卑弥呼さまに会わせて  二話

「ねえちゃ〜ん!!」
遠くから聞こえる呼び声にツキは顔をあげた。
陽は高い。
キラキラと輝く波打ち際に目を細めると、弟たちが海岸沿いを仔犬のようなすばしっこさでこちらへ駆けてくる。
「ねえちゃん! マレビトだ! ものすっごく大きな船が!」
真ん中の弟が目を輝かせて飛び跳ねた。
「クジラ岬?」
「うん!」
当然、という顔で今度は一番下の弟が元気よく言った。
「おっ父とじいちゃんが、船の近くに居たの見たんだ! 行ってみよう!」
一番上の弟の言葉に下の二人が嬉しそうに飛び跳ねる。
クジラ岬は潮の流れで漂流物がよく流れつく。大昔にクジラが流れついたことで、そう呼ばれるようになったという。
何かが流れ着くことが別段珍しいことではなかったが、今回は弟たちを大興奮させる大物のようだ。
ツキは海藻に海水を掛ける手を止めて、
「行かないよ。あんたたちも行ったらだめよ。ちゃんと今日の仕事はした?」
ぴしゃりと言った。
三兄弟は顔を見合わせて口々に言う。
「したよ!」
「……」
「ちょっとくらいいいでしょ?」
ツキは性格も顔つきもまったく似ていない弟たちを制して、
「だめ。あっちの海藻は塩吹いてるからね。おっ母のとこまで運んでよ」
ツキは砂浜に並べられた海藻を指差した。
このあと焼いて煮詰めて塩をつくる。
骨の折れることだったが、時を忘れてできる作業をツキは気に入っていた。
あの恐ろしい嵐の後、ツキはクジラ岬に流れついた。帰る場所はない。
じいちゃん、おっ父、おっ母。それから弟たちも同じだ。
この土地に偶然流れついた人たちは、家族のようにして身を寄せ合って生きていた。

鍋に僅かな米と砕いたドングリの粉をいれる。そこに湧き水を入れてから、ツキは小指を鍋に突っ込んだ。
「どう?」
隣に座ったおっ母が聞いた。
隈のある丸い顔をした女性だ。
ツキは海藻の表面にこびりついた塩をこそげ落として鍋に入れた。
「味がちょっと薄い。けど、まぁいいよ」
ツキの言葉におっ母は朗らかに微笑んだ。
一番上の弟が竹筒から火元にゆっくりと空気を送る。
炭は赤くなり、ばちばちと爆ぜた。
「あ! おっ父! じいちゃん」
「おかえり!」
家の外から一番下の弟の声が聞こえると、弟二人は慌てて飛び出して行った。
編みかけの藁縄がそこら中に散らばっている。
「もうっ! やりっぱなし!」
ツキは怒鳴りながらも、食事の支度を続けた。
「あっ」
鍋に当たった拍子に小さく縁が欠けた。
「もう、だいぶん前から使ってきたからねぇ。それこそあんたが、岬に流れつく前からよ」
おっ母は鍋を見つめて大きなあくびをした。
「おっ母、少し横になったら? 夜寝れてないでしょ」
昨晩は一番下の弟の夜泣きが酷かった。よほど辛いことを思い出したのだろう。
おっ母は弟が眠るまでおんぶして海辺を歩いていたらしい。
ツキは家族の過去を知らないし、尋ねない。ほかの家族もまたツキの過去を尋ねたりはしない。
泣いていればただ寄り添ってくれる。今のツキにはそれで十分だった。
「……じいちゃんに新しい鍋作ってもらわないと」
ござの上にごろんと横たわったおっ母は目を瞑って言った。
「そうだね」
鍋の縁が欠けるほどに家族は毎日を重ねていた。

「我らの言葉がわかるか?」
十三、四だろうか、ツキと同じ年ごろの少年が言った。
「……少しだけ」
ツキはおずおずと手を上げた。
「我らは不老不死の霊薬を求め、周遊するじょ一族である。我らの船の主、ふくは言った」
少年のマレビトは淀みなく言う。案外、可愛らしい声だ。
マレにやってくるヒトだから、マレビト。ツキたちは外からやってきた人をそんな風に呼んでいた。
物が豊富とはいえないこの島でマレビトは歓迎すべき人だった。
マレビトは珍しい食べ物や便利な道具を持っていたりする。つまり、良好な関係を築くことはとても大切なことなのだ。
蓬莱ほうらい方丈ほうじょう瀛州えいしゅう、東方の三神山さんしんざんにそれはある、と。福は一度は身罷みまかられ」
「ねえちゃん、この人何言ってんの?」
一番上の弟がひそひそとツキに耳打ちをする。
「え〜と……自分ちの歴史を教えてくれてるみたい。たぶん」
「へぇ」
真ん中の弟はなるほど、という顔をしてマレビトたちを見た。
クジラ岬に流れついたのはきらびやかな大型船だった。座礁した船から出てきたのも見たことのないようなきらびやかな人たちだった。
頭のてっぺんに布を巻き、同じような丈の長い布を羽織っていた。青い布には光沢のある細かな刺繍が施されている。
一方のツキたちは麻布を頭からすっぽり被って、腰の辺りを紐で結ぶだけの簡単な服だった。
「僕たちぜんぜん違うね」
「だからこんなにいっぱい、ずっと喋れるんだよ」
一番下の弟の呆れたような関心したような言い方が面白くて、ツキたちは思わず吹き出した。
「おい! 聞いているのかっ!」
小さい方の少年は顔を赤くして怒鳴った。
「……これこれ、徐夕じょゆう。そなたの振る舞いは徐のものではないぞ」
今までよりはるかに聞き取りやすい言葉だった。
徐夕じょゆうと呼ばれた少年の後ろに控えていた、もう一人のマレビトが言った。
肌は白く、切れ長の瞳が美しい。徐夕じょゆうよりも背は高いが男とも女とも判じることができない人物である。
徐夕は更に赤くなって、ツキたちを睨んだ。
「……えっと、笑ってごめんなさい。おっ父からあなた方を手伝うように言われました。具体的に何をすればいいのでしょうか?」
ツキはもう一度手をあげて仕切り直した。
「我らは気高き徐の一族。ただむやみ雲に霊薬を求めているわけではない。見聞を深め徳を積み」
再び徐夕は雄弁に語りはじめた。
「珍しい植物や鉱物などを探しているので、案内を頼みたい。あやつは自尊心が高すぎてめんどうなのだ」
大きい方のマレビトがため息まじりにツキに耳うちをした。

「ここからは二手に分かれよう。徐夕じょゆうはツキと、俺は弟らと」
師兄しけい! 我らが陸にある時は離れてはならない決りです」
徐夕は背の高い徐市じょいちを見上げて言った。
「つまらんやつだなぁ。この辺りの植物や鉱物はおおかた見た。二手にわかれて競えば何か別のものがあるかもしれんだろ」
面白いだろ、と徐市は弟たちに歯をみせて笑いかけた。
数日間、マレビトたちと行動を伴にしてわかったことがある。
徐市は白百合のように美しく中性的な青年だが、中身は弟たちと変わらない。頭が良く口がよく回る分やっかいだ。
「勝った方の景品は何にする?」
一番上の弟が目を輝かせた。
「景品! いいぞ、いいぞ! これはいよいよ面白い! 皆、作戦会議をするぞ」
徐市はあっちへ行けとツキと徐夕を手で追い払う。
師兄しけい!!」
まったく言うことを聞かない徐市じょいちに徐夕が顔を赤くして地団駄を踏んだ。
こちらは葦のように直線的で非常に単純だ。
「ばか者、そなたの言語力では弟らと意思疎通が難しい。これは俺の思いやりだ」
徐市はあかんべをして弟たちを連れて行く。
「くっそ! 絶対に負けん! ツキ、我らも行くぞ!」
徐夕はツキの襟首を掴んで大股で歩き出した。

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