【雑記】紅蓮のストーリーがきっつい
きっつい(辛い、という意味で)。
フォロワーさんが「アラミゴあたりはストーリーが重くて休憩を挟まないと無理、みたいな意見が流れてきて気持ち的には同意できる」とつぶやいていた(許可もらってないのでリンクしませんが)。
すごくわかる。
おそらくフォロワーさんが見たツイートの真意としては「正義vs悪という単純な構図ではない」という部分がきついんだろうなぁ、と思う。
そう言う人がほとんどなはずで、その点は私もかなりキツイ。
ぶっちゃけお腹いっぱいなんだよな、悪役にも都合あります!!みたいな、そういうのが。
勧善懲悪ではない群像劇だからこそそれぞれ異なる正義を持ち(この正義とはその人の目的であり、倫理的な正しさなどは関係ない)、憎むべき相手が誰なのか分からなくなるのが特にキツイ。まあガレマール帝国を恨んでおけばいいのだが、そう簡単にいかないのが人間の気持ちってものだ。
ほかにも紅蓮で個人的にキツイと思う点がいくつかある。
このへんのきっついポイントは、他者と共有できると信じている。
結論から言えば「生々しいから紅蓮はキツイ物語だ」と思う。
紅蓮辛いポイント:占領から20年~25年経っている
「アラミゴが占領から20年、ドマが占領から25年経ち、人々が世代を交代したがゆえに新たな価値観が生まれ、お互いに衝突しまくっている」というところがつらい。
この20年という年月の流れが生々しい。
造幣局では約20年ごとに新紙幣や貨幣が発表されるし、伊勢神宮で行われる式年遷宮も20年ごとだ。これは人の世代が入れ替わり、技術継承ができるギリギリのタイミングであるからとされる。
アラミゴもドマも20年経ったから、ヨツユやフォルドラのような若い世代が台頭している。20年の間にガレマール帝国流の教育を受けたり、生活様式を受けたりした世代が育っているわけだ。
これが髑髏連隊のような存在を生み出し、しかし現地民からも征服してきた人間からも差別の対象になるという複雑な立場を生んでしまう。
10年では短すぎるし、30年では長すぎる。
20年なら新しい世代もいれば、20年前を知る現役世代もいる。ここがやたらと生々しくきつい。
こう考えるとドマもガレマール帝国の支配から脱却するためには、本当にラストチャンスなのだろうと分かる。30年を超えると帝国の支配から抜けるのはかなり厳しいはずだ。
紅蓮辛いポイント:同じ生まれや血脈であっても選択による分断がある
紅蓮が開始したころからそうだが「抵抗するのか、しないのか」「逃げるのか、逃げないのか」「戦うのか、服従するのか」、みんなそれぞれが選択をした果てが提示される。
こうした選択は家族単位ではない。個人単位のものであり、恐らく何を選択しても必ず後悔するのだ。
そう言うことを見ているのが辛いし、また他人に何か事情があってその選択をしたはずなのに、追い詰められた人々はそれぞれの事情があったことが見えなくなるのもきつい。
現在勃発している様々な戦争・紛争があるが逃げられない理由もあるのだと、改めて感じている。幼い子供がいる、自分が病気で動けない、年老いた両親がいる、仕事柄土地を離れるわけにはいかない、離れた方がいいのは分かるが離れがたい…。
たとえ軍に身を置かなかったとしても、あらゆる理由でその土地から逃れることを拒否する人がいる。
こういう現実とリンクしている部分も(今現在プレイする私にとって)きついのだと思う。
紅蓮辛いポイント:辛い境遇を受け続けた人間が他人を虐げる側に回る
フォルドラがまさにこれ。と思っていたらヨツユもこれっぽい。
フォルドラを例に挙げると、子供のころからガレマール帝国流の教育を受けていると思うし、そこそこの地位にはいそうなのに差別の対象になっている。また同じアラミゴ人からも差別される。
まさに新世代のアラミゴ人であり、アラミゴ系ガレマール人という言い方が一番近いのかな~と思う。(これでいえばヨツユはドマ系ガレマール人か)
長く差別を受けたり虐げられたりした子供は、成長するとやがて自分が暴力をふるったり災厄を振りまく人間に変化していく。
虐待された子が親になったとき、また虐待を行うことと似ている。
本当は自分がやられたことが嫌なことなら、自分が次世代に及ばないような防波堤になれれば一番いい。だが人間そう簡単じゃない。
自分が受けた屈辱や苦痛を、虎視眈々と他人に与える機会を待つのだ。
そしてそれが最悪な形で発露すると、無差別に人を襲う悪意になっていく。
そういうのが目の前で展開されるからしんどい。
紅蓮は現実に起こっていることを明確に反映しているから辛い
紅蓮の物語はフィクションであり、架空世界エオルゼアを舞台としている。
だがそこで起こっている様々な問題や現象は、今この時代、現実世界でも起こっていることだ。
些細な設定一つとっても、シナリオ班がかなり丁寧に取材を行って練り上げていることが分かる。
たとえばゼノスがアラミゴ準州総督と名乗っているので、アラミゴが植民地の中でも直接支配を受ける属州であることが分かる。これはローマ帝国が本国以外の統治をおこなう際取った手法が恐らくモデルになっている。いわゆる分割統治をモデルにもしていると思う。
この手法がモデルであれば、ガレマール帝国内の地位に格差が設けられているのも納得できる。
そもそも「帝国」という称号も、辞書を引けばこう書かれている。
設定からして現実世界に存在したローマ帝国をかなり反映させているのがガレマール帝国だ。
妙に生々しいのは、架空の世界を作るのに現実世界の要素を多分に盛り込んでいるからだ。そのうえで、取り扱うテーマもまた生々しい。
早々に祖国を裏切る者、何とか逃れる者、長年抵抗を続ける者、虐げられる者…そのすべての人々に、どこか私は自分を見ている。自分がそうなっている可能性を見てしまう。
だから現実が見えて辛い、きつい。遠い世界のことのようで、実際扱っているテーマは人間関係にも当てはめられて、それゆえ自分の身近なことだからなおのことキツイのだ。
そして今後は、多分もっとキツイ。
これからヒカセンたち暁のメンバーが活躍していくことで、どんなにつらく苦しいことがあっても多分ドマもアラミゴも開放される。
するとこれまでの常識が変わり、これまで虐げられた人々が今度は虐げる側に回るだろうし、常識も変わってしまうだろう。
その機能から放り出された時、死ぬしかないのか?
それともすがりついてでも生きて贖罪するのか?
紅蓮は終わってからが地獄だな…と思ってしまう。災害とか戦争も、復興が本当に長いっていうしな…。正しかったかどうかが分かるのはエオルゼアの世界が内部の時間で20年経ってからだろうし、ホントにキツイ。
他人から害されること、感情のごみ箱にされた果てに人間はどうなるのか。ヨツユはゲイリー・ギルモアなのか?今後の答え合わせが楽しみ。
構造の中に取り込まれ、その中の要素になるとはどういうことなのか。奴隷であった人間が「わたし」を見つけるとはどういうことなのか。
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