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【日記】「ラブライブ!シリーズ」を全部観た

こんにちは。
岡山ディヴィジョンです。

普段はアイドルマスターシャイニーカラーズ(通称「シャニマス」)についてのnoteばかり書いている者ですが、今回はアニメを中心に展開されるマルチメディアプロジェクト「ラブライブ!」シリーズに触れたので、その所感を書き残しておくものとなります。
そもそも「ラブライブ!」に触れてみようと思い立ったきっかけは、2023年12月9日・10日に開催された、「アイマス×ラブライブ」をテーマとするライブイベント「異次元フェス アイドルマスター★♥ラブライブ!歌合戦」でした。私は「ラブライブ!」シリーズはもちろんのこと、アイドルマスターシリーズすらシャニマスしか詳しく知らない人間だったので、流石に楽しむのは難しいかな……と、配信を含むライブ参加を断念したわけですが、異次元フェスのサプライズっぷりに沸き立つタイムラインを眺めていて、羨ましいよぉ~~~~~~~!!!となってしまいました。人って簡単ですね。いやんなりますよまったく。

とはいえ、私はスマホゲーを継続してプレイするのが苦手で、ゲームを中心に展開されるアイマスブランドに入っていくのを躊躇っていたところがありました。そこでまずは、アニメを中心に展開しているラブライブシリーズから、異次元フェスに備えようじゃないか……というのが、今回視聴に至った経緯です。

もし、本noteを「ラブライブってどれから見るのが良いの?」「面白いの?」という視点でご覧になる方がいらっしゃいましたら、ここからガンガンネタバレしていきますのでご了承の上お読み頂くか、「シリーズ総評」の節のみご覧ください。

それではいきましょ~~~!


1.「ラブライブ!」

2013年より放送が開始された初代「ラブライブ!」は、音ノ木坂学院で結成されたスクールアイドル「μ's」の活躍を描く物語です。途方もないムーブメントを引き起こした大ヒット作品であることはよくよく知っていましたが、2015年大晦日放送の第66回紅白歌合戦に出演を果たすなど、アニメ史に残る未曾有の大ヒット作品となったことは間違いないでしょう。

母校が廃校の危機に瀕していることを知り、それを回避するためにどうすればいいか考え始める第1話の冒頭から、「スクールアイドル」というキーワードが登場するまでの一連のシークエンスは、かなりのハイテンションタッチで語られていくため驚くほど悲壮感がありません。特に冒頭の流れはかなり面白くて、いきなり歌い始める→廃校の事実が示される→気絶→OP→勘違いだと思ってるんるんになる→壁に廃校の通知が貼り出されている(しかも一枚だけサイズが明らかに大きい)という流れは、思わず笑ってしまうほどのテンポ感です。一方で、必要な情報を詰め込まれているためその後のストーリー展開に入っていきやすく、2013年のアニメながらむしろ今っぽいイントロダクションという印象でした。

一方で、そうしたポップな語り口が「廃校」の重大さを軽くしてしまっているのも事実なので、もう少し重たく引っ張っても良いのでは?と思っていたのも束の間、物語の屋台骨となるメッセージはそこじゃないんですよと示してくれたのが第3話「ファーストライブ」でした。
確かに、「廃校を回避する」というのは当初の最終目標であり、物語前半のマクガフィンとも言えるでしょう。一方で初代「ラブライブ!」にテーマとして据えられているのは、むしろ青春という一瞬の輝きを、彼女たちが自ら、どのようにつかみ取っていくのかということでした。廃校というのはあくまでフックに過ぎなかった、ということですね。
ここに、わざわざ「アイドル部」ではなく「スクールアイドル」という概念を持ちだした理由も表れていると思います。スクールと頭につけてしまった以上、活動期間は高校在学中の3年間だけ。その限られた時間を、彼女たちはどうやって輝くのか。限られた「今」をどう走り抜けるのか。

第3話「ファーストライブ」では、スクールアイドルとして初めてのステージに挑んだ穂乃果、海未、ことりの三人が、その懸命な努力も実らず、無人の観客席を突きつけられるという衝撃的な展開が待っていました。彼女らのみならず、視聴者にも大きな挫折感を抱かせるシーンになっていましたね。彼女らが歩み始めた「スクールアイドル」という道は、それだけ生半な道ではないということが、改めて認識されるところでしょうか。

しかし、穂乃果たちが選択したのは「たとえ人が集まらなかったとしても歌おう!」というものでした。会場にほとんど人がいなくても、自分たちを見に来た花陽と凛、たった二人のために。

ここが格好いいんですよね!穂乃果たちがスクールアイドルを始めたきっかけは、「廃校の危機」という外的な要因です。母校のためと言えば聞こえはいいですが、お金を稼ぎたい、名声を得たいといった「承認を要する動機」と大きな違いはありません。即物的な「結果のための」活動になりかねないものでした。
しかし、たった二人の観客のために歌おうとする彼女らの姿に、「大義(廃校阻止)のためのアイドル」の姿はありません。そこにあったのは、どこまでも自己満足的かつ主体的な、彼女らの選択でした。

このステージを見ていたのは、そのほとんどが後にμ'sに加わる少女たちです。この点もすごく良くて、自分はこうしたいんだ!という叫びを目の当たりにした彼女らが穂乃果たちに感化され始め、やがては一つのチームになっていくというのはとても象徴的ですね。絵里を含む、その時点ではまだμ'sでなかった彼女らも、後に自分の道を選ぼうとしていくことになるわけです。その後の展開に大きな方向性を与えた、たいへん説得力のあるシーンだと思いました!

1期では、ラストの展開も印象的でしたね。スクールアイドルにどうしても後ろ向きだった海未と、それを日の当たる場所へ導いた穂乃果の立ち位置が、ことりの留学話をきっかけに逆転してしまうというのは、切ないシーンでした。二人の立っている場所が左右で入れ替わっているのもそうですし、穂乃果がきびすを返して屋上を去って行くのも、対比として悲しいですね。だからこそ、同じく左手側(下手側)から穂乃果とことりが講堂に飛び込んでくるラストには、視聴者感動といったわけです。

「廃校阻止」という当初の目的が達せられたとき、穂乃果たちが次に向き合うことになったのは「ラブライブ!優勝」という目標でした。そして同時に、三年生の卒業に伴う「今後」についても、向き合うことを余儀なくされていきます。青春という輝きが「一瞬である」ということを受け入れるには、とても大きな恐怖と痛みが伴います。そんな痛みに向き合う2期は彼女らの強さや気高さ、そして未熟さが感じられて良いですね!

2期で言うと、名曲「Snow halation」の扱い方もかなり好きでしたね。この楽曲はアニメ放映が始まるよりも前に発売されたもので、恋愛について歌った曲でもありますから、恋愛を扱わないアニメ本編に詞の意味を落とし込むのはとても難しかったと思います。それを、「メンバーそれぞれがμ'sに対して思っていること」という再解釈を加えたうえで、ここぞの場面で流したことで、大きな相乗効果が生まれていましたね。

最終話のサブタイトル(「叶え!みんなの夢――」)が、第1期第1話(「叶え!私たちの夢――」)と対になっているのも、ベタながら良いですね。
青春という一瞬の輝きを懸命に走り抜けてきた彼女らが、校舎をまわって、最後屋上に水で「μ's」と書く……μ'sというスクールアイドルは、水で書いた文字が乾いてしまうのと同じように儚く終わってしまいます。けれど、「やりきったよ」と自信を持って口にできた穂乃果の姿に、儚さ以上の美しさを感じることができました。μ'sが駆け抜けてきたその一瞬は、まるで永遠のように視聴者の心に刻まれたと思います。

テレビシリーズ1期、2期もたいへん楽しく視聴することができましたが、私が大きく感銘を受けたのが、「ラブライブ!The School Idol Movie」(劇場版)でした。

先輩の卒業と同時にμ'sの活動を終わりにすることを決めた穂乃果たちは、しかし日本中で人気になってしまったことにより、ライブを熱望されてしまいます。μ'sを続けるべきか、それとも当初決めたとおり終わりにするのか。彼女たちの前に立ち現れるそうした問題と、向き合うことになっていく……というのが、劇場版のストーリーでした。

私はこの筋立てがかなり好みでしたね。μ'sのメンバーが自分たちを応援してくれる人たちに改めて向き合うことで、自ら選んだ「解散」という道と、そしてそれを選んだ自分たち「らしさ」を再確認するという物語は、素直に胸を打つものがありましたし、μ'sの活躍を追ってきた視聴者は感動間違いなしでしょう。

加えて言うなら、このストーリーラインからはメタ的な意味も見いだせそうです。

μ'sの残した功績は偉大すぎて、たとえ彼女らが解散という未来を選んだとしても周囲が続きを求めてしまいます。そうした「声」は、ラブライブという作品が社会現象クラスの大ヒット作品になってしまったことにより、卒業を以て完結したテレビシリーズの続きが、どうしても求められててしまうことに、まるで重なり合うようですね。また、商業作品としてそうした運命を負っているということも含意しているでしょうか。
人気を獲得してしまったμ'sにとって、終わりを選ぶというのは物語的にもメタ的にも困難だったわけです。
そうした事実に対し彼女らが真っ正面から向き合って、きっちりと回答を示してくれるこの劇場版は、同時に制作陣の誠実さも証明してくれるような完結編だと思いました。

物語が終わりきらないこと、続いてしまうことに誠実な回答と、きちんとした終わりを示すというのは、並々ならぬ胆力がないと描けません。それこそ、これだけ大ヒットした作品であればなおのことです。私がこの劇場版を観て真っ先に思い出したのは、名作テレビアニメシリーズ「けいおん!」でした。
ラブライブ同様社会現象的な旋風を巻き起こした「けいおん!」は、その評価に違わず私も楽しく視聴した人間の一人でしたが、第2シーズンにて描かれた唯たちの進路選択に不完全燃焼を覚えていました。

けいおんという作品が私たちの涙を誘う理由は、ラブライブと同様、そこに青春の切なさが描かれているからだと考えています。楽しくて仕方がないその日々が、着実に終わりつつあるということ。それを自覚しながらも、明確に言葉にはすることのない薄氷を歩むような毎日。そのバランスがふとした拍子に崩れて、卒業を自覚してしまう瞬間に胸に広がる「青春の不可逆性」に、私たちは強い共感を喚起され泣いてしまいます。例えば、第2期文化祭終了後という超名シーンは、そうした切なさを最も強く感じる場面だと思います。
そんな彼女たちの「卒業」が、同じ大学に進学することによりうっすらと先送りにされてしまったことが、私にはちょっぴりショックで……。原作と同様の展開なのかもしれませんし、ファンサービス的な側面があるというのも分かりますし、別に作品の質を決定的に下げるような類いの問題でないというのもその通りだと思いながら、それでも……やっぱり、もやつきを覚えたのも確かです。劇場版の扱いもテレビシリーズの補完であり、投げ出してしまった逃れ得ぬ「卒業」というテーマを拾い直すような質のものではなく、私の中で「けいおん!」という作品は「やりきれなかった」印象が拭い去れず存在しました。

「けいおん!」というモンスター名作ですら明快に表明できなかったスタンスを、ラブライブの劇場版で痛快に、そしてどうしようもなく真っ直ぐに描かれていたことが、私にはこの上なく嬉しかったです。奇しくも「先輩が卒業した後に残される後輩」「劇場版で海外へ(しかも現地でライブ)」という図式も共通していますし、やっぱり連想する場面が多いような気がしますね。

余談ですが、劇場版では魔女の宅急便なんかも思い出しました。穂乃果の歩む道に、それとなくアドバイスを示してくれるメンター的存在のシンガーが、魔女の宅急便に出てきた森に住む画家を連想させませんか?声優も同じだし。見ての通り、これは本当に余談です。

2.「ラブライブ!サンシャイン‼」

この作品に出会えてよかった――。

2016年より放送が開始されたTVアニメ「ラブライブ!サンシャイン‼」シリーズは、「μ's」の活躍をきっかけに「スクールアイドルとして輝きたい」と願いを持った少女・高海千歌が、周囲に働きかけたことで結成されたスクールアイドル「Aqours」の活躍を描く物語です。
前回は東京都内の私立高校(音ノ木坂学院)を舞台にしていましたが、今回は静岡県沼津市、地方を舞台にしているというのも特徴ですね。

「ラブライブ!サンシャイン‼」というシリーズは、初代「ラブライブ!」という未曾有の大ヒットを飛ばした前作を無視して語ることはできません。サンシャインは続編として誠実にラブライブの世界を押し広げ、メッセージに多様性を与え、そして魅力に奥行きを作り出しました。数多ある「ヒット作の続編」として、100点満点を与えたいくらいに魅力的な作品だと私は感じています!

初代「ラブライブ!」と同様、全編通してユーモラスな語り口であり、キャラクター同士の軽妙なやりとりは前作からさらにパワーアップしています。特にコメディーリリーフ的な役回りを担う津島善子(通称「ヨハネ」)や、そこにツッコミをいれることの多い国木田花丸のやりとりはどんな場面でもくすっと笑える愛らしさがありますし、物語が進むにつれ桜内梨子の言動もかなり滑稽さを増します。その三人だけでなく、それぞれのキャラクターがもつ特有の「ずれ」はやりとりに独特のリズムを与えており、全体でわちゃわちゃしているシーンでもサンシャインらしい魅力に溢れていました。オフビートな掛け合いはこれだけで観る価値ありと思うくらい心地が良く、アニメを見終えるのが、Aqoursのみんなとお別れするのが寂しくて寂しくて仕方なくなってしまいましたね…!

ただ、サンシャインの魅力はそうした「楽しいアニメ」の部分だけにとどまりません。「熱血スポ根」として大成功したμ's(前作)を受け、物語の奥行きを一気に広げた「泥臭い青春を描くスポ根」としてのAqoursが、本当に私の心を強く揺さぶりました。

私の意表を突いたのは、サンシャインの物語では「奇跡が起こらない」ことでした。決して残酷な現実をまざまざと描いたような作品ではありません。アニメらしい、二次元らしい世界を描いた物語です。しかし、彼女たちの前に立ちはだかる「壁」の数々は、生半可なことでは押しのけられない苛烈さを伴っていました。
千歌たちは当初、自分たちにしかない「輝き」を求めてスクールアイドル活動を始めました。しかしそこに、さながらμ'sの歩みをなぞるかのような母校の廃校話が出てきます。μ'sと同様、アイドル活動を通してそれを覆そうと努力する彼女たちは、しかしあと一歩のところで結果を残すことができなかった。あえなく彼女らの母校は、本当に廃校になってしまう。……この展開はかなり衝撃的でした。

サンシャインで「奇跡が起こらない」のは、「局所性」や「地域性」、翻って「逃れ得ぬ自分」を見つめる物語だったためだと考えています。

Aqoursが全国的な知名度を獲得する中で、にも拘わらず浦の星女学院の入学希望者が増えなかったのは、様々な要因が考えられるとは思いますが、作中で触れられたとおり「地方だから」というのが大きいでしょう。いくら浦の星を認知しようと、引っ越してまで入学しようというのは現実的ではなく、周辺地域から入学希望者を募るには限度がある。東京という人口や資本が集中する場所に対して、地方ではどうしてもパイが限られてしまいます。
どれだけスクールアイドルとして輝こうと、人気が出て、知名度が上がって、結果を残そうとも、そうした地方が持つ宿命からは脱することができません。音ノ木坂学院のように都内の学校だったら結果は変わっていたのかもしれませんが、言っても詮なきことですからね。

そうした、地方に生きていくことが内包する「頭打ち感」は、逃れ得ぬ宿命じみたものであり、「自分は自分でしかない」というメッセージとも重なります。

輝きを求めて色々なことに挑戦するのに、いつも中途半端で投げ出してしまっていた普通怪獣・高海千歌をはじめ、Aqoursのメンバーは特別な女の子ではありません。だからこそ、同じく「特別でない少女たち」が特別になった「μ's」の物語を追いかけるような形で、サンシャインのお話は幕を開けました。しかし物語が進むにつれ彼女たちの前に現れるのは、「Aqoursはμ'sとは違うんだから、同じ道を歩むことはできない」などというありきたりなポエジーに逃れることすら躊躇われるほど、「そもそも環境が違う」という地域性の問題。あるいは、前作が大ヒットしてしまったことによって多くの視聴者が共有した、「ストーリーラインをなぞれば後退的」「大きく逸脱すれば背信的」という「続編」が含意する絶望ではなかったでしょうか。Aqoursや制作陣が、同じ道を歩むことを望むと望まないとに拘わらず、「そもそも歩みようがない」というのが、そこには痛烈に存在していました。

学校の廃校を阻止することもできず、奇跡を起こすこともできず、それでも彼女たちにしか示せない「輝き」なんてあるのか?「ラブライブ!サンシャイン‼」がキャラクターたちに問いかけるのは、驚くほどにシビアなものでした。

大ヒットした作品に続編が作られることはもはや必定であり、しかしそこに望まれているものは「(純粋な)新作」ではなかったりします。後進的であることを重々理解しながらも、そこには過ぎ去った奇跡の追体験、再現を要請する感情が少なからず含まれてしまいます。「ラブライブ!サンシャイン‼」に望まれていたのは新たな歩みではなく、「お祭りよもう一度」だったのかもしれません。私は放送当時の反応を知りませんが、作品の大ヒットを受け新作が作られる時、ファン心理にそうした願いが含まれるというのはごく自然なことですし、私も同じようなことを思いますから否定できません。一方で、そんな目線に晒される「続編」には「初代と違って好きになれない」「ラブライブってこんなのじゃない」という意見をぶつけられやすそうだと想像できます。他ならぬ制作陣も、制作に取りかかるときそうした反応が出てきそうだと予感していたはずですし、大ヒット作品の続編を作るというのはそうした生々しいリアクションと向き合うことを意味します。

じゃあ、大ヒットした「ラブライブ!」を引き受けながら、みんなが大好きな「μ's」とは異なる輝きを、描けるの?

「Aqours」の、そして制作陣の出した回答は、「一瞬の奇跡のような”輝き”」を捉えたμ'sに対し、「歴史に永遠に刻まれるような”輝き”」を捉えたAqoursというものでした。

μ'sは音ノ木坂に「何も残していかなかった」。それは、一瞬の輝きは自分たちの心にしか存在しないと、彼女たち自身が誰より理解していたからでしょう。だから痕跡を残さず、後輩たちに学校を託した。
一方でAqoursは、学校そのものがなくなってしまい、託すことのできる場所を失ってしまいます。なら、一瞬の出来事として時間に飲み込まれていってしまう「浦女」という”輝き”を、永遠にしよう。「ラブライブ」という大会と、「ラブライブ!サンシャイン‼」という作品によって。

美しい………………。

すみません。芸術家肌のサイコパスになってしまいました。

こんなにも美しい結論がありますか?Aqoursのみんながラブライブに挑んで結果を残そうとする行為は、大ヒット作品であるラブライブの続編を作り出す行為と見事なまでに重なり合って、彼女らのもがきが懸命であればあるほど、作品が放つ輝きは鮮烈さを増していきます。大枠としては前作をなぞりながら、首都⇔地方の明確な対比に表れるように、一瞬⇔永遠という対照的なテーマが表れるのは感動的ですね!
彼女たちを要所要所で助けてくれる学友、地元の人たち、そしてミカン畑というのは、彼女たちが抱えた宿命と裏返しの「財産」。それは奇跡を起こせず廃校になったとしても、彼女たちが積み重ねてきた、彼女たちだけの奇跡のような「輝き」だったと思います。

だらだら長い文章を書いてしまっていますが、もうちょっとだけ。作品としてぐっときた「ここ好きポイント」もいくつか挙げておこうかなと思います。

いやぁ~~~~1期はなんと言っても、「未熟DREAMER」っすよね。いや、「くやしくないの?」とかも無論そうなんすけど、いいんすけど、いや、自分百合厨ではないっす。でもやっぱ、っすよねぇ~~~~。「未熟DREAMER」っすよねぇ~~~。
ビンタは「何かをぶつける」動作で、すれ違っていた果南と鞠莉に必要な行為でした。でも、彼女たちは手と手を取り合って前に進むことも必要としていた。だからこそのハグで……。

第2シーズンなんかはずっと面白くて、天気雨の中ミカン畑を駆け抜けるAqoursの姿、カッコよかったし美しかった。Saint Snowの二人が絡む後半のエピソードもぐっとくる。劇場版でもそうなんだけど、ルビィの成長が嬉しいよね!!!!!!!
第10話「シャイニーを探して」では、車が夜空を飛ぶという超現実的な描写の後に、駐車場に車を停める現実的な描写がくるわけですが、サンシャイン全体が纏うファンタジーな雰囲気と地に足が着いた雰囲気とが混ざり合った、この作品を象徴するようなシーンになっているなぁ、なんてことを思いました。
千歌が本物の怪獣になるシーン(婉曲表現)も大変ぐっときましたし、その後の閉校祭も、いいよね……言語で説明する努力を放棄しつつありますけど、大目に見てください。観た人ならもう説明不要だと思います。

観てない奴はこんなnote読まずに「ラブライブ!」観ろ!!!

長くなったので映画への言及は割愛しますが、とても楽しめました。Aqoursを続けるという選択……とても感じ入るものがありますね。

3.「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」

感想は一旦後回しにして、色々作品について調べる中で知った「アニメ化されなかったかもしれない作品らしい」という噂について、一言もの申させてください。これがアニメ化されない世界なんて許せるわけないだろ。バカか?

2022年より放送が開始されたTVアニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」シリーズは、合間に「ラブライブ!スーパースター」の放映を挟みながらTVアニメシリーズを計2クール、ショートアニメ「にじよん」を1クール放送してきました。2024年には全三部作の劇場上映作品も告知され、今なお現在進行形で展開する大人気作品です。
詳しい事情は知らないのですが、元はゲーム作品らしく……プレイヤーキャラにあたる、スクールアイドルではない語り手「高咲侑」を置きながら、個性豊かな「ソロアイドルたち」の活躍を描く作品となっています。μ's、Aqoursときて、今度はそれぞれが独立したアイドルであるという点が、最も特徴的ですね。

単体のアニメ作品として特に高い完成度を誇るのが「虹ヶ咲」ではないでしょうか。「サンシャイン‼」が良くも悪くも「続編」としての性質を色濃く持っていたのに対し、虹ヶ咲はなんと「廃校を阻止」「ラブライブに出場」「メンバー全員で一つのアイドルチーム」といった過去作のお約束をことごとく外し、シリーズ知識をほとんど要さず世界に入っていける間口の広さを持っています。ラブライブはアニメが主軸のコンテンツなので、サブスク全盛時代、もはや全作品を観るのも大した労力ではありませんが、それでも強いてシリーズ未見に一作オススメするとしたら、私は「虹ヶ咲」かもしれません。キャラクターデザインも、キラキラと印象的で大きな瞳の「ラブライブ!」「ラブライブ!サンシャイン‼」に対し、色合いをぐっと落ち着けた、ありきたりな言い方をすれば「今っぽい」デザインが取り込まれています。天王寺璃奈がライブ中にデジタルスクリーンマスクをつけてるのはぶっ飛んでて可愛くてすごく良いと思いました。璃奈ちゃんボード可愛い(表記合ってるかな?と思って今ググったら、リアル璃奈ちゃんボード売ってて草。すごいクオリティだけどちゃんとした値段してますね)

過去シリーズ二作では、「廃校を阻止するために」「スクールアイドルを結成するために」といった縦軸のお話を展開しながら、それぞれのキャラクターにフィーチャーしたお話をそこに絡め取っていく構成を採用していました。こうした展開があったからこそ、絵里が加入するシーン(初代)や鞠莉の感情が爆発するシーン(サンシャイン)に、大きなカタルシスが生じるわけです。
一方、「虹ヶ咲」は大きく作風を変えている訳ではないものの、過去シリーズと比べるとより独立した1話完結の色合いが強くなっていますね。そう感じるのも無理ありません。虹ヶ咲は「ソロアイドル」にスポットを当てているためです。

2話「Cutest♡ガール」からいきなりフルスロットルですごく面白い。
「スクールアイドル同好会」が廃部となってしまった直接のきっかけは、かすみがせつ菜に反駁したためでした。「私がやりたかったのはこういうことじゃない!」。その言葉にショックを受けたせつ菜は、あえなく同会を廃部にすることを決めてしまいます。その後第2話を通して、「自分が信ずるかわいい」を侑、歩夢に説こうとしていたかすみは、「せつ菜もこんな気持ちだったんじゃないか?」ということにはっと気づく。

ここが虹ヶ咲で一番好きなポイントです。

「ソロアイドル」というテーマは、突き詰めていくと他者との繋がりを否定することになりかねません。それこそ第2期で嵐珠が明快に突きつけた通り、「自分の夢を実現するのに、人との繋がりは必ずしも有益とは言えない」という可能性がつきまとうからです。けれど、虹ヶ咲が描いたのは美しい個人主義であり、手を取り合うことの肯定だった。そうした背骨が、すでに第2話の時点でしっかりかつ鮮烈に描かれているのがすごい。

かすみは自らの個性をとても大切にしながら、一方でせつ菜に対し共感を示しました。想像力を使って誰かに歩み寄る。それは何よりも真っ直ぐな他者理解です。だから私はかすみが好きで…………。

続く第3話「大好きを叫ぶ」では衝撃の台詞「ラブライブなんか出なくていい!」が飛び出し、思わずひっくり返ってしまいました。自分たちの夢を叶えるために、それに合った手段を考えよう。過去の伝統に囚われず、「ラブライブ!」へ出場しなくたって、きっとそれは見つかるはずだから。虹ヶ咲が描く「ソロアイドル」というテーマが、単に過去シリーズから「外した」だけのものではなく、彼女たちの歩みを誠実に描ききるためのアプローチであることが分かって、とても胸にきました。いいね…。

どのエピソードもかなり好きで、語り始めたらきりがないのでいくつかピックアップして喋ると、第6話「笑顔のカタチ(⸝⸝>▿<⸝⸝)」はとても印象に残りました。感情を表情に出すことが苦手な天王寺璃奈が、とあることをきっかけにライブを開こうとするのだが…というお話で、すごく良かったですね。彼女が抱えたコンプレックスを「見事に解消してしまう」という方法ではなく、「受け止めて前に進む」という方法でライブを成功させるのが、等身大の彼女の輝きを見事に描いていてとても素敵でした。清濁併せのむじゃないですけど、まるっとひっくるめて個人の歩みを描くというのが良いですよね。
デジタルマスクもアイコニックで可愛らしい。いきなり話が飛んで申し訳ないんですが、2期13話「響け!ときめき――。」では、マスクの不調で素顔のままステージに上がる璃奈の姿が描かれますが、笑顔をバッチリかましてみせるのではなく、無表情のままでも彼女がファンにとって立派なアイドルとなっていることが、サイリウムの色合いから分かるのが無茶苦茶いいんですよね。あそこ最高だったなぁ。

第8話「しずく、モノクローム」では、鮮烈な自己を持ちながら他者理解を学んだかすみと、臆病ながら自己開示に触れた璃奈の二人が、桜坂しずくの問題に向き合おうとするのが素晴らしい。似たようなコンプレックスを抱えてきた璃奈だからこそ誰よりもしずくに共感できるし、確固たる己を持ちながら共感しようとするかすみだからこそ、しずくの心に触れられる。3人の関係性が垣間見える第8話、そこまでのドラマが一気に集約していくような感じがしていいんですよね……。

1期の時点でかなり楽しい「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」ですが、2期になるとさらに盛り上がりを増していきます。三船栞子、ミア・テイラー、鐘嵐珠という新たな登場人物たちもとても印象に残る活躍を残していました。

鐘嵐珠が同好会メンバーに問いかけたのは、「個人が自助努力によって自己実現をなすのなら、一つのチームに所属する理由はない(場合によってはそれが、邪魔になるかもしれない)」という厳しいものでした。この問いかけは、良好な関係を築きながらもあくまで個人主義的に活動している彼女らにとって、いずれ向き合わなければならない問題だったのかも知れません。スクールアイドルとしてすでに活動している同好会メンバーは、そうした指摘に対し1期の時点である程度の回答を持っている様子も見受けられましたが、「自身の夢」を抱き再スタートを切った高咲侑にとっては、かなりクリティカルな指摘になっていたように思います。
そうした嵐珠の問いかけに、1シーズンを通して回答していくような構成を取ったのがこの第2シーズンであり、ソロアイドルとしての活動を軸にした1期に対し、「ユニット」でのステージに焦点を当てながら展開していくのが大変印象的でした。ラブライブ!にはμ'sの頃から、楽曲単位ではユニットという概念があったようですが、アニメにメインモチーフとして登場するのはここが初めてではないでしょうか。

生半可には答えづらい、踏み込んだ問いかけながら、ここに切り込まないことには侑の夢を中途半端に扱ってしまいかねません。1期ラストで自ら進む道を選択しながら、以後も同好会に所属し続けるのは、嵐珠のように「音楽科の勉強に集中しなくて良いの?」とノイズを感じさせてしまうおそれがあります。物語への没入を阻害しますし、第2シーズン冒頭から「これについて描きます」と所信表明をしたことで、ぐっとストーリーへの関心も高まりますね。

第8話「虹が始まる場所」はとんでもなかった。号泣必至。
そもそも第1期OPでは、下手側に向いて椅子に腰掛け、どこかアンニュイな表情を浮かべていた侑ですが、第2期OPでは上手側に向いてピアノの前の椅子に腰掛けている。彼女がその場所に、その椅子に腰掛けることの意味を獲得したことを何より表していて、ぐっときていました。彼女がいる場所にも注目したくって、第1期では同好会メンバーと同じ海上でしたが、第2期では海中となっている。彼女が、裏方としてのキャリアを歩み始めたことを、しかもこんなに美しい絵で表現するの嬉しいよ~~~!
侑にとって、スクールアイドルは自分の夢が始まったきっかけです。同好会のメンバーとの出会いがなければ、彼女は音楽科へ転科することもなかったでしょう。そんな彼女が、「虹が始まる場所」というエピソードの中で同好会のメンバーに「TOKIMEKI Runners」を贈るのは、あまりに意味が重なりすぎて胸が苦しい。
それに、歩夢にとっても、侑はスクールアイドルを始めるきっかけになった人物です。バラバラになっていた同好会だって、侑がいなければ今はどうなっていたことか。彼女は裏方であってスクールアイドルではありませんが、侑にとっての同好会がそうであるように、侑という人物もまた、紛れもなく虹が始まったきっかけの一人なんですよね。だから、第8話の客席にコンサートライトでかかった虹が、侑の座るステージを「始点」にしているのには、心底感動してしまいました。侑からも、虹は始まってるんやなってさ……。

それに、ピアノというのはラブライブにとって始まりの象徴でもありますよね。初代ラブライブでは、穂乃果が真姫のピアノ演奏に出くわしたことを大きなきっかけとして、物語が転がり始めます。それが侑とせつ菜の会話シーンや、同好会メンバーとの関係性に重なり合う瞬間、こっちも勝手に感極まるってもんですよ。てやんでい。

第1期第1話の、階段の前での侑と歩夢の会話シーンは、同第12話でも回収されています。しかし、第2期第13話にきて再び回収してくるとは夢にも思いませんでした。ファンレターを受け取った侑が、うれしさのあまり走り出す(1泣)。扉を開けて、みんなへの感謝と愛を叫ぶ(2泣)。
この時点で私は、「もう……この子たちったら(涙)」な状態でしたが、階上に歩夢が立ち、階下に侑が立つという第1話の演出と立ち位置が重ねられていることに気づいた私は、歩夢に手をひかれるようにして、自らの夢の階段を一段を昇った侑の姿に号泣。
侑はスクールアイドルではないので、その後歌って踊ることはありませんが、アイドル達にも負けないくらいに楽しそうにピアノを演奏する彼女の姿を見て、一体誰が涙を流さないというのでしょうか。そんな奴がいるなら職員室に来なさい。こんこんと説いて差し上げましょう。

侑と似たことを口にしながらも、侑とは映し鏡のような役回りを演じた栞子も良かったですね。栞子が決めた道も、侑が進むと決めた道も、それは表舞台に立つアイドルと裏方という対照的な存在ではありながら、その想いの尊さは何ら変わることはないのだと思えて嬉しかったです。

さて……第2期のメインストーリーの話はざっくり振り返れたので、そろそろ好きなエピソードの話してもいいですか?私はダントツ、第10話「かすみん☆ワンダーツアー」がすきすき大好き超愛してるでして……。

話の立ち上がりは、なんだか侮られている気がするので部長としての尊厳を取り戻そう!と、レクリエーションを企画するかすみでしたが、しかし思惑が空回りして上手くいかない…という、コメディチックな内容になっています。ギャグのテイストが無印、サンシャインに比べて比較的落ち着いている虹ヶ咲においては、何を喋らせても面白いし可愛いかすみは恵まれたポジションだと思いますが、そうした魅力がバッチリ詰まったエピソードですね。
一方で、同好会に加入したばかりの栞子、ミア、嵐珠の三名が同好会に馴染んでいくためのお話という側面もありました。さらに、続く第11話「過去・未来・イマ」にて切り込むことになる、「いずれ来たる卒業」を匂わせるエピソードでもあった。色んなことやってるな?

そうしたお話をぐっとまとめるかすみの存在がとても嬉しいですね。新加入の三人、特に栞子、嵐珠と行動を共にしているかすみんは、確かに猫あつめのゲームでは好成績を残せなかったですが、同好会にとってはとても大切な動きを見せていたことは言うまでもありません。

また、自分の琴線に触れたとても好きなシーンがありまして。
消えかけた線香花火に、いつかこんな楽しい日々が終わってしまう、それも、自分たちが真っ先に卒業してしまうということを重ね、寂しげに呟く果林に、そうした思いを知ってか知らずか(十中八九知らずのうちにですが)「花火はもっと沢山ありますよー!」と声を張り上げるかすみを目にして、私は泣きました。
彼女のセリフは何気ないものですが、11話のラストで果林たちが出した結論を思わせますよね。卒業は寂しい。胸が切なくなってしまう。だけど、楽しいイマを過ごさなくちゃ。いずれ彼女らは卒業に向き合うことになるでしょうが、第2期ではファーストライブというイマを描くことに集中したのでした。
消えてしまう線香花火と、まだまだ沢山残っている花火。μ'sともAqoursとも異なる彼女たちの道が、優しく照らし出されているように思いました。かすみん……。

あと、かすみん好きポイントを最後に一つだけ。嵐珠のパフォーマンスに対して、「でもなんか…ちょっとちがくない?」的なことを言い出したのがかすみっていうのもすごく好きなんですよね。
先述の通りかすみは他者理解を獲得していく過程が描かれていますが、ファン目線とアイドル目線の両方を体感レベルで知っている彼女だからこそ気づくことができる嵐珠の気持ちがあったのかなと思わせてくれます。かすみらしい観点で、すこです。

にじよんも見てます。ナリに騙されてはいけない。単なるほわほわ可愛い系のお話かと思いきや、まあそういう側面は強いんですが、短い中にキャラへの愛着が深まるようなお話もあって。2期まで観た人がにじよんだけ観てないなんてことはないと思いますけど、必見とだけ付言させてください。

余談。異次元フェスの「繚乱!ビクトリーロード」に高海千歌が参加してるって話で発狂しそうになってます。なんで俺は見ていなかった?

4.「ラブライブ!スーパースター‼」

「虹ヶ咲」と同時期からTV放映が始まった「ラブライブ!スーパースター‼」シリーズは、現在2シーズンの放映を終え、第3期の制作も決定するなど、まだまだ盛り上がりを見せているコンテンツです。結ヶ丘高校で結成されたスクールアイドル「Liella!(リエラ)」の活躍を描く本作は、異色な向きの強かった虹ヶ咲に対して、初代のオマージュがちりばめられていたり、シリーズの定番展開を回収したり、キャラクターデザインもμ's、Aqoursを思わせるキラキラした大きな瞳など、「ラブライブ」の血脈を感じさせる作品となっています。

スーパースターでは、登場人物の「いびつさ」が強調して描かれています。「特別な存在か否か」という単純な二元論ではなく、なにかに突出しながらも何かが欠けた彼女たちは、だからこそ手を取り合って一つのチームになることで、とても大きな輝きを放つことができる。Liella!の精神性からは、μ'sやAqoursに勝るとも劣らぬ「スポ根」が垣間見えました。(一口に「スポ根」と言ってもそれぞれに作風は異なりますが、私はAqoursが一番「スポ根」してると思ってます)

こうした作風が色濃く表れたのが、第1話~第3話、かのんと可可が初めてのステージに挑むまでの一連のお話でしょう。
かのんはまさしくいびつな才能を持った人物です。歌うことが大好きで、人を魅了するだけの歌唱力を持ちながら、プレッシャーに弱く人前で歌うことができない。彼女はそんな自分を、酷くコンプレックスに思っています。私はもちろん歌の才能はなくて、そうした歌にまつわる挫折の経験もありませんが、かのんが抱える悩みにはとても共感できるし、親近感を覚えました。第1話の冒頭で彼女が見せたやさぐれの表情は、かのんの「生っぽさ」、等身大の彼女がよく表れていますね。
スーパースターでは様々なところにアシンメトリーがちりばめられていますが、かのんが持ついびつさを表現するように、彼女の髪型も左右非対称になっています。他にも可可の髪色?も左右非対称ですし、すみれのカチューシャの猫、恋の飼い犬「ちび」のハートのアザ、結ヶ丘の校舎なんかもアシンメトリーになっています。千砂都もまた、非対称性が物語の重要なモチーフになっていました。

小学校の合唱発表会で歌えなかったことにより、かのんのトラウマは始まりました。第11話「もう一度、あの場所で」にて見事に回収されるわけですが、背中から倒れてしまった幼かのんの姿は印象的でしたね。それから何年も経って、可可と共に挑んだスクールアイドルのステージで、かのんは背中に可可の震えを感じます。その時かのんは、自分がステージに一人ではないのだと気づいた。いびつな才能が繋がったことで、一人ではできなかったことができるようになった。かのんは、背中から倒れずに済む理由(仲間)を得たわけです。

この第3話「クーカー」がめ~~~~っちゃ好きでしてね!

「スーパースター」という言葉が想起する圧倒的な個性というイメージではなく、欠けたところも含めた彼女たちこそが「スーパースター‼」なのだと描く本作、結構好きかも……となりました。第2期の冒頭では異なる意味での「スーパースター」を取り扱っていて、これはこれで嫌いじゃなかったです。

千砂都がダンスを始めた理由は「かのんにできないことをできるようになりたい」というもので、これも本作のテーマをクリティカルに表していますね。千砂都は「○(丸)」が好きで、頭にも左右にお団子を作っているくらいですから、一見そうした非対称を感じさせませんが、幼い頃にかのんが髪留めを取り返してくれたというエピソード、ダンスを始めたきっかけなんかを総合して考えると、やっぱり彼女も片側が欠けた存在だったわけです。千砂都にとって髪留めの片方は、かのんという他者と重なり合うものなワケですからね。
だから彼女は、一人で何かを成し遂げようとした。そこにこだわった。千砂都が持つそうした高潔さが素敵だなと思いますし、ダンス大会に駆けつけるかのんも素敵だなと思いましたね。

千砂都のエピソードが展開される第5話・第6話では、抜群に優等生である可可の苦手科目である料理を、すみれがさらっとこなしてしまう描写なんかからも、Liella!の団結が感じられてGoodでした。そんなみんなが満月を見上げてるの良いね……。

ここから、第2期の所感を述べたいところなんですが……いや、評価難しくない?明らかに「3期へつづく!」で終わってますからね。第3期の放映が終わらないことには2期の評価を確定させることも難しいですが……ラブライブって中学生でも出て良いの?とか、いくらキャラ付けといえど夏美がサニパのステージをリークしようとするギャグとかは倫理的にどうなの?とか、「そんなの本当の歌じゃない!」は否定の仕方として苛烈すぎじゃない?という感想はありつつ、全体的にはとても楽しめました!
やたらエッチな雰囲気でスクールアイドルを始める決心をするメイと四季とか、初代ラブライブではさほど触れられなかった「複数の街にまたがった学校」という設定を回収してきたりとか、「やっぱり留学に行くべきだと思う」と伝える千砂都の心情を思うと、やっぱりぐっときちゃいますよね。第9話「勝利のために」で描かれたすみれの不器用っぷりは、多くの視聴者の印象に残ったことでしょう。逆張りオタクな私といえど、クーすみなんだよなと言わざるを得ませんね。
第3期はおそらく完結シリーズになると思いますから(劇場版が作られる可能性はありますけどね)、最終的にどこへ着地するつもりなのか、見せて欲しいですね……!見届けるぞ!!!!

余談ですが、過去シリーズのキャラクターから考えても、かのんってかなりイケメンな性格してますよね。スクールアイドルを始めようとしていた可可に対し、恋が刺々しい言葉をかけたのに対し、迷いなく食ってかかる性格が気持ちよくて好きです。いじめられていた千砂都を庇ったときなんかもそうでしたね。

5.「ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」

「ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」は、スマートフォンアプリ「Link!Like!ラブライブ!」を中心に展開されているマルチメディアコンテンツであり、本稿で取り扱うシリーズの中では唯一アニメ化されていません。そもそもコンテンツの始動が2023年3月から4月頃だったことを考えると、まだまだ走り始めたばかりの作品と言えるでしょう。
厳密には虹ヶ咲もゲーム先行で展開していたみたいですが、私はそっちはよく知らないので、便宜上の表現だと思ってください(なんか賛否両論もあったみたいですね)。

「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」に所属する3つのアイドルユニット「スリーズブーケ」「DOLLCHESTRA」「みらくらぱーく!」の活躍を描く「蓮ノ空」は、サンシャイン以来の地方を舞台とした作品ながら、舞台となる蓮ノ空女学院にはスクールアイドルクラブの伝統がすでに根付いている、という新機軸が採用されています。スーパースターとは対照的とも言えますね。
この、「蓮ノ空にはスクールアイドルの伝統が根付いている」「代々受け継いでいる曲、ユニットがある」という設定が、これまた効いてくるんだな……。

ごめんなさい。ここで【悲報】をお伝えしなければなりません。

蓮ノ空については別の記事を書かせてくれぇ~~~~~!!!!

今ストーリーを読んで、With×Meetsのアーカイブを追いかけているのですが、メチャクチャ楽しいです。
すでにこの記事が長大になりつつあるというのと、まだ最新話まで追いつけていないというのと、蓮ノ空については腰を据えて語りたいので、別記事をこしらえます。よろしければ要チェックでお願いします!!!!!

※※ 2024年3月20日追記 ※※

「蓮ノ空」の公式note投稿企画「#蓮ノ空感想文」に参加するかたちで、蓮ノ空への想いを書いてみました!こちらもぜひ!!


6.結びにかえて――シリーズ総評

……というわけで、以上が「ラブライブ!」シリーズのアニメ作品を一通り観てきた感想となります。いかがでしたでしょうか?

ちなみにこの記事には書いていませんでしたが、μ'sのライブ映像も(dアニメストアで観られる範囲で)チェックしていたりします。全部はまだ見ていないので、もし見終えたらどこかで感想を書くかも知れません。その時は要チェックでよろしくおねがいします!!


私が最も好きなシリーズは「サンシャイン‼」シリーズでした。

単話で一番好きだったのは、「ラブライブ!スーパースター‼」第1期第3話「クーカー」でした。

初心者にオススメのシリーズは「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」でした。

私が一番語りたいのは「ラブライブ!The School Idol Movie」でした。

私が1番好きなキャラクターは日野下花帆ちゃんでした。


長く続いてきたコンテンツだと思います。「今更入っていっても、追いかけるの大変じゃん?」というのも分かります。しかし、今という輝きは今にしか掴めません。「今のあなた」が、ラブライブシリーズに触れて感じるかも知れない感情は、一年後や、三年後や、五年後には感じることができないかもしれない、「あなたの今という輝き」かもしれません。

ラブライブは青春の賛歌だと思います。
ですが、過ぎ去ってしまう一瞬一瞬を懸命に生きているという意味で、私たちは常に、儚いほどの青春を生きる生き物なのかもしれません。

そこのあなた。
よければ、ラブライブ!シリーズに触れてみませんか?



いささか長くなってしまった本稿を締めくくるにあたり、適切な文章が思い浮かばなかったので、クソダサフォント文字でしめさせてください。




それでは、またの機会に!

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