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卑弥呼さまに会わせて  三話

「で、何かあるだろ」
徐夕じょゆうはしゃがみ込み蟻を掌で遊ばせている。ジロリとツキを見上げた。
「何かと言っても……」
ツキは頬を掻いた。
徐夕の兄、徐市じょいちをあっと驚かせるような珍しい植物や鉱物などツキには思いつかなかった。
ここ数日、散々歩きまわったのだ。
「とりあえずあっちの方に行くぞ」
徐夕は蟻を地面に放して歩きはじめる。
山にどんどん分け入っていく徐夕に、ツキは黙々とつき従った。
体力には自信があるツキだったが、その差はどんどん広がってゆく。
「いたっ」
ツキがごつごつとした石のあるところでつまづいた。
徐夕はちらりと振り返って、再び歩き出した。
本当にあしのように一直線な少年だ、とツキは思う。
「そうか……葦……あし! 珍しい石! あった!」
「ほんとか?」
ツキの大声に徐夕は振り返った。
ツキは徐夕に追いついた。
「葦の根っこにできるもので、鳴石なりいしって呼ばれてる。音が鳴る石なんだよ」
「それは良い!」
徐夕は瞳を輝かせた。
「でも、だいぶ遠かったよ? 道もじいちゃんやおっ父の方がよく知ってる」
ツキは空を見上げた。
滲んだように大きくなった太陽が木々の隙間にゆっくりと落ちていく。間もなく夜がくる。
「帰らないと……」
ツキは不安げに言った。
「いや、また下まで戻れば時を無駄にする。今夜は野営するぞ。じょ一族は何事にも怯まず一歩前に進むのだ」
徐夕は拳で自分の胸を叩いた。
そんな無茶なと思ったが、ツキの足は痛みはどんどん増している。体を休ませるほうがいいだろう。
「では、もう少しゆっくり進んで下さい」
「なんでだ?」
徐夕は不思議そうに首を傾げた。
「足を痛めたみたいで」
「……考えておく。ここよりは拓けた場所か、頑丈な屋根がある所で休むぞ」
徐夕はさっさと歩き出した。

「起きろ」
目を開けると徐夕じょゆうの不機嫌そうな顔がツキを見下ろしていた。
「地鳴りがする。急げ」
重い瞼をこすりながら身を起こす。夜は未だ明けていないように思えた。
徐夕は懐から出したものをツキに渡した。
「これは?」
「作った。膏薬こうやくだ。痛みが引く」
徐夕は早くしろ、と目で合図した。
竹皮をひらくとドロっとした緑色の塊りが出てきた。鼻の奥にツンとくるにおいがする。
「どうすればいい?」
やり方がわからず、モタつくツキの足を徐夕が掴んだ。
徐夕は膏薬をツキの足首に塗ってその上に葉っぱをかぶせた。葉っぱが剥がれないよう、草鞋わらじの紐で葉っぱと足首を固定した。
「ありがとう」
「べつに。反対側は自分でしろよ」
徐夕は素っ気なく言って、早くしろとツキを急かした。

イガイガする枝を掻き分けて進むと、水辺に一面の葦原あしはらが広がっていた。
「あれ? おかしいなぁ」
あやふやな記憶のまま山道をつき進んだため、正解がわからなくなってきた。
「たしか、水辺でじいちゃんが見せてくれたはずなんだけど」
ツキは水辺をうろうろと歩きまわり、葦を引っこ抜く。
「おい、本当にここか?」
徐夕じょゆうも手伝ってよ、ほら」
ツキが手招きした瞬間、地鳴りがした。
二人は身を縮めて顔を見合わせる。
「はやく探そう。鳴石なりいしは葦の根っこにできるの」
「承知」
徐夕がどんどん葦を引っこ抜き、ツキは抜かれた葦の根元を洗っていく。

「 あった! あったよ!」
葦の根っこにはこぶのようなものが何個か絡まっていた。
どれも掌に乗せることができる大きさのこぶだ。
ツキはこぶのひとつを洗って、徐夕の耳元でこぶを振った。
カラカラと小さな音がする。
「これは面白い! 本当に鳴った!」
石が鳴るので鳴石なりいし。言葉の通りだ。本当にあってよかった、とツキは内心ホッとした。
気を良くした徐夕は葦をまとめて引っこ抜きはじめた。
再び、地鳴りがした。今度は何かが腐ったような臭いも辺りに立ちこめてきた。
「……帰るぞ」
徐夕の言葉にツキはうなずき、草鞋をきつく結びなおした。

小走りになりながら山を下ってゆく。徐夕じょゆうは時折り立ち止まって、ツキの様子を伺っている。
「先に行って! 大丈夫だから!」
肩で息をしながらツキが叫ぶと、
「先を見てくる!」
徐夕が片手をあげて走りはじめた。
ツキは額の汗を拭い、膝に手を置いて前かがみになる。足が痛い。
ツキが深呼吸すると、後ろからおかしな音が聞こえてきた。
何かが千切れるような。
音は不規則に続き、地面が細かく揺れはじめた。
「上に登れ! 走れ!」
大声とともに徐夕が矢のように駆け上がってきた。
「この音は何!?」
「木の根が千切れてる!  わあっ!」
地面に大きな横線が入り、ひび割れていた。
「崩れる!」
どこから地すべりがおこるのかわからない。僅かに助かる方法は上に登るだけだった。
「ツキ!  こっちだ!」
徐夕が左に逸れながら走り、さらに大きなひび割れを跳び越える。
「わあっ!」
草履が脱げてツキは前方につんのめった。
徐夕は旋回し、ツキの身体を左に引っ張り上げる。
せり出した大きな岩がある。
徐夕は岩の下にツキの体を押し込んで、自らはその上に覆いかぶさった。
二人の右側を物凄い勢いの土砂が流れていった。

ツキは潮風に流れる髪を押さえて、クジラ岬の方をみた。
マレビトたちは出航の準備で忙しそうだ。
「お〜い!」
青い羽織をはためかせ、徐夕がこちらに駆け寄ってきた。
「船、もう出る?」
「ああ、風もいいし。もうすぐ出航する」
徐夕は頷いた。
「見送りにきた」
「……うん」
二人はゆっくりと並んで歩きはじめる。
恐ろしい土砂崩れは家族も家も多くのものを押し流した。あとに残されたのはツキだけだった。
ツキは懐から土器の破片を取り出した。
「これ……沖に出たら海に放って欲しいんだけど」
「これは?」
徐夕は手渡された破片を見て、首をかしげる。
「うちで使ってた鍋の破片」
「……」
「じいちゃんもおっ父もおっ母も弟たちも
、みんなここに流れ着いた人たちだったの。私たちは本当の家族じゃなかった。みんなが生きてた証が、欠片でも本当の大切な人のところに還れるように……」
瞬きする度にツキの目から涙がこぼれた。
ツキは二度、家族を失ったのた。
「我は徐のもの、字《あざな》は夕である。任せろ。きれいな場所に放るよ」
徐夕は欠片を大切に懐にしまって、胸を叩いた。

船に近づくと腕組みをする徐市じょいちが立っていた。
徐市はこちらに気がつくと柔らかく笑って片手をあげた。
「やあやあ」
太陽に透けてしまいそうな程に白い顔だ。
「見送りに来ました」
「うむ。考えたのだが……ツキ、一緒に来るか?」
「一緒に?」
思わぬ言葉にツキは目を見開いた。
じょの一族以外、この船には乗れません」
徐夕は苦しそうに眉根を寄せた。
「なに、簡単なこと。そなたか俺の妻にすれば良い」
師兄しけい!」
徐市は涼しい顔をしてとんでもないことを言いはじめた。
「ひとり、ここにいても辛いだけだろう」
徐夕は押し黙り、徐市はツキをまっすぐ見つめた。
「どうする?」
「……行けません」
ツキは俯いた。
「みんなのお墓作らないと。それに、また誰かが流れついてくるかも。クジラ岬って本当に色んなものが流れてくるから」
ツキは小さく笑って、顔をあげた。
「なるほど。そのような生きかたもあるな」
徐市は頷くとツキの頭を撫でまわした。
「……徐夕。俺は良いことを閃いたぞ」
「聞きたくないです」
徐夕は物凄く嫌そうな顔をした。
「俺はここで船を降りる」
「え?」
「なんで?」
徐夕とツキが声を重ねた。
「おまえたち何というけた顔をしておるのだ」
徐市は嬉しそうに笑った。
「師兄! 一族の悲願をお忘れか?」
「わかっておる。方法を変えるだけだ。生き方を変えられるのは生きているうちだけだからな」
徐市は蝶のように体をひるがえし船のきざはしを駆け上った。
「親父に話をつけてくる」
徐市は手を振り船の中に消えていった。

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