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ハマかぶれ日記202〜小松弥助デビュー

 一泊旅行で金沢へ行き、きのう帰ってきた。これで5、6回目の金沢路となるが、ちょうど金沢百万石祭と重なっており、京の雅を感じさせるいつもの瀟酒なたたずまいの街の様子とは大違いの騒々しい雰囲気に面食らった。
 「東のすきやばし次郎、西の小松弥助と呼ばれる寿司の名店が知り合いの伝手で予約できたので、金沢へ行かないか」。30年来年、親しくさせてもらっている勤め上げた会社の4期先輩から電話があったのは、今年4月のことだ。高級店には縁の薄いBC級グルメで、弥助の名前を聞いたことはなかったものの、食いしん坊の常として、飯屋に誘われて断ったことはない。二つ返事でOKした。
 予約はきのうの11時で入っているというので、京都から転進してきた先輩と前夜の一昨日、落ち合ったら、祭だったというわけだ。夕方、新幹線で金沢駅に着くや近くのホテルに荷物を預け、先輩に指定された合流場所の香林坊交差点まで歩いた。2キロぐらいの道のりは進むにつれ、人通りが多くなる。メインの百万石通りは歩行者天国となっていて、色とりどりの浴衣、法被で着飾った祭の踊りに参加する会社や町内会単位のグループで溢れていた。
 百万石祭は、加賀藩の藩祖・前田利家公が豊臣秀吉に命じられて1583年(天正11)に金沢城入りした故事にちなんで江戸時代に行われていた百日祭が起源とされる。入場の模様を再現した百万石行列が前夜にあり、この日は「踊り流し」と呼ばれる市民たちの踊りで盛り上がる趣向のようだ。
 ところどころに設けられた太鼓場も賑々しく、最初に感じた戸惑いは、あっという間に「いい日に来られた」というラッキー感に取って代わった。当然、人混みを離れて入った先輩推薦の料理屋「いたる」でのビールがとびきり美味しかったことは、言うまでもない。二次会の古いバーで数杯重ねた締めのシーバス・リーガルまで、祭の熱気に後押しされてスイスイ喉を通った。
 さて一夜明け、いよいよお目あての「小松弥助」。金沢駅近くの料理屋旅館の奥にひっそりと隠れているが、11時の開店と同時に予約の客で18席は埋まった。
 おまかせのコースを頼むと、アワビの煮浸しから漬けマグロの海鼠腸(このわた)和え、アラとガス海老、なんとか貝の刺身の3種盛りと、順番に酒の肴が出てくる。これに合わせて地元の清酒「加賀鳶」。ここまででもう、至福の気分だ。
 そしてメーンは、マグロの赤身やタイ、甘エビなど握り5巻と別皿でウニと大トロをあしらった崩し握り、ウナギと胡瓜の手巻き。ふむ、ふむ・・。先輩も筆者も次第に言葉少なになる。作家の開高健(1930〜1989年)は、カニを夢中になって食べる時のだんまりを「黄金の沈黙」と称した。まさに、美味に圧倒された黄金色の沈黙となった。
 仕上げは、常連から「絶対に追加注文して」と先輩が言われたというネギトロの手巻き。サクサク、トロトロと口に溶けていく。これは間違いなく、生涯ダントツの異次元のネギトロと断言できた。舌も胃袋も躍り上がって喜んでいる。
 残念ながら、すきやばし次郎のような別の超有名店を訪れたことがない。だから比較は難しいものの、行ったことのある人の噂では、何か作り手と食べ手の果し合いのような肩肘張った空気が漂っている店が多いとのことだ。その点、小松弥助はざっくばらんな居やすさに包まれていて、それが一層、美味しさを高めていると思った。
 最後に、この日も板場に立って包丁をふるい、職人を指揮していた90歳を超える伝説の職人、森田一夫さんとの記念写真を撮らせてもらった。「いつまでもお元気で」。社交辞令でなく本心からそう言って、店をあとにした。
 帰りの新幹線車中で何度も携帯でチェックしたわが横浜ベイスターズの試合は、9対2でボロ負け。全くそれが気にならない。そんな日もある。
 
 
 

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