時折最高:010 Parbat Se Kaali Ghata Takrae ~ インド映画「Chandni」(1989)より
1989年製作のヒンドゥ映画「Chandni」からの1曲。
ヒロイン:Sridevi
相手役:Rishi Kapoor
女性シンガー:Asha Bhosle
男性シンガー:Vinod Rathod
歌詞 ↓
何やら情熱的な心情が沸き起こってどうにも出来ない、といった歌のようである。
この映画の歌と踊りは、どの曲も素晴らしいのだが、特にこの曲。メロディ、一気に高音域に駆け上がる女性部の戦慄、男女の掛け合いの絶妙さ、伝統楽器を生かした伴奏の響きなど、何度聴いても完璧な出来映え。もちろん録音については深いエコーや音割れ気味の音圧など、現代日本の常識からすると首をひねる部分もあるが・・・。
ところで、この記事をご覧戴いているすべての方がインド映画に詳しいわけではないだろうと思われるので、ちょっとだけインド映画の構成というかお約束について触れておこう。
インド映画の事情
インド映画、と一口に言っても、実は言語圏ごとにかなり異なる。人口・規模ともに大きいのはヒンドゥ語圏でHindi映画。中心地がボンベイ(現在の名称はムンバイ)なのでHollywoodをもじってBollywoodと称されることがある。他にタミル、テルグ、カンナダ、マラヤーラムなどが制作本数多めの言語。他にもアッサムとかいろいろあるらしい。2000年代までは間違いなく、世界一制作本数が多いのはインド映画であった。年間1000本に近いという。
さて、実は大別すればインド映画には2種類ある。
神様映画と人間ドラマである。
神様映画については外国人には分かりにくいだろうと思う。私も分からない。このあたりにまったく触れていない日本語Wikipediaはまだまだ表層的である(笑)<- 何様だ(笑)
19世紀の無声映画時代からインド映画の歴史はスタートする。こうした網羅的な歴史概観は英語版Wikipediaにある程度記載されているが、ここでも芸術映画と娯楽映画に関する記述はあるものの、一大ジャンルであるはずの神様映画の情報があまりない。無視しているのか、抹殺されようとしているのか・・・。
例えば、Srideviが3歳の時に子役で出演している「Kandhan Karunai (1967) 」。ちなみにこれがSrideviのデビュー作である。
ヒンドゥ教や「マハーバーラタ」などのインド神話に親しんでいれば、おそらく親しみ深い物語なのだろう。1923年には作られる映画の70%が神様映画だったという。その後興業が振るわなくなり、映画業界は人間ドラマへシフトしていった。
芸術映画で黄金期を迎えたインド映画だったが、60年代後半から娯楽映画にシフトしていく。ニューシネマの流れはインドにも及んだのだ。そして暴力描写の多いバイオレンスもの、逆に恋愛中心のロマンティックものが大半になっていく。ここでミュージカル形式の、ドラマの中に歌と踊り、という様式も固まっていく。
21世紀の現在、日本で紹介されるインド映画のほとんどは、この娯楽映画の中でも、さらに欧米の影響が強いものだ。俳優のルックス、音楽、ファッション。異国を味わいたい、インドらしさに触れたいのなら、1940年代から60年代の社会派ドラマか、70年代から80年代の恋愛ものなどのほうがずっとエキゾチックで魅力的であるように思う。
2023/01/16 16:50 追記
神様映画は英語ではDevotional Filmと呼ぶようだ。YouTubeにまとめたプレイリストがあったのを見つけたので参考までに。雰囲気は分かると思う。
Hindi Devotional Movie
インド映画の構成
初めて見ると驚くのが、映画の長さと唐突なダンスシーン。よく知らずに眺めていると、唐突に男女がどことも知れない場所で、何度も衣装を替えながら踊っている。こうした表面を取り上げて、「インド映画はムチャクチャ」みたいなことが言われるが、仕組みが分かると納得出来る。
3時間くらいあるストーリーの中で、見せ場となるシーンに歌や踊りが入る。オペラやミュージカルのように、その場面で展開する場合もあるが、特徴的なのは登場人物達の内面描写がダンスシーンになっているケースだ。
例として分かりやすいものを挙げると、
上のリンクでは該当箇所から始まると思うが、ここから6分少々見て戴くと、ゴージャスなダンスシーンの意味が分かると思う。久しぶりに会えた2人が抱擁を交わす。この抱擁を交わしている数秒間の心象風景が6分間の歌とダンスで表現されているのだ!
ちなみに筆頭女性ダンサーがSrideviなら、男性はGovindaではないかと思う。この人本当に踊りが見事。相手役のKarishma Kapoorもいい。
この例のように、ドラマの現実世界とはかけ離れた場所や衣装やメイクで登場するシーンは、要は内面描写なのである。それが分かれば、ドラマ内で現在ラブラブな状態の発露なのか、逆に現在は別離の悲しみの中にいて、回想の中での逢瀬を愛おしんでいるのか、見分けが付くようになる。後者ならダンスシーンの表面的な美しさの裏に切なさを感じるはずだ。
今回紹介した”Parbat Se Kaali Ghata Takraee”という曲の使われ方もなかなか凄い。心ならずもヒロインを追い出す形で別れた男性が、それでもやはり諦められず、部屋中に張った彼女の写真を見ている。そして彼女が自分を呼ぶ声がどこからか聞こえてくる・・・。そして音楽が始まる・・・。
すなわち、このエロティックで熱烈なダンスシーンは、恋い焦がれる男が彼女のことを思うあまりに見た幻想場面なのだ! だからこそ現実では決して起こらなかったようなラブシーンが展開されているのだろう。そう分かって見れば、これほどの幻想を眼前に描いてしまう男の哀れさに胸が痛むのではないだろうか。
また映画一本が3時間という長尺についてだが、大抵は途中に休憩が入る。そこで映画館の観客は一息ついてご飯を食べたりする。要はたっぷり時間を費やして楽しむ、歌や踊りの場面では場内みんなで盛り上がる、といった楽しみ方をするそうだ。つまり安価に長時間楽しめる、娯楽の王座についていたのが映画だったのである。
21世紀の現在では、当時より相当映画館は衰退していそうだし、観客の楽しみ方も変わっていそうだ。
Srideviという女優
女優歴50年の大スターである。2018年54歳で死去。
タミル映画でデビュー。その後マラヤーラム、テルグ、カンナダと他の言語圏映画にも出演。1975年にはヒンディ映画にも進出。5つの言語圏で人気女優となった。
子役時代は別として、大人の俳優活動初期の代表作をいくつか紹介しよう。
16 Vayathinile(1977)
相手役はKamal Haasan。Rajinikanthも出演している。「踊るマハラジャ」の主演男優スーパースターだが、昔はチンピラみたいな悪役が多いのだ。
Moondram Pirai (1982)
交通事故で記憶を失い、誘拐されて娼館に売られてしまった少女。
客として少女と出会い、精神的には子供返りしている彼女に同情し、引き取って育てようとする教師の男。この2人の物語。ヒンディ映画「Sadma」としてリメイクされている。
Himmatwala (1983)
ゴージャスなダンスシーンで、Srideviをスターダムに押し上げた決定作。
タイトルは「勇敢な男」という意味で、故郷に帰ってきて、村の悪事を暴く男の物語。Srideviは仇の娘で、前半は悪役(笑)。
Nagina (1986)
姿を変えるコブラNaaginというインド神話をモチーフにしたファンタジー。蛇の化身の踊りで有名な作品。
最後に近年の話題を。
90年代以降、一時は女優業をお休みしていたSrideviが復帰したのが2012年だった。
この作品、日本でも「マダム・イン・ニューヨーク」というタイトルで公開された。英語が苦手な主婦が、ニューヨークに英語の勉強に来たことをきっかけに、自信と誇りを取り戻す、というお話だった。
Chandniという作品
それでは今回紹介した歌が含まれている映画「Chandni」の話に移ろう。
この作品は1989年だから、Srideviは26歳にして芸能生活23年目である。成人俳優としても10年以上となる。83年から89年という時期が,制作本数も多い黄金期である。そしてキャリアの頂点に位置する代表作が「Chandni」であった。その後90年代も映画出演は続くが、徐々に次世代スター達との入れ替わりが進んでいくこととなった。
物語としては、簡単にまとめるなら、2人の男の間で揺れ動くヒロインChandniのラブロマンスだ。しかしそこはインド映画、3時間ある物語は波瀾万丈。Srideviという女優のあらゆる魅力を、様々なシチュエーションで描く。ころころ変わる様々な表情、伝統的な踊りからエロティックな場面まで、Srideviという女優の魅力をカタログ的に詰め込んだともいえる作品である。
次のクリップは物語のはじまりの方で、主人公男性がヒロインを見初める場面。親戚の結婚式で祝いの踊りを踊る。そこに男子禁制?の中に潜り込んだ男性が、踊っている彼女に一目惚れするシーンである。
この曲と踊りも有名で、Srideviと言えばこのダンス!、というくらいには代表的なシーン。
そんな「Chandni」という作品だが、現在の視点から見ると、インド映画史においてもエポックメイキングなものであった。
実はこの作品、当時の流行とはいろいろ逆行していたのである。過激な暴力描写やディスコミュージック氾濫の中で、音楽・ドラマ・ファッションにおける伝統回帰を打ち出したのだ。
結果的にこの素晴らしい作品は流行に一石を投じることに成功し、映画界ではロマンティック作品への回帰が起こったという。
本日紹介した「Parbat Se Kaali Ghata Takraee」という曲のバック演奏は、60年代から70年代初頭あたりの楽器編成に近いと思う。80年代以降のインド映画作品では、シンセポップ風だったりディスコ調だったりが目立つ中、こちらはタブラとストリングスだ。なんとカラオケ版が存在したので、これを聴くとかなり伝統楽器による演奏といった雰囲気が強いことがよく分かる。
そして歌い手がまた定番だが大ベテランのAsha Bhosle。姉のLata Mangeshkarと並んで、ほとんどのインド映画の女性ボーカルはこの人たちが歌ってるんじゃないかというくらい、多くの作品を担当しているプレイバック・シンガーである。姉妹揃って伝統音楽のレコードも数多く出している。
インド映画では、俳優が歌うことは稀で、専門の歌手がいる。それがプレイバック・シンガーと呼ばれる専門家。このあたりのシステムもインド映画独自の世界だ。
私はSrideviという女優の魅力にやられてインド映画をいろいろ見始めたくちなのだが、やはり50年代から90年代くらいまでのインド映画が一番面白く感じる。ハリウッドさながらになってしまった近年の作品は、インドらしさが薄くてつまらない。
以下は1955年の映画「Shree 420」という作品からのもの。
こういう路線の方が外国映画を見ている気になれて、私は好きだ。
Shree 420 - Dil Ka Haal Sune Dilwala - Manna Dey
(この動画、どうもサムネイルが展開されないのでリンクにしました)
インド映画のサントラは、SpotifyでもYouTubeでも大量にあるはずだが、数が多すぎて手が付けられない(笑)。「Bollywood」で検索して出てくるのは新しめの音楽が中心。古典的なインド映画音楽なら「History of Indian Film Music」というアンソロジーが年代順になっている。
どちらからも外れるのが、60年代から70年代くらいの、ある意味一番アヤシイ音楽満載の時期。伝統音楽と欧米ポップスの合体で、極めてキッチュな音楽が目白押しなのだが・・・。今のところ、何かの資料を頼りに、その頃の年代の作品名から少しづつ探すしかないのだろうか?
2023/01/16 16:52 追記
「100 Years Of Hindi Film」というシリーズを後に見つけた。幅広い年代をカバーしているようだ。
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