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ハマかぶれ日記221〜わたしは わたしで ねむれない

 数日前、時代小説の売れっ子作家、今村翔吾さんの「じんかん」を読み終えた。2020年に山田風太郎賞を受賞し、最近、文庫本化されて書店の棚に平積みされたから、目にした人も多いだろう。漢字にすれば「人間」。世の中や人生を意味する場合の読みである「じんかん」をあえて平仮名で書名に据えた。内容のエキスをどう味わうかは、読者に任せるということか。
 寝返りあり、騙し討ちあり、はては東大寺を焼き討ちした戦国時代の梟雄、松永久秀(1508〜1577年)の人生と取り巻く世の中の過酷さを描いた。一般には悪漢中の悪漢として知られる久秀を、実は武士の勝手気ままな行動で犠牲にされる農民たち庶民がちゃんと生きていけるように世直ししようと懸命に闘った烈士として捉える。視点が斬新だ。
 今も各地に残る戦国期以降の城の多くに配置されている、石垣の上に銃眼を穿った建物が長く続く長屋式の櫓を多聞櫓(たもんやぐら)と呼ぶ。それが、久秀が奈良の根城、多聞山城を作った時に取り入れた新しい造城法だということは、何かの本を読みかじって記憶にあった。実は多聞とは、苦しい境遇にあった久秀の少年時代の親友の名前だったとは知らなかった。たぶん、城や櫓の名前から着想を得た架空の存在と想像するものの、定かではない。
 若くして殺されたその友の、世の不条理を糺したいという遺志や、思いを寄せていた女性の世直しへの願いを背負い、久秀は気持ちを奮い立たせてことに当たっていく。史実に、作者が作り上げた巧みなヒューマンストーリーを織り込んで、読み応えのある歴史大作となっている。
 権謀術数に長けた久秀の戦いぶりとは違い、わが横浜ベイスターズの選手のそれは至ってシンプル、単純だ。昨夜、本拠の横浜スタジアムで行われた中日ドラゴンズとのナイターは、4対0のリードからじわじわと追い上げられて並ばれ、一方で再三の好機を逃して追加点を奪えない悪い流れの中、延長11回裏、3番オースティンのバックスクリーン右に飛び込む特大の本塁打で6対5で辛勝した。バントやヒットエンドラン、盗塁などを絡めて、しびらこく点をかすめ取るのは全くの不得意。結局は、紛れのないシンプルな一発で決めるしかなかった。 
 前々日の甲子園球場での阪神タイガースとの一戦は、このブログ日記で大嘆きしたが、自らのエラーで出した走者を粘りっこい攻撃で得点にされ、挙句、最後もエラーでさよなら負けした。真逆のサヨナラ勝ちとなった昨夜と同じ6対5のスコア。4対0から追い上げられたのも一緒で、結果だけが違った。なんとも人のいい負け方とケレン味のない勝ち方と。トランプのカードにしたら、裏表とも温泉マークで溢れかえる、何ともほんわかしたチームカラーではある。
 前々日は不甲斐ない負け方にカリカリして寝付けなかった。昨夜は引き分けムードも漂い始めていただけに、興奮して寝付けなかった。以前にもこのブログに登場させたかも知れない、俳人・種田山頭火(1882〜1940年)の一句のような夜が続く。
 ふくろうは ふくろうで わたしは わたしで ねむれない

 
 

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