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ハマかぶれ日記218〜近づく七夕

 まもなく七夕。新暦の7月7日はだいたい梅雨のど真ん中、ましてや都会では夥しい街の灯りのせいで、天の川を見ることもなかなかできないけれど、織姫、彦星の年に一度の切ないつむぎ合いに思いを馳せて、年甲斐もなくロマンチックな気分になる時節ではある。
 朝の散歩コースの折り返し点である善福寺公園の上の池の北岸には何日か前、公園の管理事務所が七夕飾りを施した笹竹が立てられた。これに、希望者が事務所で短冊をもらってはくくりつけていく。
 むろんそれぞれに願い事が書かれていて、目を凝らすと、「家族の無病息災を祈ります」「みんなが元気でいられますように」といった一般的なものから、「都庁合格してますように」「⚫️が第一志望校に合格しますように!」など天神様の絵馬を見ているような文言まで、雑多に願い事が並ぶ。中には、最近、天国に行った人への呼びかけなのだろうか、「⚫️ちゃんと⚫️くんが元気に過ごせますように じいじ 見守ってね」とホロリとくるような言葉もある。それが日に日に増えていて、当日まで枝がもつかなあと、心配になったりする。
 郷里・香川の山あいの町にあった実家では、今の仙台七夕祭り(8月6−8日)と同じように、旧暦の7月7日を意識して8月7日に七夕の行事をしていた。広い竹林を代々、実家近くに持っており。笹の調達には困らない。父が切ってきたかなり丈のある笹竹に目一杯、願い事の短冊をぶら下げ、天気が良ければ、くっきりと白い帯を成して実家の上に横たわる天の川に向かって、いち押しの願い事を書いた短冊をかざして見せたりしていた。
 明けて8日朝になると、実家の裏、坂道を50メートルほど下ったところを流れる大川(香東川)まで笹竹を引っ張っていき、浅瀬に放り込んで流した。ゆっくりと水流に乗って遠のいていく笹竹の枝先の、沈みゆく船の帆柱の帆切れのようにたゆたう短冊が放つ金や銀、赤のきらめきを今も忘れない。
 東京の今年の七夕は都知事選の投開票日でもある。過去最多の56人もが立候補し、自宅周辺にある48人分のスペースしかない掲示板ではポスターが貼り切れない、どうするのだろうと野次馬根性むき出しで楽しみにしていたら、少なくとも散歩の途中で見かける掲示板は、きょうの時点でまだ14人しか利用していない。わざわざ安くない供託金を積んで立候補しているのに、自己PRの場を積極活用しないのは勿体無い感じがする。
 まあ、選挙公報にはもれなく掲載されるし、考え方は人それぞれだからと、新聞に織り込まれていた都選管発行の公報を広げたら、やたら「NHKに受信料を支払う人は馬鹿だと思います」の刺激的コピーが目に飛び込む。告示まもなく一部の掲示板をジャックして総務省などに問題視された「NHKから国民を守る党」の候補者たちだ。数えると19人もいた。
 目指す椅子は一つ。そこに19人も。何か、19の数字に込めた意味でもあるのだろうか。かつて観た映画に「13人の刺客」(2010年、三池祟史監督)というのがあった。老中に雇われた13人の侍がバカ殿様の暗殺に乗り出すというストーリー。小池都政を倒すのにまとまって放たれた刺客、それが13人なら映画ファンにはわかりやすいのになどと、しばし頭を捻った。結局、ピンとくるものは思い浮かばなかった。
 ともあれ、騒々しいことではある。NHK受信料を普通に支払っている多くの有権者にとって、主張の趣旨は理解するとしても、「馬鹿」呼ばわりは余り気持ちのいいものではないだろう。少なくとも、天に向けた静かな祈りと願いを捧げる日に向けて、いささか品に欠ける言葉遣いと個人的には考える。
 筆者は当日、朝一番で投票所に足を運び、投票を済ませた後に、その夜の願い事を整理する段取りだ。一つは決まっている。言わずもがな、七夕とは相性ぴったりの球団名の我が横浜ベイスターズの日本一だ。現状では、かなり難易度は高そう。少欲知足。あとの願いは難易度を下げて、せめて二つ、三つに絞りたいところだが・・。おっと、欲だけあっても、短冊がない、笹もない。

 

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