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卑弥呼さまに会わせて  一話

「迷わず飛べよ」
籠から放たれた渡鳥は帆柱を旋回し空に舞い上がる。翼に横風を受け流し難なく海風にのった。
渡鳥は陸地を目指して飛びはじめた。
スサがその方向を指差すと船のろう(たかどの)に立つ水夫が太鼓を乱打した。
「陸はあちらだ! 帆を張り舵をきれ! 漕ぎ手、用意」
船長の合図で水夫たちは一斉に動き出した。
スサは帆を纏める荒縄をほどき、素早く帆柱からすべりおりた。
「ほんとうに行った」
若草色の上等な衣を着た少年が船のへりから身を乗り出し、嬉しそうな声を上げている。
つられてスサも空を見上げた。
雲ひとつない青空に白銀に輝く海。渡鳥は豆粒ほどの大きさになっていた。
「あのちびこいのが船主様のご子息さ。呑気なもんさ。さ、お前は荷倉へ下りてろよ」
水夫は気だるそうに言って、小さな麻袋をスサに手渡した。
 
「わ、葡萄だ」
上から二番目の姉、ツキが弾んだ声で言った。
水夫がスサにくれた麻袋の中には干した葡萄が少し。めったにないご馳走様である。
「ちょっと、ツキ! これを仕上げてからよ!」
草鞋わらじを編む手を止めたヒルメは妹のツキをたしなめた。ヒルメは一番上の姉だ。
ツキは姉ヒルメの小言を気にもせず、干し葡萄を一粒つまんで口に放り込んだ。
「ほらスサ、あんたも食べな。口あけて」
姉たちの顔立ちはよく似ていて気が強い。つまり姉の言うことはとにかく絶対である。スサが雛鳥のように口をあけると、ツキが葡萄が放り込んだ。
突然、船が大きく傾いた。
身体が宙に浮くような感覚がしてヒルメ、ツキ、スサの三姉弟は折り重なるように藁束わらたばに叩きつけられた。
「帆をたため! 引っ張られるぞ!」
「早くしろ!」
頭上からは水夫たちの怒鳴りあう声が聞こえる。船が大きく揺れる度、身体のあちこちをぶつけた。
ヒルメとツキの姉妹は積み荷にしがみつき、弟のスサは床の隅にはいつくばった。
激しい雷鳴と雨音がして荷倉の中は真っ暗になった。
興奮した水夫らが扉を開けて荷倉へと下りてきた。
持衰じさい(人柱)が必要だ」
「役割を果たせ」
水夫たちの怒鳴り声がした。
「いや! 離して!」
ツキの鋭い声。
「ツキを放してよ」
暗闇の中、轟音と揉み合う音が混ざり合いヒルメが叫んだ。
いきなりの暗闇に目が慣れない。スサは状況を見極めようと必死に目を凝らした。
ツキが助けを求め金切り声をあげ暴れている。
しかし抵抗も空しく、ツキは甲板へと引きずり上げられた。
「ツキ!」
「姉ちゃん!」
 ヒルメは水夫たちの後を追って甲板に這い上がる。姉に続き、甲板に這い上がったスサは異様な光景に唖然とした。

炭のような黒雲が空に渦を巻いている。
さっきまでの激しい雷雨はやみ、水面は凪いでいる。それなのに船体だけがガタガタと激しく揺れ動く。
「若様が!」
若草色の衣を着た少年の従者が必死に水夫に何かを訴えている。
「退いてろ!」
水夫は従者を突き飛ばした。
スサはその横をすりぬけて姉のツキを探した。
「スサ! あっち!」
ヒルメがスサの腕を引っ張った。
楼に立つ船長が船首を指さし、
「みな聞け! 海神わたつみをおさめるため持衰じさいを捧げる」
太鼓を乱打した。
船首には荷物を担ぐようにツキを抱えた水夫が仁王立ちしていた。
「若様の衣が! あそこに!」
従者らしき人が叫んだ。
「まさか、落ちたのか!」
「おい! ふか(鮫)がいるぞ!」
鱶はヒレを海面に上げて、浮かんだ若草色の衣のまわりをぐるぐると泳いでいる。
「あの娘をはやく! 持衰じさいを海へ! はやくしろ!」
わずかの間、スサは鱶の大きさに目を奪われた。ヒルメは船首を見据えていた。
「私が行く」
ヒルメは混乱する船上を走り抜けた。
船首に立つ水夫と対峙したヒルメはツキに微笑んで、迷いなく海へ身を投げた。
黒雲が轟き、圧倒的な圧をもったなにかがゆらゆらと天からおりてきた。
虹色の光輪を纏ったそれは黒いのに眩しくて直視できない。
スサは反射的に顔を背けた。
まぶたの裏に波間にもがく姉ヒルメの姿がみえた。
助けなくては。スサは弾かれたように海へ飛び込んだ。

「あの、大丈夫?」
誰かがスサの頬を打った。
全身が傷み頭の芯がぼんやりとしている。スサは横たわったまま誰かに問いかけた。
「姉ちゃんたちは……」
「あそこに」
スサが慌てて身を起こすと全身に傷みがはしった。
姉ヒルメは波打ち際の流木に座って、穏やかな海を眺めていた。
スサが遠くから声をかけても、ヒルメは反応しない。
スサは側へ寄ろうとしたが傷みと砂のせいで足がもつれてうまく歩けなかった。見かねて肩をかしてくれた誰かが、若草色の衣の少年だとスサはようやく気がついた。

「姉ちゃん……」
スサがヒルメの肩に触れたようと手を伸ばすと、虹色の光輪がヒルメを包んだ。
スサは尻餅をつき後退る。
指先の感覚がなくなった気がしたのだ。
ヒルメは不思議そうに手を握ったり開いたりしている。
「なるほど。わしはまちがえたようだ」
ヒルメは納得したように呟いた。

狭野さぬ高千穂宮たかちほのみやを飛び出した。
「わぁ! ごめん」
頭に壺を乗せた女官にぶつかりかける。
「若様、どちらへ?」
「スサとヒルメんとこ!」
振り返ることなく、狭野は駆けていく。
首から下げた群青色の石があっちこっちに忙しなく揺れた。
一つ、二つ、三つ。狭野は顔馴染みの関守りに挨拶をしながら柵を通り抜ける。
土橋を渡ると、ここからは水をたたえた堀をいくも越えなくてはならない。
ほりに浮かんだ丸木舟から声をかけられた。
「どこ行く?」
竹竿を持ったおじさんが眩しそうに狭野を見上げている。
「いつもんとこ!」
「乗んな」
環濠かんごうは高千穂宮を中心とした集落を守るためのもので広大かつ入り組んでいる。
「仕事は終わり?」
狭野が尋ねると、おじさんは頭に巻いた布を締めなおして頷いた。
おじさんは小舟に人や物を乗せて濠を移動することを生業としており、頬には波紋ような入墨いれずみをしている。
「今晩あたり、鯉が登ってくるんだって」
「おお、そんな時期か。足が良けりゃ俺も行くんだがなぁ」
おじさんは大きな傷がある膝をさすりながら、悔しそうな顔をした。
「一匹、あげるよ。いつも乗せてもらってるし」
「若様に捕まえられたら、な」
おじさんは豪快に笑って竹竿で舟を操った。

真ん中がくびれた棒状のきねを持ち上げてパッと手を離す。その度にカーンと良い音が辺りに鳴り響いた。
狭野さぬとヒルメは向かい合い順番に杵を落とす。
「そういや、スサは? どこいった?」
狭野がヒルメに尋ねる。
「最近、あいつモテはじめてな。逢引でもしとるんだろ」
ヒルメはとても悔しそうに言った。
「神様でもモテを気にするのか」
狭野はからかった。
当たり前だ、とヒルメは力いっぱい杵を持ち上げる。

嵐のあの日からヒルメとスサは狭野の故郷、高千穂宮に身を寄せていた。
身分が違うため住む場所は違っていたが、狭野は足繁く姉弟のもとに通った。
助けてもらった恩義を返そうと、狭野は姉弟にさまざまな便宜を測った。高千穂宮の後継である狭野にとっては造作もないことだ。
はじめは疎ましがっていたスサも、次第に態度を軟化させて、ぽつりぽつりとヒルメのことを語ってくれた。
スサが言うには、嵐の日からヒルメの様子はおかしくなってしまったそうだ。
まず「わしは神である」と言いはじめた。大切な使命を持ち現世に降りたが、間違えてヒルメに取り憑いた。しかも自分の名前も大切な使命が何かも忘れてしまったという。
しばらくしてヒルメの成長が止まっていることがわかった。
あの日からおよそ五年。
ヒルメの容姿があの時からまったく変わらないのだ。まっすぐに切り揃えた前髪も爪も伸びることはい。いつの間にか狭野はヒルメと同じ背丈になり、やがて追い抜いてしまった。
そして時折、虹色の光輪がヒルメを包むことがある。
間違いなくヒルメはまったくの別人になってしまったのだ。
神様になったヒルメは陽気で話していて楽しいやつだ。狭野はヒルメが好きだった。
でもそれはスサにとっての姉ヒルメではない。
いつも飄々としているスサの瞳が曇る時、狭野の心臓はギュッと縮こまる。
そして、何とかしてやりたいという気持ちは日増しに強くなっていた。

「そうだ、秋ごろにどこかの大国から使者が来るらしいぜ」
ヒルメは唇を尖らせ、それがどうした?とつまらなそうだ。
「その国には神様に仕える女王がいてさ。何でもお見通しらしい。その使者にくっついて行けば女王に会えるかもしれない」
「ふぅん」
もみ殻と赤みがかった玄米を選り分けながらヒルメは気だるげに言った。
「やる気ないな。忘れた使命とやらが何か女王に聞いてみようよ? 何でもわかるらしいぜ」
「わしの名も使命が何たるかを知るのはわしだけでよい。ただ、スサのもうひとりの姉のことを尋ねてみるのは良いかもなぁ」
ヒルメは側に座って居眠りをする老婆の様子をうかがった。
「あやつはよく耐えておる。姉の体を奪ったわしのこと。憎いはずだ」
「……そうだね」
「しっかし、ばあちゃんもスサもお前も、だいたいここの奴らはみな、わしが神だということにま〜ったく有り難みをかんじておらん!」
ヒルメが突然大声で言っても、老婆は物置の農具の一部になったように動かない。
老婆は耳が遠いのだ。
「いやいや、信じていないわけじゃないよ。歳取らないし。でも、ヒルメは特にすごい奇跡を起こすとかできないじゃん」
「うっ……最近はスサもばあちゃんもわしをこき使うんだ」
ヒルメは慣れた手つきで玄米だけを口の広い器に移して、老婆の肩を揺すった。
「ばあちゃん起きろ。できたぞ」
「ん、ああ。若様も来とったか……」
老婆は小さな目をしばたかせてふらふらと立ち上がる。
「まぁた、乾燥が足らんのをついたな! 砕けとる!」
 老婆は器の砕けた玄米を見てヒルメを叱りつけた。
「えっ、少しくらいいいよ」
「今晩は神様がいらっしゃるのだぞ」
「わしはそんなん気にしないです」
「やり直し!」
「えぇ〜」
文句を言うヒルメに老婆は唾と檄を飛ばした。
「昼は人がつくり、夜は神がつくるのだ」
「ばあちゃん、それ何十回も聞いたから。というかわしが神だから」
成長しない、という点をのぞくとヒルメは大層ひょうきんな人の子に見える。
喋らなければとても美少女でもある。
「まぁた、馬鹿なこと言って。仕方ない娘だね」
狭野は二人のやり取りをしり目に再び杵を持ち上げた。

村人たちは皆一様に空を眺めていた。分厚い雲が月と星ぼしを隠している。暗闇に包まれた村には山に生きる獣や虫たちの声があるだけだった。
生温く湿った風が木々を揺らしはじめる。
狭野は首に下げた石を握りしめて囁いた。
「来るかな?」
「……たぶん、もうすぐ」
スサは空を見上げたまま言った。
「あんまり苗を踏み潰さんようにしろよ」
足を伸ばしたり曲げたりして準備運動をする狭野にスサは声をかけた。
雲の形が潰れた蛙みたいになって、やがてふちから月が顔を覗かせた。
大きくてまん丸の月が村人たちを照らす。
「きたぞぉ!」
村の端から若者が大声を張り上げる。
バチャバチャバチャという水音がして田んぼに魚が登ってきた。月光の下、きらきらと鱗が輝いている。鯉だ。
歓声と共に田んぼに人が雪崩れこんだ。
はじめての狭野は暴れる鯉に戸惑ったが、コツを掴めば簡単に捕まえることができた。
あっという間に鯉の山があぜ道に出来上がる。
「お! あいつはすごいぞ」
あぜ道の上からヒルメが指差した。
小さいが動きが素早い。何より他の鯉とは違って輝くように白い。
「群れのぬしかもしれん。捕まえて、川へ戻そう。また来年も来てくださるぞ」
村の男のことばに全員が反応した。
「子どもは田から上がれ」
「誰か田の入り口をせき止めろ!」
スサは木の柵にで流れをせき止めた。
「傷つけるなよ」
「音を立てず、追いつめろ」
腕に自信のある数人の男たちが白い鯉を囲う。
田んぼの端へと追いつめられた鯉はスサの股の下へと潜り込んだ。
「捕まえた!」
スサは白い鯉を両手で持って天に掲げた。
歓声と拍手が巻き起こる。
「スサ、よくやった!」
「よかった!」
狭野とヒルメも手を叩きながら抱き合った。
「ところであの鯉って神様なの?」
「わしにわかるわけないだろ。でも皆がそう言うのだから、そうなのだ」
ヒルメはニッと口角を上げて笑う。
「昼を人がつくり、夜を神がつくる! 今宵、神は豊かな恵みを運んでくだされた!」
よく通る声だ。頭に小豆色の鉢巻を巻いた老婆がさかきを振りながら積み上がった鯉に米をぶつけた。小柄だが背筋をしゃんと伸ばして、昼間にうたた寝をしていた人とはまったくの別人だ。
巫女ふじょ言祝ぎことほぎに村人は更に大きな歓声を上げて天からの恵みを喜んだ

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