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ハマかぶれ日記215〜危ない決定的瞬間

 ずいぶん前、仕事の関係でとある写真コンテストの審査に立ち会ったことがある。自然の光景をテーマに、いよいよ大賞を決める最終審査。高名なプロの写真家も入った審査員の圧倒的な支持を集めたのが、北海道の黒々とした山並みを背景に同時に7筋もの強烈な光の矢を放つ、エネルギーに満ちた雷の一瞬の脅威を捉えた作品だった。見事な構図に加え、地球温暖化の弊害に大きなスポットが当たり始めた頃でもあり、北の大地・北海道でも熱帯のようなスコールや雷光に見舞われるようになったというニュース性が高く評価された。
 満場一致でシャンシャンお開きかと思った時、一人の審査員が「稲妻の配置などがあまりに絶妙すぎる。もしかして作り込んだものではないか」と訝しがる声を挙げた。
 当時、カメラのデジタル化が急速に進んでいた。その審査員が関わった別のコンテストで新技術を使って元の写真を加工したケースが見つかり、問題になったのだという。指摘を受けた主催者がいったん賞の授与を凍結し、専門業者に画素分析など調査をしてもらった結果、「完全に白とは言えないが、黒とも断定できない」という曖昧な結論が出た。結局、後日、その作品が大賞として発表された。
 そんなことを思い出したのは、先日、福岡への旅先で列車や飛行機内での暇つぶし用に買っていた松本清張作のミステリー「十万分の一の偶然」をきのう、読み終えたからだ。
 東名高速で起きた死者5人を数える重大交通事故の現場近くに偶然、居合わせたという写真愛好家が撮って新聞社に送った写真が、その年の報道写真コンテストで大賞に輝く。審査で「十万分の一の確率」と評された一枚の余りにも出来過ぎたタイミングの良さに疑惑を抱いた一人の女性被害者の婚約者が謎解きに挑むストーリーだ。
 この小説が書かれたのは1980年。まだカメラもアナログ全盛で、作品の作り込みや撮影対象の演出などもかなり緩い時代だった。プロ野球ジャイアンツの4番・長嶋茂雄が1959年6月25日、昭和天皇が観戦する阪神タイガースとの「天覧試合」で放ったサヨナラホームランの新聞写真が合成されていたことは有名な話だ。センターから撮った打った瞬間の長嶋の姿と、そのはるか上のバックネット最上部にご臨席の天皇の姿を撮った2枚をうまくつないで1枚の写真とした。
 さすがにそんな時代とはもうすでに決別していた頃とはいえ、貴重な「決定的瞬間」をモノにする上で、多少の演出には目をつぶる空気が残っていたのだろう。小説は、そうしたいい加減な写真界のありようを糾弾する内容ともなっている。
 ITが日進月歩の現在は、どんな写真でも作れる。「決定的瞬間」などという言葉は近い将来、死語になるかも知れない。瞬間をいつでも自分が決定し、切り取れるのだから。事実、動画、静止画含めて真偽のわからない作品が横行している。
 「決定的瞬間」の言葉が広く使われるようになったのは、フランスの写真家、アンリ・カルティエ・ブレッソン(1908〜2004年)の一連の作品によってだ。とりわけ、写真家のバイブルとも呼ばれる写真集「決定的瞬間」(1952年刊行)に収められた、水たまりに向けて跳ぶ人のつま先がまさに水面に触れる瞬間を撮った1枚はよく知られている。写真集は20年もにわたってコツコツと撮りためた作品の集大成だった。今の状態を目にしたら、ブレッソンはどう言うだろう。
 一昨日のわが横浜ベイスターズの対巨人戦は、1点差に追い詰めた最終回、9回裏の攻撃で1死2、3塁の絶好のサヨナラ勝ちのチャンスを作りながら、4番・牧、5番・筒香の中軸が凡打して惜しくも落とした。あと一打の「決定的瞬間」を見落としたショックは大きかった。
 試合結果も合成できれば、いいのに・・。小説からじわじわ這い出してきた妄想が、とりとめもなく広がっている。

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