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ハマかぶれ日記223〜函館の一日

 函館を一泊旅行してきた。学生時代に知り合った40数年の付き合いがあるK君が今年、近くのリゾート地・大沼に別荘を買った。これからは毎年、暑い夏場の数ヶ月はそこで過ごし、寒くなってきたら東京のマンションに戻るという。奥方と2人の安気な暮らしぶりで時間はたっぷりあると言うので、豪勢な生活ぶりを冷やかしがてら、いま開催中のJRAの函館競馬を楽しもうという趣向で飛んだ。
 戊辰戦争で幕軍の最後の根拠地となり、激戦が展開された函館五稜郭のすぐそばのホテルが宿だったので、昨日の朝は、いつもの5時に起きて、ゆっくり構内を散歩した。東京より朝のスタートは遅い感じで、人影はまだまばら。前夜、K君に連れて行かれた居酒屋で美味しいニシンの刺身などで飲んだ地ビールの後遺症も全くない。気温16°の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込みながら、ぶらぶらした。
 2年前に中学生の息子と2人で訪れたが、その時は箱館奉行所を再現した建物や展望タワーなど構内外の観光の定番をさっと回っただけで、縄張りの広さや取り囲む堀、土塁の姿かたちを体感する時間はなかった。静寂の中、外郭をめぐる土塁の高みにある細道を歩くと、存外、広大で、兵を鼓舞し、土壇場での巻き返しを図った榎本武揚や土方歳三の心意気の拠り所に触れた気がした。
 その後、出撃した函館競馬場は、「遊びをせむとや生まれけむ」わが人生のキャリアにあって、一つの意味があった。JRAが全国に持つ10競馬場の全部をこれで訪れたことになるのだ。
 デビューの競馬場は確か千葉の中山競馬場だった。クモハタ記念という芝1800メートルのレースで、スルガスンプジョウという牡馬が勝った。調べてみると、1974年12月1日、大学1年生の冬。ちょうど50年、半世紀前のことだ。傍目には、よくぞ、くだらないことにうつつを抜かしてきた半生だと映るだろう。まあ、その通りだ。
 ともあれ、K君が知り合いに手を回して確保してくれた来賓席はゴールを真ん前に見るスタンドの最前列で、絶好の眺望が広がっていた。地方の開催らしく、スタンドの下を覗き込むと、多くの人がコース手前の広い芝生のスペースにビニールシートを広げ、ピクニック気分で観戦している。のどかな光景を掠めて涼風が吹く。馬券は相変わらずの体たらくだったが、いい1日だった。
 そんな気分に一転、影を落としたのがわが横浜ベイスターズの戦いぶりだ。首位攻防の巨人戦で、前日のサヨナラ負けに続いて連敗したことをレーズ終了後にネットで知ったのだ。
 今シーズン、何度かあることだが、勝負所であっても三浦監督はかまわず主力選手を休ませ、唐突に新機軸を展開する。今回もそうだ。ゲーム差なしで並んだ一昨日の第一戦で、クリーンアップの柱の宮崎を休ませた。35歳。疲れの溜まる時期であることは理解するにしても、もうすぐオールスター戦で選出外の選手は休めるという時期に、しかも大事な一戦でお休みか? 休ませられた当の宮崎も、配慮には感謝しつつ複雑な気持ちではないかと思う。結果、試合は3対2の僅差で敗れた。
 昨日はその悪い流れを引きずったうえに、先発は今年、一回も先発経験のない入団2年目の吉野ときた。5回で2失点とは大健闘だったが、続くリリーフにまたも新人で実績のない松本を送って4点取られ、勝負を決められてしまった。まるで、捨てゲームのようだ。万が一うまく当たれば大喝采。歴代の名監督と呼ばれた野村さんや川上さんらが、ここというときの勝負所で、そうした采配を振るうのを見た記憶がない・・。
 せめて馬券でも当たっていれば控えめになっただろう愚痴が、時間を追って募るばかり。挙句に、帰りの函館空港発の飛行機便が遅れに遅れ、家にたどり着いたのは、もう少しで日付が変わる頃だった。
 初めよければ終わりよしの格言はウソだな、とぼやきながら寝床に入った。
 

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