく、自らの意思を持って「アシエン・エメトセルク」という役割を演じている。
この点において、周囲に求められてその立ち位置にいることの多いヒカセン始め、普通の人々とはちょっと違うよなぁと思う。

例えばアルバートは100年の間一人でいた結果、自分が何者なのかもよくわからなくなっている。これは彼がコミュニケーションを取れない=誰からも求められていないことで、だんだんと役割を忘れてしまった証拠だ。

精神分析学的には「自我」とは「複数ある自分の特徴を、1つのまとまりとして認識する統合機能」としての役割も持つという。
つまりアイデンティティの確立を行う上で重要なのが「自我」でありこの「自我」を、漆黒の冒頭部分でアルバートは失ってしまっていたのだ。ヒカセンと対話をすることで、だんだんと彼自身の形を取り戻していく流れが、漆黒の一つの物語を構成している。
つまり、人とは他人とのコミュニケーションを持って人たりえるのだ。

アルバートやエメおじを見ていると、他人から求められる振る舞いがある方がいいのか、それが存在しない自由さこそがいいのか、悩ましい気持ちになる。
人と人との関係があるから初めて求められる振る舞いがあり、その求めに応じるからこそ人として自我が確立される…と考えていた。
だがエメおじは違う。周囲に求められるのではなく、自らが世界の主軸となりその周囲の人々に影響を及ぼす側にいる。そのためにアシエンの仮面を被っていて、そうしなければ鼻持ちならない彼特有の振る舞いができない。
それはアシエン・エメトセルクという人格が、彼が世界の主軸であるために作り出した存在にすぎないからだ。

暗黒騎士のジョブクエがまたここで顔を出してくる…本当に恐ろしいけれど、メインクエストですら同じ話をし続けている。
だが漆黒ではこの話がいよいよ魂レベルの話に到達したなぁと思って、ははあこりゃあとんでもない話だぞ、と考え込んでしまう。

一体エメおじは、何を持ってエメトセルクであろうとしているのだろう?
彼らオリジナル・アシエンは第一霊災が起こるより前からずっとアシエンであり続けていて、人々の営みを超常的な力で眺め続けている。何千年、何万年という単位で生きていく上で、彼らは一体どうやって自分が自分であると証明するのだろう?

彼は彼自身を持って、アシエン・エメトセルクであろうとしている。
だが彼が真にアシエン・エメトセルクであると、一体誰が証明してくれるのだろう?エリディブスもまた然り。

多分、アルバートは自らがアルバートであると証明できるはずだ。それが物語における一つのファクターになる。
ではエメトセルクは?エリディブスは?一体誰が、彼がアシエン・エメトセルクやアシエン・エリディブスに違いないと証明してくれるのか?魂の色?それとも振る舞い?彼を知る誰か?もはやテセウスの船になりかかっていそうな彼らを、一体誰が彼ら自身であると証明してくれるんだろう?
普通の人間だって100年あれば、自我を失ってしまう。何万年も生きる彼らが自我を失わないでいる保証は?

だんだんと、エメトセルクというキャラクターの人気のわけがわかってきた気がするぞ。

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